隣のサークルのお兄さんは、どうやら訳アリ

冬野瞠

初めての同人誌即売会

 待ちに待った同人誌即売会当日の朝、のはずだった。

 前泊していたホテルのビュッフェに向かいながら、私の心の内には「え……本当に行くの?」という気持ちが渦巻いている。


 私はいわゆる、創作クラスタと称される人種だ。

 十年ほど前に創作を始め、数年前に即売会に一般参加し、数ヶ月前に百合ものの長編を完結させ、自分も本を作りたい!と一念発起し、一次創作オンリーの即売会にサークル参加することを決めた。原稿を作り、何度潰しても湧いてくる誤字脱字に疲弊しつつ入稿を済ませ、設営に必要なグッズを買い揃え、昨日新幹線で地方から遠征してきて今に至る。

 おかしい。「イベント楽しみだな~」と今日を指折り数えていたのに、一昨日あたりからものすごくブルーになっている。朝食を食べながら青い鳥のTLタイムラインを確認すると、「イベント当日。吐きそう」「なんで申し込んだんだ俺……」という声が散見されて少し安心した。緊張で参っているのは私だけではないらしい。

 現実味がないままイベント会場へ赴く。大きな鞄を抱えた人、段ボールを乗せたカートをごろごろ転がしている人、きっと目的地は一緒だ。ものすごい人の数である。皆何かを睨むようにきりっとした目つきで、まるで戦場へ向かう兵士だった。こ、この中で一日乗り切れるのかな……。

 戦々恐々としながら入場を済ませ、自分のサークルスペースを探す。会場は果てなく見えるほど広く、無数のテーブルが並んでいる。天井も高い空間に圧倒されつつ割り当てられたスペースに辿り着くと、机の下に小さな段ボールが置かれていた。

 この中に私の人生初の本がある。どきどきしながら所持品のカッターで開封すると、文庫判のそれが姿を現した。ページにして百数十、さらさらとした表紙の、薄めだが本以外の何物でもないもの。

 感動しながらぱらぱらとめくる。本当に、本だ。物質化した小説がこんなにすごいなんて、想像を遥かに超えている。

 けれど感動してばかりもいられない。これから設営してサークルの体裁を整えなくては。家でグッズを並べる練習はしていたが、会場で実際にやるのは全然勝手が違った。刻一刻と一般入場の時間が迫り、気が急いてくる。もうみんな、設営完了したのかな……。

 通路側からグッズを並べつつ、スペースの左右を盗み見る。向かって左側のサークルさんは欠席らしく、机の上にチラシが山と積まれたままだ。右隣は――サークル主さんが既に設営を終え、きちんと席に座っている。

 黒髪に黒いマスク、全身を黒い服でコーディネートした、どこか猟犬を思わせる黒いお兄さんだった。それだけでも目を引くのに、両耳にはバチバチにピアスをつけており、極めつきに左目を眼帯で覆っている。たまに見かける医療用の白くて四角いやつではなく、たぶん革製の、アニメや漫画ではよく見るものだ。

 い、威圧感……。いい姿勢で座る彼の前にはたくさんの百合小説が積まれていて、ほとんどにR18成人向けの文字が見える。必死で手を動かしながら私は動揺していた。こんなにスタイリッシュでミステリアスなお兄さんがadult onlyえっちな百合小説を!? 人間ってすごい……。

 なんとか一般入場時刻までに設営を終え、自分の席へと戻る。緊張を感じたが、勇気を振り絞って隣のお兄さんに挨拶をした。


「あ、あの、今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ」


 思ったより若そうな声。ぺこりと頭を下げる様子は折り目正しいものだった。

 開場のアナウンスが流れ、周りの真似をして自分も拍手する。とうとう始まったんだ、という気持ちが湧いてきた。

 一般参加の人たちが会場に雪崩れこんでくるが、私のところには当然、来ない。まあ想定通りだ。青い鳥のFF数は三桁前半だし、ピピシブでもそんなにブクマがあるわけじゃない。通りがかった人が一人でも買ってくれたら御の字かな、なんて思っている。

 かたや、隣のサークルには人がひっきりなしにやってくる。なんで壁サーじゃないのかと思うほどに。


「ぬくメニさん~! サークルカット見てぬくメニさんの本買うためだけに来ちゃいました」

「あ、ぬくメニさん今日いらっしゃったんですね!? 新刊一部ずつ下さい!」


 お兄さん――ぬくメニさんというらしい――のスペースに来る人のいずれもが、その場にくずおれそうになるほど感銘を受けている。どうも彼はSNSでの宣伝はしていないらしい。なのにこんなにファンがいるとは、一体何者なのか。


「あ、あの、風呂野ふろのタイルさんですか?」


 ここにいる理由を忘れかけた頃、突然HN ハンネを呼ばれて椅子から飛び上がりかけた。風呂野タイルとは私のペンネームである。机の向こうに大学生くらいの女の子がいた。適当につけたハンネを他人に発音されるの最高に恥ずかしいな。


