妖精は飴玉がお好き

管野月子

機械に悪戯する怪奇現象

 本日の終業まであと一時間。

 薄暗い個室の中で発光するプレートを見つめながら、私は「むぅぅ」と思わず唸っていた。

 数世紀前に滅んだ地球文明――その廃墟の中に埋もれていた情報機器から、先時代の様々なデータを読み取り復元する者、通称「読者」が私の仕事。


 衛星軌道上のコロニーと月と火星に残ったわずかな人類が、一世紀をかけて環境を立て直し、ようやく過去の遺産の復元という事業を行えるまでに余裕が出てきた。私たちが今やっていることは、人類にとって有意義なもの……なのだけれどね。


「膨大すぎるのよ」


 国家の命運を分けたような機密データもあれば、子どもの日記や恋人同士の喧嘩メール、スリムを目指す晩ご飯レシピ、なんてものもある。それらが無分別の状態で、記録データの海の中を漂っている。

 更に言うならば、データの最初から最後まで、完全な状態で復元できるものは少ない。大昔の言葉でいう「歯抜け」や「虫食い」状態の断片を見て、その隙間を私たち「読者」が補足させることも重要な仕事なのだと自覚しつつ、ため息が出る。


「ロレイン、ねぇ、ロレイン!」


 壁で仕切られた隣のブースから声が掛けられた。

 同じ「読者」をしている同僚のドロシー。何か気になるデータでも見つけたのだろう。


「何かあった?」

「見て、これ……ちょっと面白いデータだと思うの」


 焦げ茶の前髪の隙間から緑の瞳を覗かせたドロシーが、白い指をボードの上に滑らせた。ノイズを挟みながら、読み取ったデータを表示する。それは、一言でいえば「奇妙」であり「醜悪」と呼ぶような形をしていた。


 サイズは二十インチあまり。大きな耳。鋭利な角。飛び出しそうなほど大きな眼球と鋭い歯。所々抜け落ちた毛と、今にも肌を裂きそうな短い爪を向けた姿に、私は顔をしかめる。


「センチでいうと五十くらい?」

「そうね。で、ジャ……何ウサギかしら」

「この形状なら、昨年アーカイブしたジャックウサギ……じゃない?」


 私はドロシーの横から手を伸ばし、ボードの上に指を滑らせた。


 所々ノイズに崩れた小動物の画像が、わずかに重なり表示される。今まで幾つか見てきた「ウサギ」という生き物と比べて大きな耳をしているが、違いはその程度。対してドロシーが復元したデータの生き物と「ウサギ」は、あまり似ていない。

 発掘は年代は二十世紀初め。第一次世界大戦と呼ばれる大規模な戦争に前後して発生した、「機械に悪戯する怪奇現象」にまつわる生物だという。


「グレムリン、と呼ばれるものらしいの」


 囁くようなドロシーの声に、私は返す。


「これは……本当に、地球で派生した生き物?」

「それがハッキリしないのよ。この時代に突然現れた現象……という表現がされているわね。兵士たち……により、報告された」

「この姿は、フォト、ではないのでしょう?」

「解析ではアートと判定している」


 先時代の人たちは実在していた生物と同様に、空想上の産物もデータとして残している。むしろそうして創りだされた「物語」の方が多く、私たち「読者」を混乱させるもとになっているのだが。


「原因不明な状態で、様々な計器を狂わせ破壊する生物らしいの。実際にそのような異常な動作が起きることを、グレムリン効果と――ニュースペーパーにも残されているわ」


 ドロシーが更にボードを操作して、復元した幾つかのデータを展開させる。


「かつて地球で大規模な災厄が起きたのは、これらの妖精――とも呼ばれる生物が都市のシステムを破壊したことも、原因の一端となったのではないかしら。だとしたら、この脅威はその後どうなったのか追跡しないと……私たちの住むコロニーだって……」

「信憑性はどうかしらね」


 私は腕を組んで唸った。

 一読者として、これが空想の産物であるなら、それでいいと思っている。先時代の人々による、豊かな創造力イマジネーションによるものだと報告して、文化芸術のカテゴリーに収めれば済むことなのだから。


 けれどこれが実在の危険な生命体として判じられ、定説となれば、後々の復元作業に悪影響を及ぼす可能性が出て来る。

 虫食いの穴を私たち「読者」が誤った補足をすることで、過去はどこまでも原形をとどめない怪物へと変貌していく可能性があるのだから。


「他にも記述はあるわよ。ある地域では機械の部品を納入する時、飴玉キャンディーを入れたそう……ほらここ、このお菓子を与えるから、大切な部品に手を出さないでくれ……と」

「なるほど」


 真剣なドロシーの声に、私は頷く。

 ドロシーは、このデータの発見と復元を通して、キャリアを積みたいのだろう。その気持ちはよくわかる。読者としてのセンスを認められれば、住まいの自由を約束される。

 今や犯罪さえ起こさなければ最低限の生活は保障されるが、月や火星や、今私たちがいる衛星コロニーに余分な居住区はない。キャリアを積み重ねることで自分の居場所スペースを確保することは、過酷な小惑星帯に送られないための保険となる。


