「方舟の住人たち」
水涸 木犀
episode6 「方舟の住人たち」[theme6:私と読者と仲間たち]
「オウルさーん……」
遠くから、俺を呼ぶ声がする。狭い船内とはいえ、この声量ならば巻ける距離だろう。聞こえなかった振りをして、角を曲がろうとした。
「っと、失礼しました、キャプテン」
「その呼び名はやめろ。……普通でいいから」
ぶつかりそうになった流れで、反射的に素の言動をとりそうになった。慌てて言葉を付け足す。宇宙船に乗り込むならば、無愛想で言葉足らずなのを改めるべきだと自戒する。しかし、それでもなお不足があったらしい。反対側から来た青年は身体を固くした。
「い、いえ、そんな恐れ多いです」
「こういう人が多いから、取材させてほしいんですけど?」
すぐ後ろから彼女の声がして、俺はため息をつきそうになるのを
「しゅ、取材ですか?」
しかし、青年の関心は彼女の言葉に向いたらしい。その隙にこの場を離れようとして……失敗した。振り返ると、腰に巻いたベルトを彼女がしっかりと握りしめている。
「さすがにもう逃がしませんよ。オウルさんもわかってるでしょう?一人一人にいちから話しかけるより、記事で読んでもらった方がスムーズだって」
「記事って、「方舟の住人たち」のコラムのことですか?」
「そうそう。寡黙・寂黙・黙殺の三黙と名高い
「その三黙とやらを広めたのはお前だろう……」
俺は抵抗する気が失せて、両手を軽く上げた。
「で、食堂に行けばいいのか」
「はい! あ、オウルさんの個室でもいいですよ」
「ミノリに部屋を漁られてたまるか」
「家主の前で
「どうだか」
低重力を活かし、手を上げたまま引きずられていく俺を、青年は
☆ ★ ☆
「オウルさんも、「方舟の住人たち」は読んでますよね」
「ああ」
食堂にやってきた俺たちは、隅の席に向かい合って座った。俺は手元の情報端末に「方舟の住人たち」のデータを呼び寄せてから彼女に頷きかける。
「掲示板の掲載許可を出しているのは俺だからな。このコラムは、クルーにも好評だと聞いている」
「オウルさん、中身読んでますか?」
「ああ」
本当に? と首を傾げる彼女には言わないが、実際のところ掲載許可を出す前から、熟読するのが常だ。この宇宙船NOAHで生活を共にするクルーたちの幼少期や最近の出来事をまとめたコラム、「方舟の住人たち」。ジャーナリストの腕を活かしたミノリの試みは、思いがけず船内に良い影響を与えていた。
狭い船内では仲間に不快な思いをさせても、逃げることができない。一時的に逃げても、翌日には必ず仕事で顔を合わせる。だから、プライベートなことを問いかけるのは地上にいるときよりずっと気を使う。そう思っていたのは俺だけではないようで、作業をしながらもお互いの顔色を伺うクルーが多い印象があった。
しかし、ミノリは持ち前の取材力から、丹念に彼らの話を解きほぐしていった。節電のために一日に三回しか表示されない掲示板の前に、毎週「方舟の住人たち」のコラムが載る。掲載されるたびにクルーたちが群がり、同僚の過去についてあれこれ思いを馳せる。本人が現れたらその場は質問攻めの場と化す。そうやって彼らは少しずつ、お互いのことを知っていった。
「好評なのは知っているし、俺もいい取り組みだと思う。だが、俺の過去は調査済みだろう? 面白いエピソードは無いぞ」
そもそも、ジャーナリストの彼女が宇宙船に乗っているのは、俺が乗船するきっかけとなった新星探査計画「オリーブと鳩」の謎に迫るためだった。計画推進の中心人物である俺の情報は、それこそ船に乗る前から一通り調べ尽くしているに違いない。
「オウルさんの過去は、紙面と伝聞で得た無機質な情報にすぎません。生身のオウルさんの言葉があって初めて、情報が生き物になるんです」
「無機質な情報が、生き物になる……?」
「あーもう、頭で考えないでください! 要は今の言葉で、過去のあなたの話を聞くことに意味があるんです」
わかったようなわからないような。彼女の言葉は感覚的で、俺にはあまりなじまない。しかし、彼女が本気で俺の言葉を引き出そうとしていることはわかった。
「オウルさんの記事は、三章構成にするつもりです。一章がドクター・クレインとの出会い、二章が「オリーブと鳩」の推進、三章が宇宙船NOAHの生活ですね。一章一話じゃ到底書ききれないので、長編になりますよ」
「どこまで
「許可いただけるのであれば、どこまででも」
「やめておけ」
「そういわれると思ったので、大まかな原稿を作ってきました」
彼女が懐から電子端末を取り出すのをみて、俺は顔をしかめた。
「俺から直接話を聞くんじゃなかったのか?」
「といっても、オウルさんにキーワードを振っただけでは話が膨らまないので。わたしが書いた
いつも見てますもんね、と言われて目を逸らす。人には見せていない言動まで、彼女には知られていそうで居心地が悪い。とはいえ、意に添わない情報が船内に張り出されるのはもっと不本意なので、視線を合わせないようにしながら文章データを受け取った。
「出会いの経緯は、こんな仔細じゃなくていい。
微笑ましい視線を向けられている気がしたが、全て無視して校正に集中した。
☆ ★ ☆
「キャプテ、オウルさん!休憩ですか」
「ああ」
「お疲れさまです」
「お前もな」
俺が手を挙げると、青年は笑顔ですれ違っていく。
「方舟の住人たち」に俺のコラムが載ってから、明らかにクルーたちが俺に話しかけてくることが多くなった。別に、コラムについて直接聞かれるわけではない。ただ顔を見て目をそらしたり、挨拶のときにどもったりする人がいなくなった。俺はあまりおしゃべりを楽しむ人間ではないが、すれ違いざまの挨拶がにこやかになるだけでもありがたい変化だった。
——ミノリに、お礼を言わないとな——
脳裏に、ドヤ顔で胸を張る彼女の姿がよぎった。しかし、決心が鈍らぬ前にと床を蹴る。今回ばかりは、素直に感謝を伝えようと自分に言い聞かせながら。
「方舟の住人たち」 水涸 木犀 @yuno_05
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