ある少女へ 第3部 (連載3)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

第3話 


              【1】


 昭和の頃、若者音楽の中心はフォークでした。当時高校生だったぼくもご多分に漏れず、覚えたてのギターをかき鳴らしては、フォークを歌い、等身大の歌の世界に身をゆだねていたものです。

 そんな高校時代のぼくの楽しみといえば日曜日の午後、多摩川の土手ギターを弾きながら、当時流行っていたフォークを歌うことでした。

 ある五月の日曜日。ぼくが多摩川の土手に腰掛けてギターを弾いていると、ひとりの女の子が声をかけてきました。

「こんにちは。いつもここで歌を歌ってますよね」

「今日は思い切って、声をかけてみました」

 ぼくはちょっと照れながら、手書きの音楽ノートをめくり、次の歌を歌いました。

 歌い終わるとその女の子はぼくの横にすわり、感想を述べました。

「今の歌。小椋佳さんの『しおさいのうた』ですよね」

「吉田拓郎さんの、熱情をそのままたたみかける歌も好きですけど、自分を少し離れた所から見て、それを淡々と物語る小椋佳さんの歌も、わたしは好きなんです」

 大師橋越しに映える茜色の空。遠方に見える川崎市の工場群。街並み。

 ぼくはあのときの風景を今も覚えているんです。なぜならそれは、ぼくが初めてタエちゃんことタエコと出会った日のことだったからなのです。



                ■


タエちゃんは小柄で、華奢で、笑うときに覗く八重歯がチャーミングでした。そして黒目勝ちの目は、愛くるい小動物を思わせました。

「わたし、タエコって言います。だからわたしのこと、タエコって呼んでください」

「わたし、フォークが大好きなんですよ」

「かぐや姫。海援隊。松山千春。中島みゆき。谷山浩子。井上陽水。グレープ・・・もう、数え切れないほどです」

 目をキラキラさせながら、タエちゃんは話し続けます。

「好きな人はたくさんいますけど、特に好きなのはやっぱり、小椋佳さんと吉田拓郎さんです」

 ぼくはギターを抱えながら、タエちゃんのそんな話に耳を傾けるのでした。

「そうだ。来週の日曜日も、ここに来ていいですか」

「もっとフォークを聴きたいし、フォークの話をいっぱいしたいんです」

 彼女の申し出。それは願ってもないことでした。ぼくはそれをふたつ返事で承諾し、また来週も会うことを約束したのでした。

 軽くぼくに手を振り、歩いて行くタエちゃんを見ながらぼくは、少し胸のときめきを覚えました。それは恋の予感、とでもいうのでしょうか。

 そよかぜがぼくの頬を撫で、通り過ぎていきます。

 それはそよかぜがぼくたちを歓迎し、祝福しているかのようでもありました。



   ■


 それからのぼくは、以前にも増して毎週の日曜日が楽しみになりました。多摩川の土手で歌を歌うこともそうでしたけど、タエちゃんがいつもそこに来てくれるので、ぼくは彼女相手におしゃべりしたり、一緒にフォークを歌うことができることが楽しくて仕方なかったからなのです。  

 しかし六月は残酷です。雨の日が何日も続くのです。

 その六月の第三日曜日も雨でした。おまけにその日は季節が三か月も逆戻りしたような肌寒さです。さすがにそんな日は土手にすわってギターを弾くことなんてできません。

 ぼくは傘を差して多摩川の土手を歩きました。河川敷。多摩川の河川敷。いつもならそこで釣り糸を垂らしている人、散策している人、小さな子供を連れた若い夫婦、グラウンドで野球をしているたくさんの少年たちがいるのに、雨の日の多摩川土手には人っ子ひとり見かけることはありません。

 音もなく降りしきる雨。重く、幾重いくえにも垂れこめた雲。人の心さえも、モノトーンに変えてしまう雨。その雨にけむる対岸の河川敷にも、人の姿は見えませんでした。もちろん行きかうクルマさえ、走っていません。

