第31話 二日酔いの朝
「あー……」
目覚めたヘレナがまず感じたのは、激しい頭痛と気持ち悪さだった。
酒というのは、飲んでいる間は気持ちいいものだが、このように朝になると毒となる。それを分かっていながら、酒を飲んでしまうのもまた人間の性か。
立ち上がるのも億劫で、差し込んでくる日差しに目を閉じて、ヘレナは軽く寝返りを打った。
「うー……」
だが、かといってすぐに眠りの世界に入ることができるほど、二日酔いというのは甘いものではない。
気持ち悪いから寝ていたいのに、寝ようにも気持ち悪くて眠れない――それが二日酔いである。これを解消するための方法は、今のところ誰にも分かっていないことだ。うぅっ、うぅっ、と心中だけで喘ぎながら、ヘレナはどうにか眠りの世界へ行こうとするが。
結果、どうしようもなくむくり、と起き上がる。
喉の奥からせり上がってくるような嘔気と、頭の中で鐘が鳴り響いているかのような頭痛――その二つに睡眠を邪魔され、とりあえず座るかと寝台から降りる。
「おはようございます、ヘレナ様」
「ああ……」
うぷっ、と思わず吐きそうになる気持ちを堪えて、そう返す。
いつも通りの朝だ。アレクシアが朝餉を運んできて、それと共にヘレナを起こす。もっとも、基本的に朝早くから鍛練を行っているヘレナにとって、アレクシアの来訪は朝餉の時間を報せるためのものになっているが。
今日のように、アレクシアがやってくるギリギリまで寝ているというのは非常に珍しい。
「陛下は、朝早くから出仕されました。ヘレナ様を起こさずに出て行ったご様子です」
「……そうか」
「昨夜は、随分とお楽しみになられていた様子ですね」
「まぁ……そうだな」
ふぅ、と大きく息を吐く。
久しぶりということもあり、飲み過ぎた感はあるというのが本音だ。ファルマスが勧めてきたから仕方なく、という部分はあるけれど。
そしてアレクシアにもその帰結が分かったのか、そっとヘレナの前に水を差し出す。
「ひとまず、お水を飲んでください。朝食は如何なさいますか?」
「……あまり、食べたくないな」
「でしたら、厨房の方に戻します。それから、本日はルクレツィア様がいらっしゃるとのことでした。その前に、せめて顔だけでも洗っておいてください」
「ルクレツィア様が?」
思わず、眉を上げてそう返す。
ルクレツィア・ハインリヒ=アルベルティーナ・ガングレイヴ――現皇太后にしてファルマスの母である彼女は、勿論ヘレナと同じ離宮に住んでいる皇族だ。そして、自覚は全くないけれど皇后であるヘレナにとって、義母である。
だが、今までルクレツィアがこの部屋にやってきたことなど、数える程度だ。
「はい。ルクレツィア様曰く、たまにはヘレナ様とお話をする時間が欲しいと」
「……うぅん。できれば誰にも会いたくないんだが」
「お気持ちは分かりますが、ルクレツィア様のお誘いを断るというのは、さすがに失礼かと」
「そうだな……」
正直、ちょっと酔いを覚ましてから再び横になりたい。
それがヘレナの現在の願いである。
「分かった……せめてルクレツィア様の前に出るなら、しゃんとしなければならないな」
「ええ。お召し物も交換しましょう。ドレスはわたしが選ばせていただきます」
「……着替えるのか?」
「湯浴みの方がよろしければ、用意いたします」
「……分かった、着替える」
面倒と面倒を天秤にかけ、ヘレナは着替えを選択した。
とりあえず着替えてさえおけば、見た目だけは繕えるだろう。見た目だけは。
「うっぷ……あー……気持ち悪い……」
「そんなに飲んだのですか?」
「正直、途中から記憶がない……」
「ヘレナ様は、記憶を失うタイプですからね」
ふぅ、と後宮にいた頃を思い出したのか、アレクシアが溜息を吐く。
何度も、酒を飲んだ翌日にはアレクシアに迷惑をかけた。特に、初めてファルマスから口づけをされた日の朝など、思い出したくもないくらいだ。
……まぁ、そんなアレクシアも酒を飲んで、ヘレナと同衾した朝があったりするけど。
「ふぅ……」
手早くアレクシアがヘレナを着替えさせ、椅子に腰掛ける。
少しは酔いもおさまってきたからか、ただ座っているだけならば普通に見えるヘレナだ。その実内面では、脳をぐにゃぐにゃにされているような気持ち悪さに襲われているが。
すると、そこでこんこん、とヘレナの部屋の扉が叩かれた。
「おや……」
「ヘレナちゃーん。元気かしらー?」
返事を待つこともなく扉を開け、入ってきたのはルクレツィアである。
思わずヘレナは立ち上がり、頭を下げた。
「ご無沙汰しています、ルクレツィア様」
「いいのよー。なんかアレクシアちゃんから聞いたんだけど、軍の特訓に行ってたんですって?」
「あ、はい。禁軍に
「帰ってきてからは、わたくしの用事が色々あって来れなかったのよ。せっかく同じ離宮に住んでいることだし、こんな風にお茶会をするのが楽しみだったのよねー」
「し、しし、失礼、いたします……」
うふふ、と年齢を感じさせない可愛らしさで、笑みを浮かべるルクレツィア。
そして後ろに控えていたメイドが、台車でお茶をお菓子を運び込んできた。
何故かヘレナではなく、アレクシア相手に緊張しながら。
「……」
アレクシアはそんなメイドを一瞥して、そして軽く嘆息。
「……アレクシア、どうした?」
「いえ。大したことではありません。主人の前ですし、わたしは何も」
「……?」
緊張しているメイド。
アレクシアが値踏みするような目で見ている、彼女の所作。
あー……と、ちょっとだけ納得した。
一時、シャルロッテがされていたアレだ、と。
「わざわざ、ご足労ありがとうございます、ルクレツィア様」
「いいのよー。今日は色々な茶葉を持ってきたから、ヘレナちゃんも楽しんで頂戴」
「はい、是非……うっ……」
そこで、ヘレナの嘔気が再燃した。
立ち上がり、脳を揺らしたためか、目の前がぐにゃりと歪んでくるような感覚。それと共にヘレナは自然と口元を押さえ、その嘔気に耐える。
さすがに、ルクレツィアの前だ。吐くわけにはいかない――そう、鋼の精神で堪え。
うっぷ、とどうにかその嘔気を飲み下したところで。
「え……ヘレナ、ちゃん……?」
「い、いえ、これは、その……」
「も、もしかしてっ!」
ぱぁっ、とルクレツィアの顔に、大輪の笑顔が生まれた。
そして、食い入るようにヘレナの手を取り。
「ようやくファルマスとの子供ができたの!?」
「……」
二日酔いで気持ち悪いんです。
そう答える前に、物凄く斜め上の解釈をされていた。
武姫の後宮物語 筧千里 @cho-shinsi
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