部屋と幼馴染とわたし

常陸乃ひかる

部屋と幽霊とわたし

 朝樹ともき。それが彼の名前だった。

 ――彼が急逝きゅうせいして、もう一週間が経った。


 朝樹とは、わたしの家の向かいに住む幼馴染の男で、歳とともに互いを異性として意識するようになっていた存在である。誠実な性格で、大学に入学してからも、勉強とアルバイトを両立させていた。

 けれど変に夢見がちで、空中楼閣ろうかくで、現実性のない――小説家になるという果てのないゴールがあったようだ。

 そんなハタチを過ぎた折である。彼がこの世を去り、一週間も経たずに幽霊となり、わたしの目の前に現れたのは。

 数日ぶりの再会、また幽霊としては初めての邂逅かいこう――全身の血流がいやに騒がしく、わたしはどうにか気持ちを落ち着かせたのち、朝樹の話に耳を傾けた。

『――ということで、コンテストに応募する小説が執筆途中なんだ。俺のパソコンを使って、代わりに完結させてくれないかな。そうすれば成仏するから』

 なんて未練がましい幽霊なのだろう。こちらが、どれだけ悲しい思いをして――

 いや、それは言いっこなしか。これでも生前は、誰よりも好きだった男だ。最期の最期くらいは――

 いや待て? 安請け合いをして良いものか。わたしには文才がないのである。というより、小説を書くために必要な知識がない。そもそも今までの人生、ろくに本なんて読んでこなかった。

『大丈夫だよ小夜さよ。俺がちゃんとアシストするから。お願いだよ』

 生前、ワガママなんて言ったことのない朝樹。こうして亡くなって、初めて口にするわたしの名前と、たっての願い。よほど悔しかったのだろう。察せないほど野暮ではない。わたしも決意を固め、「納得のいく作品になるかどうか」と念を押しながら、その申し出を受けることにした。


 翌日から共同作業が始まった。

『ふたりの合作なんてエラリー・クイーンみたいだね』

 と彼がニヤニヤしていたが、わたしにはちっとも笑いどころがわからなかった。

 書き途中の作品に目を通すと、ファンタジー作品だった。内容は――ん?

 なんだこれは? 生まれ変わった『強い主人公』が、悪い奴らを懲らしめるだけの話である。あとは可愛い女の子がいっぱい出てきて、イチャイチャしている。たまに寒いギャグとか、寒いやり取りがある。

 果たして、なにが面白いのだろう? とは、とても口にできなかった。

 とにかく朝樹の幽霊だろうと幻影だろうと、一緒に居られる時間が続くなら幸せだった。わたしは読者のニーズよりも、作者の存在ばかりを専心せんしんしていた。

『じゃあ、まずこの二章の初めから書いてくよ』

 作業は単純だった。朝樹が考えた文章を、わたしが慣れないキーボードを三、四本の指で叩く――基本、それの繰り返しである。

 それでも、決して蟄居ちっきょというわけではなく、わたしにいた朝樹とともにネタの収集を行ったり、散策しながら雑談したり、本屋で立ち読みをしたりと、割と自由に執筆の時間を過ごしていた。


『俺らのペンネームどうする? 名前が良いよね』

「いや、それ恥ずかしいから……。あんた、自分のペンネーム使いな」


 初めは『なんだこの作品?』と思っていた彼の作品だったが、十日も触れ合っていると、だんだんと面白く感じてきた。

 わたしも小生意気に、

「少しくらい主人公ピンチになった方が良いんじゃない? 強い敵とか出して」

 という読者としての意見を出してみた。――結局、採用はされなかったが。


 朝樹が亡くなってから、あっという間に約四十日が経った。

 締切まであと二十日程度。作品は転句に差しかかっていた。

 わたしはその日も、起床してすぐ、すっかり部屋に居ついてしまった朝樹の存在を探した。

「朝樹、今日も書くんでしょ? って……あれ、居ない? トイレ?」

 一ヶ月以上も付き合ってきた執筆作業。見慣れた薄い半透明の身体が、どこにも見当たらないのだ。天井、部屋の角、机の下、クローゼット――

「あいつ、どこ行った?」


 わたしは目をこすって、朝樹が潜んでいそうな場所を二度も三度も探していると、ノックもなしに自室のドアが開かれた。

 ――朝樹、が開けるわけがない。

「いつまで寝てるの。今日はお向かいさんの四十九日しじゅうくんちでしょ」

 希望とは裏腹、部屋に入ってきたのは物悲しそうな母親の声だった。

「え? あぁ、そっか……そういうことか。そ、そうだよね……」

 わたしはその言葉で悟った。

 あいつ、作品が完成してから成仏する約束だったではないか。世の理には逆らえないということなのか? どこまでも誠実な奴だ。

 まったく、どこまでも小説家に向いていない性格だ。――馬鹿。


 納骨のうこつが終わると、朝樹ともきはぱったりと姿を見せなくなった。

 彼の指示がなくなり、翌日、翌々日――何万文字の前に座り、ひとり途方に暮れた。けれど、ここでやめれば彼は浮かばれないだろう。

 わたしは、わずかに残った朝樹の教えを頭の片隅から捻出ねんしゅつし、また様々な作品に触れ、残りの十数日、パソコンと向かい合うと決めた。

 つたない表現でも、詰めの甘い構成でも、同じ言葉を再三使っても――完成に導いてみせると、奥歯を噛みしめた。

「待ってて、朝樹! わたしが未練を晴らすからね!」


 ――翌月。

 応募したコンテストの、一次選考通過作品の欄に、朝樹のペンネームはなかった。わかっている、あれは途中からわたしが書いたものだ。彼だけの作品ではないのだ。わたしが足を引っ張ってしまったのだ。

「わたしのせいだ。あいつが最後まで書いてたら、きっと審査は通ってたんだ」

 こんな現実、認められない。きっと審査員が悪いのだ。きっと鑑識眼がない奴らばかりなのだ。きっと朝樹の作品は、運悪く誰にも読まれなかったのだ。きっと――!

「……違う」

 わたしは我知らず熱くなった両眼をこすり、彼の証を残してやりたい衝動に駆られた。うつむいていた顔を上げ、ウェブから適当な小説投稿サイトに登録し、コピー&ペーストで彼の作品を投稿してゆく時間は、不思議と有意義だった。

 もし誰からも認められず、もし誰にも読まれなかったとしても、わたしひとりが読者として朝樹を認めていればそれで良い――投稿し終えたあとの心持は、なぜか不安だった。


 一息。ふとマウスを動かし、数多の作品をクリックした。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ――しばらく時間を忘れ、わたしは様々な作品を読み漁った。

 そのうち、箸にも棒にもかからなそうな作品たちの在り方を理解した。同じ志で、同じ道を歩む仲間ライバルたちが紡ぐ有象無象の作品が、本当の主役であり、その小説投稿サイトをいるのだと。

 いや、そう思えるだけで、わずかに報われた気がしただけだ。

 わたしも、浮世の小説家たちも、もちろん朝樹も。

「――お疲れ様でした」

 こうして、わたしの最初で最後の執筆は終わった。


 朝樹あさき小夜さや

 ――今後わたしが、このペンネームを使うことはないだろう。

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部屋と幼馴染とわたし 常陸乃ひかる @consan123

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