ああいう人だったら一緒に暮らしてもいいなぁー


 その日の晩、引接寺家のダイニングでは、夕食を食べながら姉妹だけの家族会議が開かれていた。


「とにかくアタシは絶対反対だからね! よく知らない男と一緒に暮らすなんて!」


 引接寺家の次女、芽瑠めるは二人の姉と妹を前にして声高に宣言した。


「だいたいお母さんも勝手すぎるのよ。遠い親戚だかなんだか知らないけど、アタシ達の気持ちを考えもしないで他人の家に押しつけて自分は一人で暮らすなんて。しかもそれだけならまだしも、家にいるのはその親戚じゃなくて息子だって言うじゃない! ホントなに考えてんのよ!」


 話を聞いた当初、芽瑠は当然猛反発した。

 だが他の姉妹二人は「まあ別にどっちでも……」と驚くほど素っ気ない反応で、そんなこんなで話が進み、明日はとうとう引っ越し業者が来て新居に移ることになっている。

 肝心の母はと言うと、同居人がどんな相手なのかろくに説明もせず、数日前に赴任先に出立してしまった。

 落ち着いたら連絡すると言っていたが、未だに音沙汰なし。

 これを無責任と言わずしてなんと言おう。


「待ってよ芽瑠ちゃん。会う前から拒否するのはちょっと気が早いんじゃないの? 実際に話してみると案外いい人かもよ」


 長女の由芽ゆめは、取り乱す芽瑠をなだめようとする。


「由芽ねえは楽観的すぎるんだよ。そもそもいい歳して親と同居してて、見ず知らずの女子高生を三人も同居させる男とか、どう考えても怪しいじゃない。お風呂とか覗かれたりするかも」

「某名探偵コ○ンの毛利○五郎は、得体の知れない小学生を預かってるけど、なにもしてないわよ?」

「漫画と一緒にしないでよ……」


 だいいちアレにはちゃんと妻子がいるし、小児性愛者でもない。


「ネットのニュースなんかで見たことあるでしょ? 養子に出された子供が養父に性的虐待を受けるって話。私達もそうなるかもしれないんだよ? 由芽姉なんかスタイル良いから恰好の標的になるよ」

「んーまあ確かにその可能性は否定出来ないけど……」

「やだやめてよ! 由芽姉がそんなこと言うから本当にそうなる気がしてきたじゃない!」

「自分で言い出したクセに……」


 錯乱する芽瑠に、呆れた表情を見せる由芽。


「ハイハーイそれなら一ついい提案がありまーす!」


 それまで黙々と料理を食べていた三女の瑠衣るいが、ブンブンと手を振る。


「どーせあんまり参考にならないと思うけど、一応聞いてあげる。どんな提案?」

「よくわかんないけど、芽瑠お姉ちゃんは男の人に裸を見られるのが嫌なんですよね? だったらこっちもお返しにチンチンを見てやればいいんですよ」

「ブーッ!?」

「な、なにを言い出すの瑠衣ちゃん!?」


 これにはさすがの二人の姉も、顔を真っ赤にして狼狽える。


「あれ、私なんか変なこと言いましたか?」

「も、もういいからアンタは黙ってなさい……」


 瑠衣は見た目だけでなく、思考回路も小学生と同じ構造をしている。

 由芽や芽瑠が赤面するような下ネタも、恥ずかし気もなく言えてしまうのだ。


「それより瑠衣ちゃん、お口にケチャップついてるわよ」


 気を取り直して由芽は、瑠衣の口の周りについたケチャップを拭ってやる。


「それにお皿がランチマットから4mm程度はみ出しているわよ。少しでも位置がズレたら料理をこぼした時、テーブルのお掃除が大変でしょう?」

「あーもう、由芽姉! こんな時に細かいこと気にしてる場合じゃないでしょ!」


 姉妹の中で最も美人でスタイルが良く、成績優秀な由芽は、芽瑠にとっても尊敬の対象ではあるが、ことあるごとに掃除したり片付けたりする潔癖症な性格には、いつもうんざりしている。


「まさか向こうに住むことになっても家中を掃除しまくるつもり?」

「あら芽瑠ちゃん。一応住む気はあるみたいね」

「言葉の揚げ足を取らないでよ。アタシはね、友達の付き合ってる彼氏の話をよく聞くから知ってるけど、男は本当に性欲の塊なんだよ」


 彼女の友人は異性関係に奔放な人間が多く、男子の欲望というものを嫌というほど聞かされてきた。


「そのおかげでアタシは――」

「そんなに厚化粧をするようになったんですか?」

「そうそう、この年齢になるとお肌の手入れが大変で……ってなに言わせんのよ瑠衣!」


 瑠衣の余計な横やりに、芽瑠がノリツッコミを入れる。


「さっきからまるで私達がそういう知識に疎いような言い方だけど、私に言わせれば芽瑠ちゃんのほうが男性に免疫がないと思うのよねえ。この前もドラマのラブシーンを見ただけで顔真っ赤にして悶えてたし」

「そ、そんなことないわよっ!」


 だが由芽の指摘は図星だった。

 彼氏持ちの友人が多い芽瑠だが、彼女自身はただ男女がイチャつくところを想像するだけで、頭が真っ白になって悶絶したくなるほど純情な性格をしている。


「芽瑠ちゃんの言い分もわかるけど、いくらお母さんが身勝手でも、実の娘を変な人に預けるとは思えないわ。私は相手をこの目で確かめてから判断するほうがいいと思うの。万が一、芽瑠ちゃんの言う通りになったら、その時にどうするか考えましょう」

