冒険の書、お作りします。準一級神官ノンネの日常 迷宮都市ラビリントに響く鐘

荒木シオン

冒険の書の紡ぎ手

 迷宮都市ラビリント。

 その名の通り、都市の中心に地下深く、下へ、下へと続く奈落ならくの大迷宮をゆうする街である。迷宮からは人智じんちを超えた数多くのモノが発見され、それを求める人々、いわゆる冒険者たちで街は今日もにぎわっていた。


 そんな都市の一画。

 迷宮から南北に走る大通りを外れ、細い路地を抜け、街の喧騒けんそうから離れた場所にそれはあった。

 フラーム小神殿しょうしんでん

 レサル教の準一級神官ノンネ・リジオンがひとりで管理、運営する迷宮都市でもそれほど多くはない宗教施設の一つである。


 この日もノンネは早朝から小神殿の掃除など雑多な業務を黙々もくもくとこなしていた。

 迷宮都市で暮らす人々の大半は冒険者だ。そんな彼らは迷信深いが信心深くはない。神は縁起物えんぎものであり信仰しうやまう対象ではない……。

 冒険者が信じるのは自身の力と才能、そして少しばかりの運。だから、ここを訪れる敬虔けいけんな信者など迷宮の財宝以上に珍しい。


 それでも彼女、準一級神官ノンネ・リジオンはいつ誰が来てもいいように小神殿の手入れを欠かさない。

 信仰とは、宗教とは、普段は無用の長物ちょうぶつでもふとした拍子ひょうしにどうしても頼りたくなるモノだ――、


 ――そう、例えば誰か大切な人を亡くしたときとか。


 昼少し前。小神殿の掃除もそろそろ終わりというところで、その人物はノンネのもとにやってきた。

 ボロボロの革鎧に、短く刈り上げたボサボサの髪、腰に下げた得物えものは半ばで折れ、今にも倒れそうな男だった。

 彼が肩に担いだ縄の先にはところどころが赤黒く染まった細長い麻袋あさぶくろが一つ。


 その様子からノンネはおおよその事情を察するが確認のために問いかける。


「信仰ですか? それとも『骨拾い』の方ですか?」


「信仰です……ここへ、来れば……、コイツが、コイツの……あぁ、ああぁあぁ。どうか……どうか……」


 ひざまづき、言葉を震わせ、嗚咽おえつ混じりにそうノンネへ訴える男。

 

うけたまわりました。では、一晩お待ちください。よく来て下さいましたね。大丈夫、大丈夫ですよ……」


 名も知らぬ男の肩に手を乗せ優しくささやくと、ノンネは彼が引きってきたであろう麻袋を抱きかかえ、小神殿への奥へと運ぶ。


 その間も男はただむせび泣きながらうずくまっていた。

 ノンネが姿を消したあと、この場で男を見守るのは小神殿の中央に祭られた女神像だけだった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 小神殿の最奥。

 石造りの寝台と木製の机、椅子だけが用意された簡素な部屋。

 その中央に据えられた寝台の上に、ノンネは抱きかかえてきた麻袋を優しく下ろす。

 

 確認のために麻袋を切り開くと、中から現れたのは冒険者のそれであろう遺体。腕や足、腹部など損壊そんかいが激しいが、見た目と体格から恐らく男性だろうと、ノンネは推察する。


(てっきり恋仲の女性かと思いましたが、珍しいですね……。あぁ、ダメです……この地に来て色々毒されている気がします……)


 自身の予想が外れていたことに驚く自分に気がつき、それを否定するように頭を左右に振るノンネ。

 しかし、事実としてこの手の場合、男性冒険者が運んでくるのはそのほとんどが特別な間柄の女性冒険者だった。

 

 例外なのは『骨拾い』の類いだろう。

『骨拾い』は迷宮で死んだ冒険者を持ち帰り、その遺体が身に着けている装備や金品を回収することを生業なりわいとしている一部の冒険者である。

 

 彼らは迷宮から遺体を運び出すと、まず真っ先に神殿などの宗教施設を訪れる。

 そうしてわずかばかりの寄進きしんと引き換えに、回収した装備や金品を清めてもらい、遺体の処分をお願いするのだ……。


 冒険者は信心深くないが迷信深い。神は信仰し敬う対象ではないが縁起物。

 死んだ同業者のモノを黙って奪うのは気が引けるが、神の許しを得ておこなえばそれは立派な迷宮の恩恵おんけいである……。


 迷宮都市に来てそうした手合いばかり相手にしていたので、今回もそうだと勝手に思い込んでいた。


(朱に交わればなんとやらです……まだまだ未熟ですね、私も)


