人類はしあわせになりました。

ナリタ

本文

ついに完成したぞ!夢の装置が!」

 突然、研究所に歓喜の声が響いた。どうやら博士が長いこと入れ込んでいた研究が遂に実を結んだらしい。研究室で一人大声を上げ高笑いをしている博士の元へ、助手が二本の缶コーヒーをたずさえてやってきた。

「やっと出来たんですね、それ。乾杯します?」

「この世紀の、いや、人類史上最大の発明の瞬間に缶コーヒーとは随分と不釣り合いだが、まぁそんな些末さまつなことはどうでもいい。いただこうじゃないか。」

 博士は助手の差し出したコーヒーを受け取り、開封するなり一気に飲み干した。

「えらく機嫌がいいですね。人類史上最大だなんて言ってましたが、そんなに凄いものなんですかそれは?」

勿論もちろんだとも!この装置の効能を外部に知られるわけにはいかないから今まで君にも話さずにいたが、もう話してもいいだろう。私がどれだけ偉大で崇高すうこうな発明を成し得たのかを!」

 博士は声高こわだかに宣言するとオホンと一つ咳払いをして語り始めた。

「この装置は人類の夢を叶えるために作り上げた物だ。何か分かるかな?」

「人類の夢?と、言いますと、すぐに思い浮かぶのは宇宙旅行やタイムトラベルですが、この装置は人が乗れるようには見えませんねぇ・・・。」

「確かに宇宙旅行やタイムトラベルも悪くはないが、この装置はもっと実用的で実践的なものだ。この装置が叶える人類の夢というのは、すなわち世界平和である!」

 博士の得意気な発言に助手は眉根まゆねを寄せる。

「世界平和?そんなの発明一つでなんとかなるものではないでしょう。僕にはタイムトラベルよりも夢物語に思えますが。」

「その夢物語を現実にするからこそ偉大な発明なのだ。まあとにかくこれを見てくれ。」

 博士が取り出したのは実験用のマウスのおりだ。数匹のマウスがえさ頬張ほおばっている。

「見てと言われましても、普通のマウスじゃないですか。」

「よく見たまえ。このマウス達、一切餌の取り合いなどしていないだろう?」

 博士の言うとおり檻の中のマウスは行儀よく自分に割り振られた餌箱からのみ餌を食べている。

「確かに、取り合うどころか譲り合うような様子さえありますね。餌が美味しくないとか?」

「そんな下らん理由であってたまるか!勿論しつけをしたわけでもないぞ。これこそがあの装置の効能なのだ。」

 博士の言葉に助手は首を傾げる。

「もう少し具体的に教えて下さいよ。餌を分け合うのが装置の効果って、どういうことです?」

 少し苛立いらだつ助手の言葉に博士は不敵に笑った。

「マウス達が分け合っているのは餌ではない。いやまぁ、餌も分け合っているが。あの装置の驚くべき効果は、幸せを分け合うというものだ。」

「幸せを分け合う?どういうことです?」

 助手はまだ合点がてんがいかずにいる。博士はまた一つ咳払いをして説明を続けた。

「生き物には共感能力というものがある。超能力のたぐいではなく、誰にでもあるものだ。他人の感情を自分の事のように感じられるという能力だな。この能力が大きく損なわれている人のことをサイコパスと言ったりもするが。」

「サイコパスは知っています。よく映画やドラマで人を殺したりしている奴ですね。」

「サイコパスと呼ばれる全ての人が人殺しな訳ではないぞ。ただまぁ共感能力が低いことで他者の痛みや苦しみ、不幸に対して鈍感になってしまうから、自分本意な行動をとってしまう事があるという訳だ。では逆に共感能力の高い人はどうだろうか?他者の痛みがまるで自分の事のように感じられるのだから、誰かを傷付けることはまずないと思わないか?」

「そうですね。それに他人の幸福も自分の事のように感じるでしょうから、自分から積極的に他者を助けようと考えるかもしれません。他者に施しをすることで自分も幸せを感じられるのですから。」

