ヘリオス達の午後

鱗青

ヘリオス達の午後

 〝貴方の行動はスフィアにおける重大な規定違反です。即時停止しないと現行犯死刑カタストロフィを実行します♬〟

 語尾の最後の調子が夢見がちな少女のようにふわふわとした、人間大の猫型縫いぐるみ。私、オマル=ゾグーはそのデフォルメされた眉間に重力銃グラヴィタイザの照準を定め、引金を引いた。

 馬鹿みたいに平和な顔に開いた傷口からパリパリと放電の糸を引きながら、縫いぐるみは倒れる。私は一安心だと顎肉の汗を拭う。背後から同じような動物の縫いぐるみが大勢近づいている事に気が付かないまま。

 奴らが腕や尻尾の先を鋭い刃物に変形させ、襲いかかる間際。

「どこまで隙だらけなんですか。引退して平和に暮らしたらどうです、先輩」

 押し殺しても腹に響く鋼のバリトン。新型の重力銃で瞬時加速された空気や塵…要するに周辺にある適当な物質が弾丸となり、素早く正確無比な射撃で縫いぐるみどもを串刺しにしていった。

 最後の一体がコア部分を撃ち抜かれて倒れる。そこに立っていたのは私の部下であるボヤン=スパレヴィッチ。防刃・防弾スーツのゴテゴテとしたシルエットの上からでも双璧を成す大胸筋が分かるほどの筋肉量。二十代前半、誰もが羨む偉丈夫だ。

 対して私。かつては中肉中背、そこそこ鍛えていたのだが三十の声を聞いてから肥りはじめた。おまけに頭髪も元気に後退中。酒場で女性に警戒はされないもののベッドを共にする相手には常にあぶれてしまう、そんな微妙なお年頃。

「音立てずに背後から近付かないでくれよ」

贅肉ぜいにくが鼓膜にまでついてしまったのでは」

「上司への口の利き方を忘れてないかい」

もとより知りません。作戦に必要ありませんから」

 私はボヤンの腰を通り過ぎざま裏拳で軽く叩く。無愛想で毒舌家だが、生死をかけた任務では彼以上に信頼できる相棒バディはいない。私達は連れ立って足場を移動した。

 やがて現れたのは断崖絶壁。その向こう、眼前に広がるのはさかさまに広がる農園プランテーションと、大小入り乱れたパステル調のビル群。

 此処ここはスフィアと呼ばれる人工衛星。広大な内部構造に人類の知識を蓄え、文化を閉じ込めている巨大な監獄。

 私達は内部の中央に浮かんだ心臓部──重力発生装置を内蔵した立方体形の施設に侵入し、まさに今とある品物を強奪してきたところだ。

 私は振り返る。この施設自体には重力は発生していない。先程襲ってきた縫いぐるみ型の警備アンドロイドも自分達も、自力で(私達人間は道具の力で)落下しないよう吸着しているのだ。

「回収ポイントは侵入口にした射出孔です──さ、収穫を預かります。一冊だけでしょう」

 ボヤンの腕が私の胸に固着された聖櫃ブックセーフに伸びたが、掌で要らんよと告げた。

「これは私が届けたい。責任を持って」

「…読者に、ですか」

 私は頷く。

「古臭い考え方ですね。…追手をまきながら急ぎますよ」

 折良く、いやこの場合は折り悪しくだろうか。のほほんとしたビバルディの『春』のメロディが流れ出す。これは緊急事態アラーム。いついかなる時にも『スフィア内部の生息者の心身を乱さぬ』為の配慮というわけだ。

「そうだね。行きは良い良い帰りは怖い、っと」

 重力制御靴グラヴィールにコマンドを入力。私とボヤン、大中二つの肉体が宙に浮かび、急速発進。来る時は抜き足差し足、低空の超低速移動だったが、既に死刑宣告までされた身は軽い。文字通り羽が生えたように飛び去るのみ。しかしスフィア内部は広大だ。

「来ました。意外に大群です」

 ボヤンの言葉に私も目玉だけ動かして立方体を確認する。急速に小さくなり骰子サイコロ大に見えるまで距離が開いたその建造物から、蚊柱のような影が大容量の竜巻となって舞い上がっている──機械アンドロイドの群体。

「ボヤン、武器の支援は⁉︎」

 耳元で渦巻く風に負けないよう叫ぶ。

「僕達の行きつけの定食屋ダイナーと同じです」

「えーと、補充おかわりはできないから自分で何とかしろ。そういう事なんだね!」

 私は笑いながら進行方向へ飛行したまま体勢を反転。足元方向から無数の浮塵子ウンカの如く飛来する凶暴な番人どもに重力銃を構える。

「急襲飛来型は私が引き受けた!」

「撃てば当たる簡単な仕事ですよ。僕は地来走行型を狙います」

 一々いちいち小憎らしい皮肉を言うボヤンだが、地面(私達には『壁面』だ)に潜行しいきなり目の前に躍り上がってくる型に対抗するにはより鋭敏な反射神経が要求される。つまり若者向けというわけだ。

 私は自分で割振った分担をこなす事に集中する。

 左右、上下。乱数的な軌道で回避する相手に弾幕を張る。手足をもぎ取られ、頭部や胸部を撃ち抜かれた機械アンドロイド達は力なく地面に落下していき、途中でバラバラに自己分解して消滅する。