 心の中で溜め息をきながら、ノンネは寝台に寝かせた遺体の四肢ししと胴体、首元を頑丈な聖鉄せいてつ製のくさりで固定する。

 準備万端整えて、ノンネは手にした書物を開き、そこに記された呪文を口にした。


 それは聖職者が口にするのは禁忌きんきの言葉。

 それは死者の魂をもてあそぶとみ嫌われる禁術。

 それ、すなわち、死した存在に仮初かりそめの命を与える死霊術しりょうじゅつ


 ノンネが口と本を閉じると同時、部屋に響く絶叫。

 視線を向ければ、今しがた確かに遺体だった男が、目覚め寝台から立ち上がろうと暴れていた。

 しかし、その身体は強力な聖鉄せいてつ製の鎖で縛られ自由に動けはしない。


 それから数刻すうこく

 寝台に縛られた男は叫ぶことも暴れることも止め、ようやく大人しくなった。


「落ち着きましたか? 状況が理解できていますか?」


 男を見つめ優しい声で問いかけるノンネにあごだけ動かし小さく頷く。


「あぁ……ああぁ。俺は……、俺は……、死んだ……のだろうなぁ?」


 確認とも疑問ともとれる問いかけにノンネは悲しげに同意した。


「えぇ。先ほど、男性の冒険者が貴方を当小神殿へ運んでこられました」


「そうか……そうかぁ……でも、アイツは、無事だったのですね。良かった……」


 目をつぶりどこか安心した様子で呟く男。そんな彼へ、ノンネはとある提案をする。


「もしよろしければ、貴方と彼の冒険についてお聞かせ下さい。そして彼に送る最後の言葉を。ここはフラーム小神殿、死と冒険を司る女神の膝元ですから」


 ノンネの言葉に男は小さく笑った、そういえばそんな約束もしたっけなぁー、と……。

 それから男は滔々とうとうと語り出す。ここまでの冒険の日々を、一人残した親友への言葉を。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 翌朝。ノンネが小神殿の祭壇へ戻ると、昨日訪ねてきた男が長椅子に座り呆然とした様子で女神像を見上げていた。

 そんな彼へノンネは驚かせないようにそっと声をかける。


「お待たせいたしました。『冒険の書』確かに記させていただきました」


 彼女から本を受け取ると、男は震える手でページをめくっていく。

 一ページ、一ページ、なにかを確かめ、噛み締めるように……そうして最後のページに書かれた一言を読むと、男は声を殺して涙した……。


「確かに……確かに、コレは俺とアイツの『冒険の書』だ。噂は、噂は本当だった……ありがとうございます、神官様」


 本を抱き締め身体を丸めるようにして頭を下げる男へ、


「いいえ、お役に立ててなによりです。それと、最後……ご親友とお会いになりますか?」


 問いかけるノンネに、彼は小さく頷いた。


 案内されたのは祭壇の横に設けられた石造りの霊安室。

 ノンネに促され安置された白い棺を、男は恐る恐るのぞき込み、息を飲んだ。

 そこには手足を失ったボロボロの遺体ではなく、生前と変わらぬ姿で安らかな表情を浮かべて眠る親友がいた……。


「少しでも綺麗なお姿でお別れをできればと、手を施させていただきました……」


 その言葉に男はノンネの手を取ると、感謝の言葉を重ね何度も、何度も頭を下げる。

 冒険者はまともな姿で死ねない……それが迷宮都市の常識だった……。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 数刻後すうこくご

 男が親友との別れを済ませ小神殿を去るのを見届け、ノンネは霊安室の棺をひとり地下へと運ぶ。

 

 勾配こうばいゆるい坂を下り、先にある頑丈かんじょうな鉄扉を開けると、そこには数多くの棺が安置されていた。

 フラーム小神殿・地下大霊廟ちかだいれいびょう

 知る人ぞ知る、迷宮都市最大の地下墓所がそこにはあった。


 ノンネは運んできた棺を墓所の一画へ安置すると、その横にせんだって男に渡した『冒険の書』と同じモノを立て掛ける。この世にたった二冊。彼らだけの冒険を記した本。

 彼女は棺に手を合わせると、大霊廟だいれいびょうをあとにする。


 向かうのは小神殿の屋上。

 そこにある鐘をノンネは祈りを込めて響かせる。

 もうこれ以上『冒険の書』の読者が増えぬように、冒険者が仲間たちの死を悲しまぬように……。


 そんな願いとともに迷宮都市ラビリントの空に今日も鐘が鳴る――。


                   完

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