第4話
「おい、どこ行くんだよ?」
「風呂に行くんだよ。斎藤は行かないのか?」
「部屋の風呂を使えばいいじゃないか」
「はあ? 折角だから、大浴場に行きたいに決まってるだろ」
渋々といった様子で、斎藤も僕についてきた。よほど、一人で部屋にいたくないらしい。
フロントでのすったもんだの後、部屋の鍵を預かった僕達は、この『お化けが出る』という部屋にやってきた。あまり多くを語らなかった年配スタッフを、斎藤は問いただしていたけれど、僕が制した。これ以上こじれて無駄に時間を浪費する事に耐えられなかった。あれだけフロントで暴れていた斎藤も、すっかりおとなしくなっていた。
用意された部屋は、シングルベッドが二台並んだ、洋室であった。見た所、とても清潔に整えられたいい部屋だ。斎藤は、何かを探すように、部屋中に視線を飛ばしている。L字のようになっている部屋は、玄関扉から入って、左手にクローゼットがあり、右側にトイレとユニットバスが設置されている。そして、直進し右に膨らんだ場所にベッドだ。いたってシンプルなつくりをしていた。
「幽霊が出たら、どうするんだよ?」
「はあ? 幽霊に会いに来たんだろ?」
僕が返すと、斎藤は口の中で何かごにょごにょ言っていたけど、無視をした。心霊スポット巡りの目的は、いまいちよく分からない。僕の後ろをついてくる斎藤は、部屋から出たにも関わらず、周囲を観察している。見たくないのなら、見なければいいのに不思議な奴だ。
大浴場は、今回の嫌な事を全て洗い流してくれるほど、気持ちがよかった。風呂上りには、念願のビールを体内に流し込む。抑圧されたストレスと疲労は、最高の酒の肴になる事を知った。きっと、僕と斎藤では、同じ酒を飲んでも味が違うだろう。
部屋に戻り、ベッドに飛び乗った。スプリングが心地良い軋みを生んでくれる。僕は、ベッドに沈んでいくように、眠りに入りかけた。
「おい! なに、寝てんだよ!」
激しく体を揺すられ、目を開けると、斎藤が必死な顔で僕を見ていた。
「なんだよ? こっちは運転で疲れてるんだよ。斎藤ももう寝ろよ」
「寝れる訳ないだろ? あのおっさん余計な事をしてくれたぜ」
「この部屋が怖いんだったら、車の鍵かしてやるよ。車で寝るといい」
「べ、別に怖い訳じゃねえよ。気味悪いだけだ」
それは、違う事なのか? 僕もつくづくお人よしだと嘆息を吐く。ベッドに座りあくびをした。斎藤が隣のベッドの上で何かを話しているのは聞こえるが、内容が入ってこない。すると、突然、大きな音が部屋中に響いた。僕は驚き目が覚めてしまった。来訪を告げるベルが鳴ったのだと、分かった。僕と斎藤は、互いに見合って、首を傾げた。時計を確認すると、日付が変わっている。こんな時間に来訪?
「で、出てくれよ」
斎藤は、布団を鼻までかぶり懇願した。溜息を吐いて、僕はベッドから立ち上がった。さっきのフロントのおじさんだろうか? 心配になって見に来たとか? 僕が扉に向かって歩いている間も、ビービーとベルの音は鳴り続けている。ドアノブに手をかけ、扉を開けた。隙間から顔を出し、薄暗い廊下を左右に顔を振った。そして、ゆっくりと扉を閉めて、中に戻った。
「ど、どうしたんだよ?」
「誰もいなかった」
僕が答えると、斎藤は小さく悲鳴を上げ、唾を飲んだのが分かった。
「誤作動かなんかじゃないか? もう寝よう」
「ど、どうして、そんなに冷静なんだよ?」
「どうして、そんなに冷静じゃないんだよ?」
すかさずカウンターを入れたら、斎藤は俯いておとなしくなった。怖ければ怖いと素直に言えばいいものを。僕が腕組みをして、斎藤を見下ろしていると、またベルの音が鳴った。斎藤は悲鳴を上げて、布団の中に入った。また玄関へと向かい、扉を開いたが、やはり誰もいなかった。扉を閉めて、ベッドまで戻る。怯えた顔をした斎藤と目が合い、僕は無言のまま顔を左右に振った。ベッドに腰を下ろし、冷蔵庫からビールを取りだした。眠気が完全に冷めてしまった。明日に酒が残らない程度に、飲みなおそう。斎藤にビールを進めたが、無言のまま顔を左右に振った。
「べ、便所にいきてえ」
「いちいち、報告しなくてもいいよ」
斎藤に睨まれてしまった。さすがに、少し冷たかったかもしれない。しかし、尿意の報告など不要だ。斎藤は布団を跳ね飛ばし、ベッドから飛び降り、トイレに向かった。だが、斎藤が時間が止まったように固まっている。
「ん? どうしたんだ?」
「お、お前・・・玄関閉めろよな」
「は? ちゃんと閉めたけど?」
ベッドの端っこにいって、顔を覗かせた。そして、四つん這いのまま、僕も固まってしまった。
玄関扉が開いている。いったいどういう事だ? 扉は確実に閉めた。
僕が固まっていると、青ざめた顔をした斎藤が、少しずつ後退りをしている。