「またそんな悠長なこと言って。そうなってからじゃ遅いんだって。アタシは絶対行かないほうに一票入れるわよ」

「そう、一対一ね。多数決なら瑠衣ちゃんがどっちを選ぶかで決まるけど……」

「エ?」


 突然、三女の瑠衣に白羽の矢が立つ。


「瑠衣、アタシを選びなさい。男と暮らすのはアンタも嫌でしょう?」

「瑠衣ちゃーん? 由芽お姉ちゃんのほうがいいわよねえ?」

「え、えーと……」

「アタシでしょ瑠衣!」

「私よね?」

「ふう……やれやれ。モテる女はツラいぜ、です」


 二人の姉の間に挟まれ、戸惑う瑠衣。


「アタシを選んでくれたら、この前アンタが食べたいって言ってたシュークリーム買ってあげるわよ」

「えーいいんですか! 芽瑠お姉ちゃん、愛しますぅー!」

「だったらこっちは好きなだけ買ってあげるわよ瑠衣ちゃん?」

「わーホントですか! 由芽お姉ちゃん、もっと愛してますぅー!」

「なっ!? ちょ、ちょっと由芽姉、卑怯よ! 自分だけバイトして稼いでるからって!」

「どうして? 先に買収しようとしたのはそっちでしょう」

「ぐうぅ……瑠衣の裏切り者ぉ……」


 瑠衣が甘いもの好きなのを利用する作戦だったのが、裏目に出てしまった。


「でも住む家がなくなったら施設に預けられるかもしれないんですよね? 私、自由にお菓子が食べられなかったら生きていけません」

「んな大袈裟な……」


 最初の頃からこの二人は、男と暮らすことにあまり深く考える様子はなかった。

 芽瑠からすれば、それは危機意識が低すぎるように見えた。


「由芽姉も瑠衣も、アタシが自分のわがままだけで反対してると思ってるの? 二人が心配だから言ってるんだよ? もし相手がいい人だったとしても、毎日同じ家で暮らしていたら、いつケダモノに変身してもおかしくないんだから」

「いい人といえば私、今日すっごく親切な人に会いましたよ」


 突然、瑠衣が話題を変える。


「学校が終わった後、一緒に帰ろうと思って由芽お姉ちゃんを探していたら、いきなり職員室から男の先生が出てきてぶつかったんですけど、その人、お詫びのしるしにとても美味しいチョココロネをくれたんです」

「なにそれ。アンタ知らない人からものを貰ったの?」


 芽瑠が呆れ顔で言う。


「でもああいう人だったら一緒に暮らしてもいいなぁー」

「お菓子貰えれば誰でもいいの……?」

「ねえ芽瑠ちゃん。心配してくれるのは嬉しいけど、お母さんは今までたった一人で私達三人を育ててくれたんだし、信じてみてもいいんじゃないかしら」


 由芽が語り始める。


「そもそも私がこういう考え方をするようになったのは2013年のある秋の日。ちょうどエドワード・スノーデンがアメリカのスパイ活動を暴露した年ね。その日、私は学校で理科の実験をやっていたの。あの頃は理科が一番好きな教科で、成績は算数のほうがよかったんだけど、面白さはそっちのほうが上だったのよね。どうしてそうなったのかと言うと――」

「ちょっと由芽姉? またいつもみたいに話が長くなってるよ。今度は何時間話すつもり?」


 潔癖症以外に、由芽の欠点として挙げられるのが、異様に話が長いことだ。

 普段はそうでもないが、一度スイッチが入ると、軽く一時間は話し続けるのである。


「瑠衣なんか途中で寝ちゃってるじゃない」

「くかぁー……」


 そして最終的に、瑠衣が途中で寝落ちするのが様式美と化している。

 今回も瑠衣は静かに寝息をたてながら、机に突っ伏している。


「あらあらごめんなさい。芽瑠ちゃん、悪いんだけど瑠衣ちゃんをお布団に寝かせてきてくれる?」

「やだよ、忘れたの? 寝ている時の瑠衣は誰にでも抱きつく癖があるんだよ」

「そう言えばそうだったわね。仕方ないからこのまま起きるまで待ちましょうか」

「はあ……」


 瑠衣の寝顔を眺めながら、芽瑠は静かに嘆息する。

 結局、二人を説得するのは失敗してしまった。

 果たして自分の味方になってくれる人間はどこにもいないのだろうか。

 そう思った瞬間、ふとある人物の言葉が思い浮かんだ。


『どんなことがあっても生徒の味方になるのが教師の務めだからな』


 足立正弘。芽瑠の担任教師だ。

 若くて人好きのする顔立ちの為、生徒からの受けはいいが、お世辞にも頼りがいがあるとは言えない。

 ハ○・ソロやルー○・スカ○○ォーカーならともかく、非戦闘員C‐3P○になにが出来るというのか。

 だが――あの言葉を投げかけられた時は、不覚にも彼を頼もしいと思ってしまったのも事実だ。

 誰も自分の意見に耳を貸さない中で、唯一味方になると言ってくれたのが、ほんの少しだけ嬉しかった。

 ――結局、いざという時にはアイツに助けを求めるしかないのかな……。

 芽瑠は心の中で本音を漏らした。

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