神さん

麻々子

神さん

  


             

 松の木の枝の下をくぐって、ゆるい坂を上っていく。坂は、お城のような家に続いていた。ここは、三年のクラス替えで初めていっしょのクラスになった明美ちゃんの家のとなりにある教会だった。信者さんが集まって来るから、ふつうの家の広さではない。

 教会の雨戸はぴっちりと閉まっていた。

「ものすごい家やな」

「家の前通ってる時より、近づいたほうがすごいなぁ」

「本当に、こんな家で遊んでもええんかなぁ」

「明美ちゃんがええいうたはるし、ええんとちがう?」

「うん、明美ちゃんが家の人に聞かはったら、教会で遊んでもええていわはったんやて」

 男の子三人と和ちゃんと私は、雨戸の前で教会を見上げた。 

「こっち、こっち」

 目の前にいっぱいに広がっていた板戸の一枚があけられ、明美ちゃんが手まねきした。

 私たちは、おそるおそるくつを脱いでへやにあがった。

「ひろー!」

「ごっついなぁ」

 へやは、体育館のように広かった。しひきつめられたたたみは、緑の香りがする。

 正面には、床の間のように一段高くなったところがあり、そこには大きな太鼓や、鼓、墨で黒々と「神」とかかれた大きなかけじくがあった。その奥に祭壇があった。そして、内に入らないようにか、太い竹の棒が横に倒してあった。

「ひえー」

 雅夫君が、とつぜんたたみの上をすべった。それが、合図のように、私たちは意味なくへやの中を走り回った。

「ひやー、ほんまにようすべるわ」

「手、ひっぱって、ひっぱて」

 私たちは、走り回っているうちにおにごっこをしだしていた。だれかがだれかをおいかけていた。そして、みんなが走って逃げている。

「つかまえた!」

 手を持ってたたみのうえを引きずって、まわす。また立ち上がり、追いかける。

 男の子が男の子を追いかける。

 祭壇の前に置かれた横竹もひとまたぎで、大きなたいこのうらにかくれた。見つかると、またバタバタバタと走って逃げる。

 息切れをした私たち女の子は、きゃぁきゃぁいいながらそれを見ていた。

 その時、横の襖がさっと開いた。

「こら、そこへ入ったらあかん」

 黒い着物を着た白髪の男の人が、突然現れた。

 男の子たちは、顔を見合わせて頭をさげた。

「おじいちゃん、ここで遊んでええいうたやん」

 明美ちゃんが、男の人にいった。

「遊んでええいうても、部屋の中では静かに遊ばなあかんやろ。ほら、お前ら、関守竹からは入ったらあかん。はよ、そこから出んか。そこをどこや思てるんや。神さんがやはるところやで。この罰当たりが!」

 男の子たちは、びっくりして祭壇からおりた。

「こんなにばたばた走りまわるんやったら、外で遊べ」

 おじいさんの大きな声で、私たちはすごすごと外に出ていった。

 

 次の日、明美ちゃんは学校を休んだ。先生は、風邪だといっていたが、私は、明美ちゃんに神さんが罰を当てたのではないかと心配していた。

 学校の帰り、私は明美ちゃんの家に学校で配られたプリントをとどけにいった。

 教会へ続く長い坂は水がまかれていた。

 となりの家に明美ちゃんがいるのは、わかっていたが、私は、もう一度教会の中に入ってみたかった。

 私は、坂をのぼっていた。坂をのぼっていくと、気持ちまでしずかになっていくようだった。神さんがいるところとはこんなところなんだよ、といわれたら、私はそうだと信じることができそうだった。

「こんにちは」

 私は、板戸を少し開けた。

 中は、だれもいなくてうす暗かった。戸をあけたところだけに光がさしこみ、私のかげが長くのびていた。

「やっぱり、神さんがやはるんかなぁ……」

 私は、くつを脱いでへやにあがった。

「神さんて、どんな格好したはるんやろう」

 私は、きのうおじいさんがそこには神さんがいる、といった祭壇に近づいた。竹の棒ぎりぎりまで進み、首をつきだした。

 そのとき、声が聞こえた。

「どなたですか?」

 きのうのおじいさんの声より、若くやさしい感じがした。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 私は、神さんの声だと思った。

「どなたですか?」

 またその声がした。

「明美ちゃんの友だちです。だまって、へやに上がってごめんなさい。そやけど、ここには上がっていません。ちょっと、のぞいただけです。罰は当てんといてください。おねがいします。おねがいします」

 私は、正座して何回も頭を下げた。

「ここの襖を開けてくれますか?」

 声は横の襖の後からした。

 私は、おそるおそる声のする方に進み、襖をあけた。

「ありがとう。ぼくは、足が動かせないんだ。だから、襖をあけてもらったんだ」

 男の人が、つくえの前に座っていた。

 ああ、神さんはこんな人なんやと私は思った。黒い着物を着た髪の長い神さんだった。

「君は、ここで何しているの?」

 神さんの声は、静かでふわふわただよっていくようだった。

「明美ちゃんに学校からのプリントを……」

「明美の友だちか……。そうか、きのう騒いで、じいさんに叱られた子だね」

 神さんは、ふっと笑った。

 私も、つられてにっこり笑ってしまった。

「おじさんは、神さんですか?」

「ぼくが、神さん? 神さんに見えるかい?」 

私はまじめな顔をして、うんとうなずいた。

 神さんは、楽しそうにハハハと笑った。

「神さんだったら、足が動かせなくっても、襖ぐらい開けられるだろうけどね。ハハハ、ちがうよ。明美のおじさんだよ。となりの家に明美のおかあさんがいるはずだけど、いなかった?」