「ドロシー、確かにこれは貴重な復元データだと思う」

「やっぱり! なら――」

「だからこそ、もう少し慎重にいきましょう。これが事実を記録したものでは無かったとしても、この時代の不安定な機械部品に対して人々がどのような思考をしたのか、とても面白い記録データとして価値を見出せる」


 都市伝説という文化は、その時代の思考を端的に表しているのだから、たとえ「創作」だったとしてもデータの貴重さは変わらない。

 私のゆっくりと、そして確信を込めた声にドロシーは真剣な表情で頷いた。


「だから例えば……機械部品の精密度が上がった二十一世紀や二十二世紀にも、そのような記述があれば、これが事実か空想の産物かを判じる手がかりになりそうじゃない?」

「そうね……わかった。もう少し年代を広げて読み解いてみる」


 ドロシーが頷き、モニタに向き直る。

 その背を軽く叩いて、私は続けた。


「ねぇ、ドロシー。今日はもう丁度いい時間だし、一度気持ちをリフレッシュした方がいいわよ。あまり根を詰めすぎると大切な記述を見逃してしまうかもしれない。ここからが私たち、読者としての腕の見せ所なのだから」

「そうね……」

「明日、もう一度広い範囲でデータをさらってみましょう。あなたの読者としての腕は期待しているから」


 イスから私を見上げていたドロシーは、言葉を噛みしめるようにしてから頷いた。


「私……少し興奮しすぎたみたい。ねぇ、ロレインにもデータを回していい?」

「もちろんよ」


 私は笑顔で答えて、自分のブースへと戻った。


     ◆


 薄暗い個室の中で発光するプレートを見つめながら、私は無言でプレートの上で指を滑らせる。その動きに反応して、様々な時代の記録が映し出されていく。

 ノイズに霞んだ、浮かんでは消えていく地球の物語。


 定時となり、周囲の読者たちが三々五々に退勤しているのを背中で感じる。やがて誰も居なくなった暗いフロアに一人残された頃、足元でカタリ、と音がした。


『今日も一人か?』

『残業はよくないぞ』

「先時代人のようなことを言うのね」


 軽く笑うようにして答えながら、私はイスを引いて足元の影になっている場所を覗き込んだ。

 卓上の整えられたボード上やディスプレイと違って、幾つもの配線コードが、まるで生き物の筋肉模型のように束ねられ、または複雑に絡み合っている。その束の間を潜り姿を現したのは、大きな耳を持った膝丈ほどの生き物だった。


 先ほどドロシーが、機械に悪戯する怪奇現象と言い表した「グレムリン」の本当の姿であり、私の密かな仲間たちでもある。


「話、聞いていた? ドロシーがあなた達の古い言い伝えを復元したわ」

『聞いていたよ。なるほど、こいつは醜悪だ』

『ははは、ひどい書かれようだな』

『まぁでも……この、妖精っていうのは当たっている』


 小さなグレムリンたちは、私の膝やボードの上に乗り、次々とデータを閲覧していく。

 ジャックウサギに似た大きな耳。顔は短毛の猫のようであり、身体は手足の長い猿に似ていなくも無い。ちなみに尾は見当たらない。

 「奇妙」でもあるし、愛くるしいと思うかどうかは人それぞれとして、少なくとも私には「醜悪」という言葉は当てはめられない。


「このデータ……せっかくドロシーがここまで復元したのだから、彼女の実績にしたいのよね。でもあなた達の好意的な記述が少なくて」


 長い耳を添わせるように、柔らかで温かい小さな頭を撫でる。


「誰も見ていないところで、ずっと人類を助けてきたのだから」

『機械の誕生と共に生まれたオレ達だ。機械が無事に動けば、それだけで嬉しいものさ』

『祖先が悪戯したのは、人間たちが敬意と感謝を忘れて、手柄を横取りしてきたからだ』

「そう、だからそろそろ、日の目を見てもいいと思わない?」


 こうして私たちが過去の偉大な記録に触れられるのは、彼等が密かに、これらのデータを表示させる機械ハードを守備点検してきたからだ。形として残す技術を支えてきた影の存在がいなければ、人類はここまで発展しなかったのではないかと思う。

 それなのに彼等は大きな瞳で私を見上げ、ニヤリと口の端を上げた。


『オレたちは学んだ。手柄は人類にくれてやるよ』

『ロレインがこうして敬意と感謝を示してくれるのだからな』

『どうしてもっていうなら、代わりに飴玉キャンディーよこせ』

「もちろんよ」


 私はポケットから色とりどりの飴玉が入った小袋を渡す。

 受け取ったグレムリンたちは、もう一度ニヤリと笑って、機械の奥の方へと姿を消していった。



 私と読者と小さな仲間たちによって、日々、失われた地球の歴史は復元されていく。だからどんな「物語」も大切にしてほしいのだと、未来の人々に知らせたい。

 これは「読者」としての私の密かな願い。






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妖精は飴玉がお好き 管野月子 @tsukiko528

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