 助手は話ながらあぁっ、と声を上げた。

「それが幸せを分け合うってことですか?」

「その通り!私の発明したこの装置は、特殊な電波を放つことで生物の脳に働きかけその共感能力を飛躍的に高めることが出来るのだ!」

「ははぁ、なるほど。その装置で共感能力の高い、優しい人を増やしていって最終的には世界平和を、ということですか。少々地道すぎる気もしますが。」

「なに心配はいらん。この電波を全世界に発信する装置も開発済みだ。それに優しい人なんてぬるい言葉で片付けてくれるな。共感能力のとぼしいマウスでさえこれだけの効果があるのだ。私の計算が正しければ人間にこの電波を浴びせれば、全人類の幸福を自身の幸福のように感じるレベルにまでなるだろう。つまり世界中の人間が幸福を共有することになる。これぞ社会性生物のあるべき姿!今日を境に人類は一段進化することになる!」

 博士の言葉に助手は眼を丸くしてうろたえ始めた。

「ぜ、全世界ですか!?ちょっと待ってください。そんな事をしたら世界はどうなっちゃうんです?」

「ふふん、良いことずくめだぞ。まず世界中の戦争が無くなるだろう。あらゆる犯罪も同様だ。個人間こじんかんのいさかいだったり差別やいじめなんかも消えてなくなる。他人をしいたげる人がいなくなるのだからな。それから皆こぞって募金などの他者への施しを始めるだろう。難民や災害の被災者は皆救われることになる。いいや、募金など必要なくなるかもな。そもそも人を救うのに金がかかるなどという今の社会が狂気の沙汰さただ。そうだな、恐らくしばらくすれば資本主義社会ではなくなるはずだ。金など存在したとしても全人類に平等に配布されることになるのだろうし、そうなれば何の意味もなくなる。きっと金など無くても必要な物資は必要としている人のもとへ届く、そんな社会になるだろう。」

 未来の世界を熱っぽく語る博士を助手は唖然あぜんとした表情で眺めている。

「分かったか助手よ。この装置によって人類は今まで抱えていたありとあらゆる問題、ミクロなものからマクロなものまでマルッと解決してしまうのだ!人類は手を取り合い一丸いちがんとなって皆で幸福になれる道を進んでいくのだよ!そうして人類は幸せになるのだ!」

 博士の高らかな宣言のあと数秒してから理解が追い付いたのか、唖然とするばかりだった助手は感嘆かんたんの声を上げた。

「本当にとんでもない発明じゃないですか!これは凄い。この人類史上最大の発明を世間に知らせないと・・・!」

 携帯電話を取り出してどこかへ電話をかけようとする助手を博士はいさめた。

「待て待て。この発明を外部に知られるのはあまり都合が良くない。人類が平等になることをこころよく思わない自分本意な連中がいるからだ。今の社会はえてしてそういう連中に権力が集中しがちなもので、どのような妨害を行ってくるか分からん。だからこそ私は秘密裏にこの装置を発明したわけだが、念のためだ。この装置の存在は秘密にしておこうじゃないか。」

「うぅん。凄い発明なのに、勿体ない。」

 残念そうにする助手を博士は軽く小突いた。

「そういう自己顕示欲だとかの自己中心的な気持ちが人類を停滞させるのだ。もっともこの発明の偉大さを認めてくれる君の気持ちは素直に嬉しく思うがね。」

 助手はため息を一ついて博士に眼を向ける。

「分かりました。この発明のことは秘密にしましょう。でもそれじゃあ、これからどうするんです?」

「どうするかなんて決まってる。この装置を起動する。世界に向けてな。それだけだ。」

 そう言って博士は背筋をピンと正し、装置へと歩み寄っていく。助手も博士に続いて装置のそばに駆け寄った。

「何だかドキドキしますね。僕、手汗が凄いことになってます。」

「ああ、私も興奮で指が震えるよ。何せ世界を変えるのだからな。」

 博士は装置のボタンに手を掛けるとふうと深く息を吐いた。それから博士は助手と顔を見合わせると意を決したようにうなずき合いその手に力を込めた。


 博士の発明した装置は正常に動作した。特殊な電波はまたたく間に世界中をおおい、全人類の脳に変化をもたらした。すなわち世界中の人が幸福を共有することになったのだ。

 それからの世界情勢の変化もおおむね博士の想定通りであった。富も資源も世界中で公平に分配されることとなり、それらを奪い合う戦争や犯罪は一掃された。ものの数年で金はその価値を失くし、必要なものがあればしかるべき場所に要求すればタダでいくらでも貰えるようになった。それでも必要以上の贅沢ぜいたくをしようという者は現れない。自分が独占するよりも必要な人に物資が与えられた方が自分も幸せに感じられるからだ。