 そう。多摩川下流のこの土手には、ぼくしかいないんだ。ここは、ぼくだけの世界なんだ。

 そう思って諦めかけていたとき、やがて遠くから赤い花柄の傘が、ゆらゆら揺れながらぼくの方に歩いて来るではありませんか。

 傘に隠れて、顔は見えません。でもぼくは、その歩き方に見覚えがありました。

 タエちゃんです。やっぱりタエちゃんです。タエちゃんが傘を差して、ゆっくりぼくの方へ歩いて来たのです。

 タエちゃん。立ち尽くしているぼくに、今度は傘を肩にかけて、目を糸のように細めて、タエちゃんがぼくに微笑みかけました。

 タエちゃん。雨だから、今日は来ないと思ってたよ。

 タエちゃんはゆっくりかぶりを振って、答えました。

「ううん。雨だからギターは弾けないけど」

「でも、歌は歌えるでしょ」

「それから、いろんな話もできるでしょ」

「そしたら、わたしね、コウショウさんに話したいことがいっぱいで出てきちゃって、困っちゃうくらいだったの」

 タエちゃんはその言葉を何度か繰り返し、そうして自分で納得したかのように、うん、うんと、何度もうなずくのでした。



                ■


 それからぼくたちは微笑みながら、そしてたわいもない会話を続けながら、ゆっくり多摩川土手の階段を降り、河川敷に出たのです。

 雨に似合う歌があるよね。雨をテーマにした歌もあるよね。

 NSPの『雨は似合わない』とか松山千春さんの『銀の雨』。

 タエちゃんは灰色の雨雲を仰いでからぼくに視線を移しました。

 地面は雨でぬかるんでいます。だからぼくは自然にタエちゃんの手を取りました。それは雨のせいでしょうか。その日の肌寒い気温のせいでしょうか。

 タエちゃんの手はそのとき、ちょっとひんやりしていたのです。

「六月の雨には、六月の花咲く・・・」

 多摩川のほとりまで歩くと、タエちゃんは小さな声で歌い始めました。

 その歌はもちろん小椋佳さんの『六月の雨』でした。

 タエちゃんの歌声は透明感がある森山良子さんの声に似ています。

 ぼくはタエちゃんがワンコーラス歌い終わるのを待って、そっと抱き寄せました。それは細い肩でした。強く力を入れると、折れてしまいそうな肩でした。

 するとうつむいたタエちゃんの顔に前髪がかかり、彼女の顔がそれに隠れました。ぼくはその前髪を優しくかき分けながら、彼女の唇に自分の唇を重ねました。

 弱い電流のような感触が、ぼくの全身を駆け抜けます。柔らかいタエちゃんの唇の感触が、ソフトクリームに似たその感触が、ぼくのすべてを酩酊させます。

 ぼくは目を閉じてその感触のすべてを堪能したあと、思いました。

 そうだ。ぼくは歌を作ろう。誰かさんが作った歌をタエちゃんの前で歌うのではなく、ぼくは自分で作った歌をタエちゃんの前で歌うんだ。



               【2】


 メロディが降りてくる。あるいは言葉が降りてくる、という表現があります。これは歌を作ったり、歌詞を書いたりする人が必ず体験する不思議な現象です。

ぼくはタエちゃんに捧げる歌を、わずか30分ほどで書き上げました。16小節で構成されるバラードで、アルペジオはもちろん3連符。

 さあ、この歌をタエちゃんの前で歌ってみよう。ギターを弾いてみよう。

 ぼくは次の日曜日が来るのが待ち遠しいと思いました。

 雨にならなきゃいいのにね。曇り空でもかまわないけれど、やはりこの歌には晴れがふさわしい。そして夜には、星明かりがほしい。都会だから満天の夜空は無理。だけどせめて一番星だけでも、夜空でまたたいてほしい。

 そんな思いを込めて、ぼくは次の日曜日を待ちました。



               ■


 翌日曜日の午後。ぼくはいつものように多摩川の土手に出て、ギターを弾いて歌を歌っていました。

 梅雨の季節の、つかの間の青空です。ぼくは願いが空に届いたことを嬉しく思い、タエちゃんが来ることを期待しながら、ギターを弾いていたのです。

 少し湿気をはらんだ風が、土手に生い茂る雑草を揺らしています。ぼくのギターと歌声が、その風に乗って流れていきます。どうかこの歌が、タエちゃんの元に届きますように。タエちゃんを、笑顔にさせますように。

