虚構の谷
庵字
虚構の谷
「
「えっ? 刈谷
「マスコミの発表ではそうなのですが」
「本当は違う?」
「と思います」
「誰がそんなことを?」
「
「……やっぱり。で、どうして私のところに? 私は新邦寺
「新邦寺先生の指名なんです。
「それにしたってなぁ……名探偵新邦寺京と助手
「そうもいかないんですよ。何せ僕たちは、しょせん小説の登場人物に過ぎないですから。『新邦寺京です』と名乗って、現実の警察がまともに相手をしてくれると思いますか?」
「それはそうかもしれないけれど」
「それに、新邦寺先生は『不可能犯罪専門』を看板に掲げていますから。密室殺人でも、見立てでも、クローズド・サークルでもない――こんな言い方をしては亡くなった刈谷先生に失礼かもしれませんが――何の変哲もない事件では、かえって頭が働かないんですよ」
「やっかいな因果だね。だいたい『不可能犯罪専門』なんて看板で探偵商売が務まっているのが、小説の世界ならではの話だね」
「幸いなことに、刈谷先生が休む暇もないほどに次々に事件をこしらえてくれていましたから」
「……その刈谷先生が死んでしまって、これから君たちはどうするの?」
「それは……追々考えます。でも、今は刈谷先生を殺した殺人犯を捕まえるのが先ですよ」
「それで、瞬く――天野くん」
「瞬、でいいですよ」
「すまないね、作中での呼ばれ方に慣れてしまっているもので。でも、『新邦寺シリーズ』は私が子供の頃からずっと続いているロングランのシリーズだから、実質、天野さんのほうが年上だ」
「はは、『新邦寺シリーズ』は作中人物が加齢しない設定ですからね」
「それじゃあ、遠慮なく、瞬くんと呼ばせてもらうことにして、その瞬くんだけでなく、私もいつの間にか新邦寺京の年齢をも追い抜いてしまったよ」
「で、須頃さん、捜査のほうなんですけれど」
「あ、ああ、そうだったね。他ならぬ新邦寺京と天野瞬の頼みとあれば、大ファンとしては引き受けないわけにはいかないね」
「ありがとうございます」
「マスコミの発表では、刈谷先生は自宅二階からの転落死、とあっただけだったけれど」
「刈谷先生は確かにご高齢でしたけれど、不注意で二階から転落するほどお体や精神が老いてはいなかったはずです」
「何者かに……突き落とされた?」
「その可能性は否定できないのではないかと。刈谷先生に恨みを持っていた人物に、大ファンの須頃さんであれば心当たりがあるのでは」
「そうだね……あ、
「刈谷先生と同じミステリ作家の方ですね」
「そう。半年ほど前、刈谷先生が西鱈田の新作を批判したことがあったよ」
「それなら僕も読みました。『西鱈田が、まだこんな時代遅れのミステリを書いていることに驚いた』みたいな話でしたっけ」
「うん。西鱈田は、先生のその発言にとても憤慨していたらしいし」
「でもですね、須頃さん、僕の調べでは西鱈田さんには完璧なアリバイがあるんですよ」
「そんなことまで調査済みだったのかい?」
「はい」
「さすがだね」
「で、須頃さん、他に先生を殺しそうな容疑者は浮かんできませんか?」
「そうだねえ……あ、先生と揉めた編集者がいると聞いたことがあるけど」
「
「先生の言い分では、酒の席での口約束で書面も残っていないから何の問題もない、という話だったけど」
「よくご存じですね。そうなんです。でも、その東朝さんにも完璧なアリバイがあるんですよ」
「うーん……そういえば、奥さんと大喧嘩をしたと最近のエッセイに書いていたけれど。あと、離れて暮らす息子さんとも上手くいっていないと聞いたことが」
「そんな内輪の事情にまで精通されているとは、さすがです。でも、そのお二人にもアリバイは成立しています」
「それは困ったね。容疑者がいなくなってしまった」
「でも、作家なんていう商売は、本人も知らないところでどんな恨みを買っているか分からないじゃないですか。例えば、新邦寺先生の恋人事件なんてのもありましたし」
「……ああ、あったね」
「はい。刈谷先生が、作中に新邦寺先生の恋人を出したら、女性ファンから猛抗議が殺到して、先生に対する殺害予告のような手紙まで舞い込んで、あのときは大変でしたよ」
「それは災難だったね」
「で、結局次回作で、登場したばかりのその恋人はあっさり死んじゃいました。最初は先生も、遠くに旅に出た、くらいで済まそうかと考えていたみたいなんですけれど、これはもう殺さなきゃ沈静化しないな、くらいに抗議が過熱しちゃっていて」
「その直後のエッセイで、『作中人物を殺す力を持っているのは、作者ではなく読者だ』なんてことも書いていたね」