「ど、どうしたんだよ?」
「あ、あ、あれ・・・」
斎藤は、腕をゆっくりと上げ、震える指をさした。指の先を目で追うと、トイレとユニットバスの扉が、静かに開いていく。ありえない光景に、言葉が出てこない。喉になにかが詰まったかのように、悲鳴ですら出てこない。若干の息苦しさを感じている。僕と斎藤が呆然としていると、シャーというシャワーが出る音が聞こえてきた。これはいよいよ本格的にヤバイかもしれない。斎藤はその場で、腰が抜けたように尻もちをついた。
「斎藤! さすがにヤバイ! この部屋を出よう!」
僕が叫び声を上げた瞬間に、大きな音を立てて、玄関の扉が閉じた。この状況は、さすがに焦る。もうこの目で、不可思議な現象を目撃してしまっている。すると、部屋の電気が全て消えた。斎藤は、悲鳴を上げてベッドに飛び乗った音が聞こえた。僕は咄嗟に、窓を覆うカーテンを開けた。街灯の薄明かりが部屋に入り、視界が回復する。なかなかに冷静じゃないか。小さな笑いが込み上げてきた。隣のベッドの上では、斎藤が布団で全身を覆い隠している。
断続的に響いていたシャワーが流れる音が止んだ。反射的に、斎藤がいるベッドの奥に視線を向けた。ユニットバスがある方向だ。しばらくの沈黙の後、ペタペタという濡れた足で床を踏む音が、こちらに近づいてきた。しかし、音は聞こえるが、姿形は見えない。
『武田ってさ、いつも冷静沈着で、なんでも器用に飄々とこなしやがる。可愛くない後輩だよ。まったく』
「・・・そんな事ないですよ、先輩。今、十分焦ってます」
なぜか、職場の先輩の過去の声が聞こえ、僕は無意識の内に答えていた。僕は玄関へと続く廊下に、くぎ付けになっていた。足音は確実に近づいてきている。しかし、何も見えない。ゴクリと唾を飲み込んだと同時に、足音が消えた。ベッドの前で立ち止まったように感じた。すると、斎藤が布団の中でごそごそと動き出した。斎藤が潜り込んだ布団を眺め、僕は思わず息を飲んだ。布団の膨らみが、明らかにおかしかった。人間一人分の膨らみ方ではない。
「な、なんだよ。気持ち悪いな。くっついてくんじゃねえよ。カッコつけやがって。びびってんじゃねえかよ?」
斎藤が笑いを含んだ声を発している。気のせいか少し嬉しそうに聞こえた。きっと、斎藤は勘違いしているのだろう。僕が恐怖のあまり、斎藤の布団の中に潜り込んだのだと。斎藤の布団の中に入り込んだのは、いったい誰だ?
年配のホテルの従業員が言っていた、この部屋に出るというお化けか?
トンネルの中からついてきた何かか?
夜景が綺麗な広場で現れるという女の幽霊か?
僕が呆然と布団の膨らみを眺めていると、斎藤がなにやら話している。誰かと話している。僕は大きく息を吸って、ゆっくり吐き出した。
「さ、斎藤? いったい誰と話しているんだ?」
「・・・え?」
斎藤は布団から顔を出し、窓際で立ち尽くす僕を見上げた。薄明りの中でも、斎藤の表情が歪んでいくのが見て取れた。そして、斎藤は背後に顔を向ける。布団の膨らみからして、斎藤の背後から腰の辺りに、何者かがしがみついている。次の瞬間、斎藤は大きな悲鳴を上げて、暴れまわった。背後にしがみつく何者かを振り払うように。言葉にならない声をまき散らしている。その勢いのまま、斎藤は布団を体に巻き付けたまま、床に転げ落ちた。布団がはらりと落ち姿があらわになると、斎藤は正座をして、体の前で手を合わせている。そして、まるで念仏でも唱えるように、何かを発している。斎藤の怯えように、徐々に冷静さを取り戻していく。そして、斎藤の言葉に、聞き耳を立てた。
「俺じゃなくて、武田の方へ行って下さい。俺じゃなくて、武田の方へ行って下さい。俺じゃなくて、武田の方へ行って下さい。俺じゃなくて・・・」
斎藤の祈りに、思わず鳥肌が立った。
大きく息を吐き出し、伸びをした。得体の知れない者への恐怖心は、驚くほどに消え失せていた。僕が冷めた目で斎藤を見ると、彼にまとわりついていた何者かは、いつの間にかいなくなっていた。もしかしたら、気のせいだったのかもしれないと思えるほど、あっさりとあっけなく跡形もなく消えていた。
「・・・お前が一番怖いよ」
そんな事を呟きながら、僕は来月に行われる学生時代の仲間との飲み会の事を考えていた。いい土産話ができた。しっかりとネタを提供してくれるあたり流石だ。きっと、斎藤は呼ばれないだろう。今日の出来事や斎藤の言動を肴に、美味い酒が飲めそうだ。
この状況で、そんな事を考えている僕も、なかなかいい性格をしている。
そして、今回の旅行を機に、斎藤とは疎遠になるだろう。
お前が一番怖い ふじゆう @fujiyuu194
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