 私は、そうなんだと思った。この人は、神さんじゃなくって明美ちゃんのおじさんなんだ。ちょっとがっかりした気持ちと、よかったと安心した気持ちがまじっていた。

「まだ、明美ちゃんの家には行っていません」

「ここに用があったの?」

 うんと私はうなずいた。

「きのう、ここに、神さんがやはるって、いうたはったし……」

「神さん? それを調べにここにはいってきたわけだ」

「うん。きのう、おじいさんがそこの太鼓のあるところに神さんがやはるって、いうたはったし……」

「神さんか、いるかなぁ……?」

 おじさんの声は、そっけなかった。

 きのうのおじいさんは、神さんがいるといい、この人はいるとはいわない。

 私は、じっとおじさんを見ていた。

 すると、それを感じたおじさんは私から顔をそらした。

「神さんがいるとしたら、ぼくはこんな所に座っていなくってもいいはずなんだ」

 おじさんは頭をふった。

「いや、そうじゃない……」

 おじさんはうつむいて、片手で口のあたりをなでていた。

「神さんて、なんだろうね。神さんて、なんだと思う?」

 おじさんは、私にきいた。

 私は考えた。

「なんでもできる、えらい人、とちがうの?」

 私はきいた。

「人か……、そうだね。神さんは人が作るものかもしれないね」

 おじさんはうんうんと頭をふった。

 私の答えは、当たっているんだろうか、間違っているんだろうか……。

 そのとき、さぁさぁっと板戸が一枚づつ開いていった。へや中に光がさしこむ。へやの中が徐々に白くなっていった。

 私は、まぶしくって目をつむった。ゆっくりと目を開けると、黒い影が見えた。

 私はよく見えるように、目を細めた。

「あら、千代ちゃんやないの、そこでなにしてるん?」

 影が私を呼んだ。

「姉さん。この子にぼくの話し相手になってもらってたんだ」

「へぇ、そうなん」

 影は最後の戸を戸袋に押し込んでいた。

「さっきの話は、ないしょだよ」

 おじさんが、くちびるに指を立てて私にいった。

 私はこっくりとうなずいた。

「千代ちゃん、おじさんとのお話、終わったた?」

 影は、明美ちゃんのおかあさんだった。

「明美に、学校からのプリントをもってきてくれたみたいだよ」

「ああ、そうなん。おおきに。明美も熱はもう下がったし、あしたは学校に行けると思うわ。家に明美がいるから、渡してきて。おじさんは信者さんを迎える用意をしないといけないしね」

 明美ちゃんのおかあさんは、おじさんの後に車いすを持ってきて、てきぱきと動いていた。

「はい、これ着替え。ちゃんと着替えてね」

「はいはい」

 おじさんは返事をしながら、私にパチッと片目を閉じ、いたずらっぽく笑った。

 

 私は明美ちゃんの家に行った。

「これ、プリント。先生が持っていってていわはってん」

「おおきに」

「もう、熱下がったんやて?」

「うん」

「さっき、おばさんがいうたはった」

「おかあちゃんにおうたん?」

「うん。となりの家でおうた。おじさんにもおうたわ」

「おじいちゃんとちがうの?」

「うん、おじさんやていうたはった」

「へえ、おじさんとしゃべってたん?」

 明美ちゃんが聞いた。

「うん。足が悪いっていうたはった」

「そう」

「おじさんって、やさしそうな人やなぁ」

「うん。ものすごやさしい。私、小さいときから大好きやねん。でも、やさしいから、歩けんようにならはってん」

「やさしいから?」

「おじさんはやさしいから、神さんにも惚れられはったんやて。おかあちゃんがいうたはった」

 明美ちゃんがかなしそうに目を伏せた。

「どういうこと?」

「おじさん、本当は、外国へ行っていろんな勉強がしたかったんやて」

「……」

「外国に出発しようとしやはった時、その日に足が動かなくならはったんやて」

「なんで?」

「そやから、神さんが、おじさんに惚れやはったんや。神さんがおじさんをそばにおいときたかったんやて。ほんで、足、動かんようにしやはったんや。神さんに惚れられはったんや」

「神さんに、惚れられはった……」

 うん、と明美ちゃんは神妙な顔をした。

 私は「神さんか、いるかなぁ……?」といったおじさんの寂しそうな顔を思い出した。

「神さんて、本当にやはるんやろか?」

「やはるにきまってるやん。おじさんが歩けるようになったら、神さんのこと、私は信じひん。でも、おじさんは絶対歩けへんねん。神さんがやはるから……」

「おじさん、歩けるようにならはったらええのになぁ」

「あんた、それ、神さんがやはらへんかったらええっていう意味か?」

 朋美ちゃんが怖い顔をしていった。

「ちがう、ちがう。そんなこというてへん。私、やっぱり、ようわからへんわ」

 神さんって何なんだろう。 『神さんか、いるかなぁ……?』

 少し悲しげなおじさんの声が聞こえたような気がした。

 了

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神さん 麻々子 @ryusi12

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