 人類の大きな変化に不思議さを感じる人も出てきた。すると博士と助手はすぐに装置の存在を明かしてしまった。真実を知っているという幸福を他者と共有しないだなんて、装置の効果の前では不可能だったのだ。ただもう装置を止めようとするものなど一人もいなくなっていたから、存在を明かしたところで何の問題もなかった。世界中がこの偉大な発明を称え、同時に自分の事のように誇らしく感じるのだった。

 そうして人類は博士が望んだ通りに、皆一丸となって幸福になっていった。格差も暴力も無くなり、全ての人が互いを思いやりながら生きていた。

 ただ一方で博士が想定しなかった変化も現れ始めた。スポーツなどの競技が衰退すいたいし始めたのだ。人と競い勝敗を決める競技は勝っても負けた悔しさを感じてしまうし、負けても勝った喜びが伝わってくるのだ。選手達は努力する意義を失い、他者と優劣を決める行為にむなしさを覚えてしまった。

 絵画や音楽、映画や小説などの芸術は一時の隆盛りゅうせいを見せた。心無い批評家がいなくなり誰もがあらゆる芸術を褒め称えるようになったからだ。しかし作者達は誰かが不快に感じるかもしれない作品を作ることを避けるようになり、どれもこれも似たような小綺麗な作品ばかりになってしまった。結果、人類は芸術に飽きてしまった。

 人類の生活は安定し誰もが幸福と言える生活を手にすることが出来たが、同時にあらゆる娯楽が衰退したことにより人類は少しずつ退屈していった。退屈という不幸はわずかずつ堆積たいせきしていき人類の心を支配していった。


 そんなある日、一つの事故が起こった。マンションのベランダから少女が転落したのだ。

「大変だ!人が落ちたぞ!」

「救急車を呼べ!」

 周囲の人々の必死の救護も虚しく少女は命を落としてしまった。遺族は悲しみ、その悲しみは人類全体の不幸として地球全体に拡がるはずだった。

 が、しかし今回はそうではなかった。日々に退屈していた人々にとって、転落事故の目撃と重傷者の救護という非日常はあまりに甘美かんびな刺激だったのだ。人一人ひとひとりの死による不幸を上回るほどに。

 とはいえそんな刺激的な幸福は覚めるのも早い。少女の転落を間近で目撃した男性も一月ひとつきもすれば再び退屈な日常に逆戻りしていた。彼はウィスキーのグラスを傾けながら考える。

 いかにすればあの刺激的な体験をもう一度味わえるだろうか。不謹慎ふきんしんな考えのようにも思えるが、あの事故で幸福を感じたのは私だけではなく彼女の遺族達も含めた全人類なのだ。あの事故は人類全体を少しだけ幸福にしたのだ。それをもう一度と願うことは何らおかしな事ではないだろう。そう、むしろあの事故はもう一度起こるべき、いや起こすべきだ。

 そう考えて彼は自宅マンションのベランダから身を乗り出す。彼にとって自分の幸福と他人の幸福に差はない。つまり自身が体験したいことを他人に体験させることで彼は満足するのだ。

 彼は考える。私の転落を何人が目撃してくれるだろうか。この刺激的なショーはどれだけ人類を幸福にするだろうか。想像するだけで笑みがこぼれる。

 待てよ。もしかしたら私の前に落ちてきたあの少女も今の私と同じように考えたのかもしれない。あれは事故などではなく自分の意思で飛び降り、私たちに刺激的な非日常を提供してくれたのかもしれない。だとしたら彼女に続く私のように、私の後にも誰かが続くかもしれない。その誰かの後にもまた別の誰かが。次も次も、その次も。

 幸福の連鎖が人類を包み込む。何と素晴らしいことだろうか。

 人類はこうして幸せになるのだ。

 彼は満面の笑みでベランダから身を投げた。

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人類はしあわせになりました。 ナリタ @naritaku0192

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