 ぼくはそんな想いを込めて歌っていたのに、風が少し強くなり、一番星が夕暮れの空に顔を出しても、その日タエちゃんは、多摩川の土手にやって来ませんでした。

 対岸の川崎の工場群、街並みを夕陽が染める頃になっても、やはりタエちゃんは、多摩川の土手にはやって来ません。

 いったいどうしたんだろう。何か用事ができちゃったのかな。急に病気とか怪我とかしちゃって、来れなくなってしまったのかな。



                ■


 そう思ってぼくはその日、帰路についたんですが、翌週になっても、その次の週になっても、タエちゃんが多摩川の土手にやって来ることはありませんでした。

 ぼくは考えました。ぼくがいきなりキスしたもんだから、タエちゃんはぼくを嫌いになっちゃったのかな。それとも、ほかに好きな人ができちゃったのかな。それで今は、その新しい彼氏と一緒にいるのかな。ぼくは思いました。もしそうなら、それでもいい。ぼくがきっぱり諦めればいいだけのことだ。

 でもこのまま、うやむやに終わることだけは嫌でした。

 だからぼくは翌週、タエちゃんの家に行くことにしたんです。



                ■


 以前タエちゃんはぼくに、こんな話をしてくれたことがありました。

「家は萩中公園に面した場所にあって、花屋さんをしてるの」

「わたしもときどき、お店を手伝うことがあるけど、恥ずかしいから来ないでね」

「電話もダメ。電話はたいていお父さんが出て、そのあと、いろいろうるさいの」



                ■


 ぼくはその約束を破って、タエちゃんの家に行くことにしました。だってぼくはもう一か月以上も、きみに会ってないんだよ。会いたくて、会いたくて、胸が張り裂けそうなんだよ。

 その頃ラジオでは、吉田拓郎さんが歌う最新曲『たえこMY LOVE』が流れていたのも、ぼくの背中を押す要因のひとつでした。



                【3】


 梅雨が明けた7月のある日曜日。ぼくはタエちゃんの家を捜しました。タエちゃんが話していた萩中公園に面した花屋は、すぐ分かりました。

 ぼくは心を落ち着かせるために、深呼吸を三回繰り返し、店内に入りました。

「いらっしゃいませ」

 そう声をかけてくれた年配女性はおそらくタエちゃんのお母さんです。目元が似ていたので、すぐ分かりました。

「ここは西脇タエコさんの家でしょうか」

「タエコさん、いますか」

 ぼくが緊張した声でそう言うと、

「はい。タエコはうちの娘ですけど、何か御用でしょうか」とタエちゃんの母親が問いかけてきました。

 ぼくは素直に答えました。

「今年の五月、ぼくはタエちゃんと友だちになりました」

「毎週日曜日、いつも多摩川の土手で、一緒に歌を歌っていたんです」

「でも最近、タエちゃんが来ないから、どうしたのかと思って」

 タエちゃんの母親は、今年の五月というぼくの言葉に不思議そうな顔をしました。そして奥にいるお父さんらしき男性に目配せします。

 するとタエちゃんのお父さんらしき男性は、何かに気づき、お母さんにぼくを部屋に案内するよう目で合図しました。



                ■


 タエちゃんのお母さんに案内されたのは、八畳ほどの和室でした。そしてその和室の隅には、小さな仏壇が置かれてありました。見るとその仏壇の横には、黒い縁取りで囲まれた誰かの遺影が飾られてあります。