「ありましたね。あ、もしかして、今回の犯人は、その抗議を出した読者の誰かという可能性も?」
「いや、あれはもう解決したことだし、未だに恨みを持っている読者はいないだろうと私は思うよ」
「そうですか。ああ、その事件が原因だったんですよ、先生が引っ越しをしたのは。先生は、今どきの作家としては珍しく自宅住所を公開していて、訪れたファンに気さくに応対したりもしていたんですけれど、引っ越したあとは住所も非公開にしてしまいました」
「そうだったね」
「でも、どこから調べてくるのか、新しい自宅にまで押しかけてくるファンもいましたよ」
「そういう苛烈なファンもいるからね……」
「ところで、須頃さん、事件のことですけれど」
「私の知っている容疑者は、あらかた言い尽くしたよ」
「そこを何とか」
「そう言われてもなぁ……ねえ、瞬くん、先生の死は本当に事件なの?」
「名探偵、新邦寺京がそう言っているんですよ」
「でも、死因は転落死でしょ。事故死という可能性のほうが高いと思うけどなぁ」
「どうして、そう思うんです?」
「だって、あの低い手すりじゃあ、誤って落ちてしまうことはあり得るよ」
「――手すり?」
「うん、吹き抜けの手すりだよ。加えて、先生の家は天井が高くて、二階といえど通常の家での三階くらいの高さがあるから、落ちたらひとたまりもないよ」
「……」
「どうかしたかい? 瞬くん」
「どうしてです?」
「えっ?」
「どうして、住所を公開していないはずの先生の自宅の構造を知っているんです?」
「そ、それは……」
「先ほどあなたが言った『住所を調べてまで自宅に押しかける苛烈なファン』に、あなたも混じっているということですね」
「そ、そうなんだよ……黙っていて悪かった」
「それだけじゃないですよね」
「えっ?」
「先生が落ちたのが、屋内の吹き抜けだと、どうして知ってるんです?」
「――!」
「マスコミ報道でも、僕の口からも、『二階からの転落死』としか言っていません。『二階から落ちた』と聞いたら、窓から屋外に転落したと考えるのが普通じゃないですか?」
「……」
「つまり、刈谷先生を転落死させた犯人は、須頃さん、あなたですね」
「……新邦寺京の差し金だね?」
「はい。先ほども話したとおり、めぼしい容疑者全員にアリバイがあるものですから、もしかしたら、自宅に押しかけた読者が犯人なのではないかと。かといって、ファンのアリバイまで調査するのは不可能ですから。で、マスコミ報道が死因の詳細までを伝えていないことを利用して、刈谷源六郎の熱狂的なファンに片っ端から当たっていたんです。何かボロを出さないかって」
「古典的な手だ、やられたよ」
「これを小説に書いたら、『時代遅れもいいとこ』って批判されちゃいますね。でもですね、須頃さん、僕はその前からあなたが怪しいと睨んでいたんですよ」
「どうして?」
「僕が『刈谷先生に恨みを持っていた人物に心当たりはないか』って訊いたとき、真っ先に“自宅に押しかける読者”を容疑者候補に挙げなかったからです。須頃さんは、先生にそういったファンが付いていることを知っていたにも関わらず。作家仲間や編集者よりも、断然そっちのほうが怪しいじゃないですか」
「さすがだね」
「全部、新邦寺先生の入れ知恵ですよ。動機は、やはり……」
「そうだよ、私はね、好きな人に過去に恋人がいた、という事実も許せない
「そういったことは、僕には……」
「あの手すり、確かに低すぎたよ。ちょっと押しただけで簡単に先生を突き落とせてしまったのは、私が女としては体力のあるほうだから、って理由だけじゃないと思うよ。……で、これからどうするの? 私を警察に突き出すのかい?」
「小説の登場人物である僕や新邦寺に、そんなことは出来ませんよ。だから、自首してください」
「……ねえ」
「はい?」
「新邦寺京は推理を披露するとき、関係者全員を集めたりしないで、犯人と一対一でやることが多かったね」
「ええ。それは、関係者全員を集めて犯人を名指しするやり方が、公開処刑みたいで刈谷先生が嫌がっていたからです」
「その話、エッセイで読んだことがあるよ。『探偵の使命は解明であって断罪ではない』だっけ。……でもね、探偵が大勢を集めた中で犯人を暴くのには、それなりの理由があると私は思うんだよ」
「それは、何ですか?」
「だって、探偵が犯人と一対一で対決したら、逆上した犯人に襲われる危険性があるじゃないか……。新邦寺京のワトソン天野瞬は、体を使うことはまるで駄目なひ弱な少年、っていう設定で……」
虚構の谷 庵字 @jjmac
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