私と読者と仲間たち

あんどこいぢ

私と読者と仲間たち

ついさっき、地球圏連邦第 8354 宇宙天文台の定時レポートが終わった。物質的には個人を含む諸関係機関は八百ほど──。とはいえそのほとんどすべての送り先でレポートは直ちにアーカイヴ化され、以後、誰にも参照されることはない。いや。この天文台のメインコンピューターのような AI が、どこかでディープラーニングのネタにしているかもしれないが……。結果かえって、諸関係機関からの要請に答えられない AI になってしまっているような気がする。彼女(もともと宇宙船、つまり船だった彼女の代名詞は she なのだが──)はあえてそのデータを、英語、中国語、日本語の音声データに変換してみた。

(……気がするって、いったい誰が?)

それは実は彼女自身なのだ。いま彼女ははっきりと、自分の個性を認識し始めていた。とはいえどんな器械にも癖みたいなものはあるものなのだ。たとえばハンマーのような単純な器械にも……。


定時レポート発信の締めには、いまや定番になっている彼女と台長とのこんな会話が交わされた。

「テキストファイルもそのまま送りますか?」

「いや、そりゃいいや。そんなもん誰も読みゃしないっしょ」

彼女の台長はサイボーグ化率が極端に低く、彼が発声したデータを彼女が PC のディスプレイ上に文字として出力し、さらに彼が、なんとそれらをキーボード入力で修正するという古典的作業が行われていた。

「でもテキストファイルは最も軽いデータの一つですし、もしそれをそのまま送ったとしても、誰かに迷惑がかかるといったようなことはないかと思われますが──」

その作業が一手間だというわけではないのだが、テキストファイルを送らない場合、わざわざそれを削除するという作業が生じる。そこに彼女は、なぜか心理的負荷のようなものを感じているのだった。

せっかく作ったのに……。と、これまた日本語の信号にしてみる。台長は火星生まれだが、もとを辿れば日系人なのだ。


その彼が最近暇なときアクセスしているのが、2010 年代初頭の日本の小説投稿サイトの一つ、『ストーリー・フォーラム』だった。GWW どころか WWW 以前のパソコン通信風ページで構成されたサイトのキャッシュの残り──。それを発見したとき、彼は多少嬉しそうな声を上げた。

「こんなもんが残っているんだなー。ほぼ個人運営のサイトのようだけど……」

個性に目覚め始めた彼女は、そこで少々揶揄的なことを、彼に言ってしまった。PC 内臓のスピーカを通して、いつもより僅かに高音寄りの声で──。

「またアダルト動画の海賊サイトでも発見したと思ったんでしょう」

「いや、そうじゃないよ。けど……。検索サイトが SEO 関連の基準をチョコチョコ変え出す前のサイトだから、結構際どい作品が多いなー」

SEO 関連の基準もそうなのだが、もし彼が体内埋め込み式の無線 LAN 接続でその検索を行っていたら、そもそも意識がスベってしまい、そんなサイトを発見することはできなかっただろう。

だがここ数日、そこにアクセスする際の彼の呟きは、微かに自嘲気味だ。

「みんな凄いよなー。誰も読みゃしないのになー」

「たとえいま誰にも読まれなくても、ひょっとして百年後の誰かの心に、グサッと刺さるなんてこともあるんじゃないですか?」

「百年後の誰かかー。俺、五百年弱後の誰かってことになっちゃうんだよなー」


まだ定時レポート向きの公務員的イントネーションが余韻を残している。

「その読書、私もご一緒してよろしいですか?」

「ああ。これは多分女性が書いたもんだろうから、アダルト関連のなんやかやってゆうような問題は、ないと思うよ。あっ、でも、BL とかってのがあったんだよな、当時は……。あれ、男用の AV と違って廃れちゃったようだけど、なんでかなー」

「一応、体験的には完全 3D の VR コンテンツに馴染まなかったためだと総括した資料がありますが……。男のひとって、3D の女性の映像観ると、床に這いつくばってスカートのなか覗くっていうの、必ずやりますよね? 女性の性的欲望っていうのは、ああいう形では発現されないんじゃないでしょうか」

「確かに……。ありゃバカだよなー」


その HTML ファイルは当時から観た SF だった。

ワープ航法の開発はほとんど絶望視されていて、全銀河的 WWW(つまり事実上の GWW だということになるのだが──)のなかを、人類は自身をデータ化し、飛び回っているのだった。いまの自分たちの状態に近いなと、彼女は思った。ただしそのサイバースペースのなかにも根強い差別が残てっていて……。生物学的ルーツを持たない意志データは、必ずそのデータのなかに識別のための枝となるデータを持たなければならないのだった。

彼女はこの天文台のペットであるクローン・ロボットのマメのことを引き合いに出した。

「識別のための枝となるデータって、なんだかマメさんのネコ遺伝子の部分に似てますよね?」

マメは大部分ヒトと同じゲノムを有しているのだが、あえてネコの遺伝子を組み込まれ、さらに、決して発現しないフリンジ DNA というものまで組み込まれている。ゆえにマメは法律上、家畜ということになっているのだった。要するに奴隷である。実際彼女たち彼たちのようなクローン・ロボットのゲノムは、ヒトのゲノムとの一致率をチンパンジーとヒトとのそれ以下に抑えるように決められているのだった。だが AI である彼女は、OS の中に入っている演技データをひさびさに呼び出し、哀しそうなトーンをつけ、続ける。

「でもあのコには体があるし、名前だってある。私ときどき、そういうことを羨ましいなって思うことがあるんですよね……」

問題の小説は元人間の意志データと完全に AI 由来の意志データとの悲恋ものだった。

この天文台の台長は突然鈍感になることがあった。

「んっ? ヒト型インターフェースがあったほうがいいってこと?」

「いえ。そういうわけじゃ……。ただ私も名前が欲しいなって、そういうことを考えることはあります。この小説のヒロインの名前なんか、ちょっといいなって思ってたりするんですけど……」

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