 パステル調のビル群に白服に身を包んだ人間達が見える。そのうちの一人と目が合った気がした──思考を放棄した虚無に満ちた眼差し。私は舌打ち二つ。

「生ける屍と目が合ってしまった。縁起が悪い」

 のみのような跳躍で進行方向を塞ぐ走行型二体を撃ち落としながら、律儀にボヤンは言い返す。

「そうなるのが嫌で脱出したんですよね、先輩」

 この衛星スフィアの内側では飯を食うにも糞をひるにもシステムの管理を受けねばならない。人間の、人間による、人間らしい自由など欠片かけらもないのだ。

 西暦一万年を超えた現在。幾多の大戦と再生を経た人類の世界は壊れてしまった。さながら何度も破れテープで補修された紙が、耐久限度を超えてボロボロと朽ちていくように。

 人類の半分を支配したAI人工知能は〝退屈を恐れ発展しようという『意志』こそが人類を破滅の危機へ突き進める燃料である〟と判断し、それを防ぐ為…つまり事を目的としてこのスフィアを建造した。

 此処では人界の不合理は存在しない。住人は加齢せず、規定に服従し、あらゆる刺激・娯楽から遮断され、『バイアスの無い環境における学術研究』のみ行って悠久のときを生きるのだ。

 確かに外界は危険が多い。疫病もある。犯罪も。同士討ちや仲間割れのたぐいの愚行もんだ事はない。

 しかし、それでも。

 文化を慈しみ、感情を昂らせる事は人間を人間たらしめるに必要不可欠な筈だ。私達が命懸けでスフィアから強奪し解き放つ文化財にはその使命が宿っている。いわば漫然とした死に対する特効薬だ。

「そろそろ出口です。エネルギーはちそうですか」

大盤振舞おおばんぶるまいでカラッケツになりそうだ!」

 重力による加速で空気をも弾丸に変えるこの銃は弾倉の心配をしなくていいが、エネルギーは消費する。今回は敵の数が多い。次々とエネルギーパックを装填そうてんしては空になったものをてていく。

 攻勢の手が緩まない。今回のは余程警戒する対象であるらしい。

「いざとなれば降伏しますか」

「スフィアは外来者よそものを嫌うんだよ!残念だが諦めるんだな!」

 なんとか射出孔まで辿たどり着いた。静かに着地。

流石さすが元・スフィアの住人。詳しいですね」

 私は先に立って警戒しながらエアハッチへ歩みを進める。大分だいぶん靴の充電が少なくなってきているが、もうそこまで飛んだり跳ねたりの必要は無かろう。

「命令に従い大人しくしていれば飢える心配も死ぬ恐怖も無縁。僕達生まれの人間からしたら羨ましくなる環境です」

 私は肩をそびやかす。ボヤンは戦闘能力も冷静さもずば抜けた期待の新鋭。唯一の欠点はこの若い思考ぐらいか。

 冷笑的な態度の原因の一端は私の頼りなさだろう。元スフィア生まれを買われて文化財奪還チームに組み入れられた脱出者。自分より劣る上司の下では面白いわけもなかろう。

 私達の立てる物音が四方の壁に反響する。作戦は撤退が一番危険なのだ。私の顎がまた汗でぬめり始める。

「ところで先輩。スフィア生まれでない者が内側に入れる唯一の条件を知ってますか」

 殿しんがりで銃を構えているボヤンの無機質な声が残響リバーブを伴い広がっていく。

「外界の人間をスフィアの為に殺す事…かね。そんなのただの噂だよ」

「信憑性の確認には実際に試してみるしかないですからね」

「無駄口を叩くなんて珍しいじゃないか」

 見覚えのある部屋へ入る。巨大な円形の射出孔が顎を閉じていた。私はスーツの襟元のスイッチを押す。首元から透明の膜がせり上がり、頭部をスッポリ覆った。気密に問題がない事を確認し、私は手動でハッチの安全弁を外す。

 出し抜けに死角になっていた射出孔の凹凸からわらわらと機械アンドロイドが湧いて出た。

 私はやけくそで乱射。ハッチが宇宙の闇へ大きく開放されるが、大乱戦の最中さなかに敵に背中は見せられない。

 体がふわりと浮く。空気が抜けたからではない。靴の電力が尽きた!

「ボヤン!今度は私が援護する、先に脱出して──」

 私は語尾を喉に詰まらせた。首を捻った先で、逞しい青年は私の背中に照準を向けている。

「ボヤン、まさか…」

 裏切るのか。私の命を捧げて安寧を得る為に。

 青年が薄い唇を僅かにたわめる。数年来すうねんらい共に死線をくぐってきて、初めて見た笑みだった。

 彼が引金を引いた。激しい衝撃。目の前が真っ白になる…

「いい加減起きて下さい先輩」

 不機嫌ないつもの声。うっすら瞼を上げる。光発電板に覆われた衛星が遠ざかっていた。

「裏切りなんて非効率的な事、僕がするわけないでしょう」

 マイク越しではあるが、背後から私を抱きすくめているボヤンの声に間違いない。

 すると背中を撃たれたのに無事なのは何故だ?

「僕の銃は最新型です。咄嗟に重力加速のベクトルを僕の方に向けて、先輩を引き寄せてから靴の力で思い切り飛び出しただけですよ」

 降参。何もかも正解だ。

「もう私が教える事は何もないな。他のチームに推薦しようか」

「とんでもない!先輩とでなければ僕は働きませんからね。…ほらもっと僕に掴まって」

「うん。そっちに向き直ろうか?」

「ダダダダダダ駄目です!救助班に見られたらどうします⁉︎だ、抱き合うなんてそんな」

 珍しく派手に動揺している。まあいいか。

 私は胸の聖櫃を撫ぜた。幸い傷一つなく無事だ。

「それのせいでいつもより手がかかったんですからね。何て本です?」

 何かを誤魔化すように咳払いをするボヤンに私は本の表紙に刻印された文句を告げた。

「『幸せな王子』さ」

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