図書館の本たち。

不屈の匙

本を読むあなたへ


 図書館の天井にいちばん近い窓の真ん中に、まんまるのお月さまがはまったら。

 月にいちど、本たちのおしゃべりの時間です。

 お行儀なんておいておいて、本たちはてんでばらばらに本だなの外へ飛びだします。


 紙芝居も、小説も、民族資料集も、

 みんな車座になっていそいそと口をひらきます。

 本は元来、とてもおしゃべりなのです。


「今月はね、読みきかせ会があったの! 幼稚園に行ってね、ほら、すぐそこの幼稚園よ。まいとし新しい子が目をキラキラさせてくれるの」


 楽しそうに話し始めたのは、紙芝居のお嬢さんです。

 彼女は図書館いちのおしゃべり好きで、たいていは彼女がいちばんに、その月の読み手について話すのです。

 今回も子どもたちと遊んだのだと、それは幸せそうに言うのでした。

 それに羨ましそうな顔をしたのは、小説のお兄さんです。

 今夜の彼は、少し、へたれて、油の匂いがしました。


「いいなあ。僕はつい昨日まで、ひどい子に選ばれてしまった」

「たしかに、ずいぶん汚れているわね」

「ポテトチップスを食べた手でベタベタと触らないでほしいよ……。ああ、僕に喉と舌があれば注意できるのに。もしも彼女に嫌われたらどうしてくれるんだ」


 さいきん、小説のお兄さんを借りた人が、油まみれの手で触ったようです。

 本は自分で自分の身なりをととのえることはできません。

 一度生まれたら、あたらしく装うことはできませんが、読む人の前ではきれいな本でありたいと思っているのです。

 お兄さんは深々とため息をもらしました。

 そんな彼を、ニンマリとしてからかう本がありました。

 地元の歴史についてまとめた、資料集のおじいさんです。


「そういえば最近、熱心におぬしを借りる少女がおるよのう」

「うるさいな! どうせ、あの子も大きくなったら僕を忘れるんだ。よしんば、買ってくれるとしても、僕じゃなくて兄弟の誰かさ……」


 小説のお兄さんはとうとう泣き出してしまいました。


「あーあ。わたしも誰か一人にだいじにされてみたいな」


 同じようにぼやくのは紙芝居のお嬢さんです。

 本にはそっくりな兄弟がたくさんいます。

 何百、何千、何万と兄弟がいる本もあります。

 しかし、一冊の本にとっては、自分を手にとってくれる一人の人間が全てなのです。


「そうだよな。本に生まれたからには、たった一人にだけ、何度も読まれたいよな」

「読み返すほど気に入られるのは、夢じゃのう」


 センチメンタルな二人に、資料集のおじいさんもうなずきました。

 書かれているものがはっきりしているおじいさんのような本は、それを必要とする人間にしか見向きもされないのです。

 おじいさんが今年に入って図書館の外に出たのは、まだ一回きりです。


「わしなんて小難しいなんぞ思われて、たまーに学者先生の子たちに読まれるだけじゃよ。それも、目をつけたところだけパラパラと。すこし前にも来たばかりじゃから……、また数年は埃をかぶることになるかのう」


 たいていの本は、買われても、借りられても、その人に読まれるのは一度です。


「長い生涯で一度しか語れぬ本は多い。図書館にいるわしらは、何度でも語る。別の人間に同じ言葉を伝え続ける」

「一回しか読まれないで本棚にしまいこまれる本と、いろんな人間に語れるけどボロボロになりやすい僕たち、どっちの方が幸せなんだろう」

「どっちも幸せでいいんじゃよ」


 本が生きているのは、一人の人間に語りかけている時間だけです。

 本の生涯はとても長いです。一人の人間より、ずうっと長い時間、本はあります。

 けれど、そのほとんどの時間は、なにもできず、仲間と一緒に本だなに並んでいるのです。

 本たちは本だなで、一人の人間の手が本の表紙を撫でるのを、まんじりともせず待つしかないのです。


「あーあ。わたしにも足があればいいのに。そうしたら、きっと、わたしの話をずうっと聞いてくれる人を探しにいけるのに」

「僕たちは選ばれるまで、待つしかない。でもやっぱり、読まれている時間がいちばん幸せだ」

「気に入られれば、親から子へと譲り渡されていくのだろうが。それは、ごく一部の運のいい本だけじゃのう」


 本は読む人間を選べません。

 本だなの前を通りすぎる人が自分を求めていたとしても、表紙のタイトルでしか、声をかけることができないのです。それも、届かないことが多々あります。

 内容が気にいらないと、時には汚されてしまったり、破られてしまうこともあります。

 けれど、それを直してくれるのも人間です。

 ぼろぼろになっても、ずっと読んでくれるのも人間です。

 本は、人間たちと、ともにありたいと願っています。


「あら、もう西のまどにお月さまがいるわ」

「もうそんな時間か」

「今回は湿っぽくなってしまったのう」


 おや、そろそろ朝がきそうです。

 東の窓に太陽がやってきたら、図書館で働くお姉さんたちもきてしまうでしょう。

 本たちの会合は人間たちにはひみつなのです。


「来月もおしゃべりできますように」

「僕の言葉が届きますように」

「出会うべきものに出会いますように」


 本たちはそれぞれに挨拶をして、お行儀よく、もといた場所に戻るのでした。

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図書館の本たち。 不屈の匙 @fukutu_saji

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