「あ、そうです。私が風呂野で」

「は、初めまして……! あの私、タイルさんの百合小説すごく好きで、でもいつもこっそりブクマだけしてて、今日本出されると知って絶対欲しくて……新刊一部下さい!」


 お金を受け取り、ぴかぴかの本を渡す。互いにテンパりながら。相手はしきりに会釈をしながら遠ざかっていった。

 しばし呆然としてしまう。う、売れた。私が書いた本が……。

 それからぱらぱらと本を買ってくれる人が現れた。何人かはフォロワーさんで、感想を言ってくれたり手紙を渡してくれたりする人もいた。

 午後になると隣のサークルの人の流れも落ち着き、お兄さんは本に布を被せて離席していった。どうにも気になっていたので、スマホで検索してWebカタログのサークルカットを見てみる。隣のサークル名はぬくぬくメニーキャッツ。名前可愛いな? なるほど、ぬくメニとはサークル名を短縮したものか。


「こんにちは。立ち読みいいですか」


 久々に話しかけられて顔を上げる。誰かと思えば隣の黒いお兄さんだ。「ど、どうぞ」と言うあいだににわかに体が緊張する。

 お兄さんが本に目を落とす。自分の文章が他人に読まれている間は、すごく緊張してしまう。

 唐突に相手が言葉を発した。


「サークル参加、初めてなんですよね」

「え、な、なんでそれを」

「さっきサークルカットを見ました。この本、一部頂けますか」

「あ、あり、がとうございます」


 焦った。てっきりエスパーなのかと。超常の力を持っていてもおかしくない、と思わせる何かが彼にはあるから。

 その後黒いお兄さんの本も試し読みさせてもらって、あまりにもツボに刺さったので既刊新刊一部ずつ買わせてもらった。流れでお兄さんと百合談義で話が弾み、芋づる式に色々な話題が出る。連絡先を交換したかったけれど、今あるSNSはやっていないから、と断られてしまった。残念。しかし、今あるとは……?


「でも、ぬくメニさんが隣で良かったです! 最初、失礼ながら少し怖い人かと」

「まあ、この外見ですからね。でも、ここにいる人たちはみんな、創作を愛する仲間……同志でしょう。僕もそうです」


 仲間、か。

 そうか、人気のあるサークルには敵わんな、とちょっぴり思っていたけれど、そんな風に感じる必要はなかったんだ。我々は別に作品の優劣を競ってはいない。趣味で文章を書いている私も、素人の小説を読んでくれる読者さんも、この場に集っている大勢の人も、みんな想像と創造を愛する仲間なのだ。

 私の本を買ってくれる人が一人でもいる。なんて幸せだろう。


「どうしてわざわざ紙の本なんだろう、って思いませんか」


 人の流れを眺めながら、お兄さんがぽつりと漏らす。


「読むだけなら電子書籍でもいいのに、ここに来る人は嬉々として、わざわざ場所をとる紙の本を求める。不思議じゃないですか? あなたの本も、Webで読める作品だったりしませんか」

「そうですね……数ページ書き下ろしはありますけど、ほぼWeb再録です」

「そういうサークルさんは多いですよね。僕が思うに、紙の本の良さって物理的に所有できることだと思うんです。同人誌でも商業本でも、買えばにできる。出版元の裁量で配信を止められたり、削除されたり、勝手に文言を改竄されたり、作者も知らないうちに検閲が入ったりしない。僕が生きている時代では、そういうのがない媒体は紙の本だけです」


 ん? 何か引っかかる言い方があった気がするけど、お兄さんは滔々とうとうと語り続ける。


「だから自分の趣味全開の本をこそこそ作って、監視の目をくぐってこちらの時代に来ている。今の日本は個人の考えを自由に表現できる、とてもいいところですよ。勝手に為政者に情報を送るコンタクトレンズ型のデバイスをつける必要もない。僕はその監視デバイスを無理やり剥がして、左目の視力を失ってしまった」


 え、え? 混乱する。何を仰っているんだ?


「このイベントにもまた来れるのか、僕にも分かりません。この環境を当たり前のように感じているあなたたちが、僕はとても羨ましい。お節介だとは思うけど、自由に創作できることを、この時代の人には大事にしてほしいです」

「あの……?」


 もしかして、ぬくメニさんは未来から、と想像するのは荒唐無稽だろうか。でも、あり得るのかもしれない。彼の纏う雰囲気はあまりに異質だから。

 それきりお兄さんは口を閉ざして、私も何も訊かなかった。

 やがて閉場の時間が来て、また拍手が場を包む。無事終えられた安堵感に、ほっと胸を撫で下ろす。朝あんなに後ろ向きな気持ちだったのに、イベントに参加して良かった、また本を作ってサークル参加しよう、という手の平返しの気分になっていた。

 荷物の片付けに今から着手する私に、既に帰路につこうとしているお兄さんが言う。


「荷物とか残部を宅配で送るなら急ぐのがきちですよ。サビネコヤシマの待機列が最大手ですからね」


 冗談めかした台詞を残して、彼は風のごとく去っていく。

 また、会えるだろうか。会えなくてもいいから、彼が再びこの時代のイベントに参加できますように。いつか彼と再会する時まで、いやこれからもずっと、創作活動を大事にしよう。

 私はそう、心に誓った。

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隣のサークルのお兄さんは、どうやら訳アリ 冬野瞠 @HARU_fuyuno

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