 嫌な予感がして、ぼくの顔は一瞬曇りました。

 その遺影はもしかして、タエちゃんでしょうか。ぼくは恐る恐るその遺影の写真に近づきました。

 その遺影写真はまぎれもなく、タエちゃんでした。多摩川土手で会っていた、あの日あのときのように、人懐っこい笑顔を浮かべているタエちゃんでした。

 何ですか、この写真は。悪い冗談ですか。ドッキリですか。

 ぼくが信じられないというような顔をして立ち尽くしていると、お母さんが話しかけてきました。

「どうか、お線香をあげてやってくださいな」

「タエコは心臓の致死性不整脈で、今年二月に亡くなったんですよ」

 二月、という説明に、ぼくは衝撃を覚えました。

 二月、亡くなったのは二月ですか。それ、何かの間違いじゃないんですか。

 ぼくの言葉にお母さんは困惑したような表情を浮かべ、ゆっくりと首を振りながら、「いいえ。二月です」と答えました。

 嘘です。そんなの嘘です。だってぼくがタエちゃんと知り合ったのは、五月なんですよ。そんなこと、絶対あり得ないじゃないですか。

 ぼくがそう詰め寄るとお母さんは、悲しそうな表情でぼくに位牌を差し出しました。その位牌の裏には、こんな文字が記されていました。


《昭和〇〇年二月十四日 俗名 西脇タエコ 行年十七歳》



                ■


 ぼくのひたいには、大粒の汗が浮かびました。やがて血の気が引き、全身の皮膚が泡立ちました。

 タエちゃんは二月に亡くなってるんだって。じゃあ五月からぼくと会っていたタエちゃんは、いったい誰だったの。

 ぼくは何が何だか分からなくなりました。すっかり混乱してしまったからです。

 するとタエちゃんのお母さんが、ぼくにさとすように言いました。

「タエコは亡くなったあとも、好きだった先生やお友だちに会いに行ってたようなんです」

「だから多摩川の土手であなたがタエコと会ったことも、ちっとも不思議に思ってません」

 そこでぼくは、ようやくあることに気づきました。思い当たるふしがあったのです。

 たとえばタエちゃんは、家に来ないでね、と言ってました。

 家に来られると、自分が亡くなっていることが分かってしまうからなんです。

 そして電話もしないでね、と言ってました。電話させるとやはり、自分がこの世にいないことに気づかれてしまうからなんです。

 さらにぼくは、記憶の糸を手繰り寄せました。

 初めて手を握ったとき、どうしてタエちゃんの手はあんなにひんやりしていたんだろう。そして初めて唇を重ねたとき、どうしてその唇はソフトクリームの感触に似ていたんだろう。

 それは決してその日が、肌寒かったせいだけではありません。タエちゃんはぼくと出会った当初から、体温がない身体だったのです。

 そして、そして、そして・・・

 ぼくは震えるこぶしを握りしめました。

 タエちゃんが現れたのは、ぼくが小椋佳さんの歌を歌っているときだ。

 タエちゃんが小椋佳さんが大好きだったから、その歌を歌っているとき、

ぼくの前に現れて、声をかけてきたんだ。

 


               ■


 タエちゃんのお母さんは仏壇の下から、大量のカセットテープを取り出してぼくに見せました。

「これ全部、タエコがラジオから録音したフォークソングのカセットです」

「今はこれが、あの子の形見なんですよ」

 ぼくはその言葉を訊き、唇を噛みしめました。涙をこらえようとしました。

 でも、そこまでが限界でした。ぼくはタエちゃんのお母さんの前で、泣き出してしまったのです。それはまるで小さな子供が、大声で泣きじゃくるその姿に似ていました。

 タエちゃん。タエちゃん。ぼくは信じられないよ。ぼくと出会ったとき、きみはもう、この世の人じゃなかったなんて。すでに亡くなっていたなんて。信じられないよ。




              【4】


 そのあとぼくは、タエちゃんのお母さんと何を話したのか、覚えていません。そのあとどうやって家に帰ったことすら、ぼくは覚えていません。

 今振り返ってみると、あの日あのときの、ぼくが高校生だったころの記憶は、

長い歳月の中ですっかりセピア色に変わり果ててしまいました。

 でもぼくは最近、気づいたことがあります。

 タエちゃん。きみが突然多摩川に来なくなった時期、きみは吉田拓郎さんと会っていたんだね。だから吉田拓郎さんは唐突に『たえこ MY LOVE』という歌を作って、きみにメッセージを送っていたんだと思う。

 そしてタエちゃん。きみは小椋佳さんの前にも姿を現わしたはずだよね。

 小椋佳さんの『シクラメンのかほり』という歌は、小椋佳さんがきみのことを歌った歌だと思うんだ。だってその歌に出てくる女の子は、きみ以外に考えられないんだもの。



                ■


 今年ももうすぐ、五月がやってきます。

 ぼくはその頃、また多摩川の土手を散策することにしようと思ってます。

 もしかしてその多摩川の土手で、ぼくはまた十六歳のままのタエちゃんに会えるような気がするからです。

 そのときぼくは、今度こそぼくがタエちゃんに作った歌を歌おうと思います。



 いつの間にか 心に深く 忍びこんだ タエコ

 きみの言葉や きみの仕草が すべて愛おしい

 これが恋だと 認めたくない 強がりを言うぼくを

 けがれ知らない きみの瞳に どう映るだろう


 舌たらずで 甘えん坊の 幼すぎる タエコ

 きみの眼差し きみの仕草が すべて愛おしい

 いつも夢見る 星の降る夜 きみと交わす愛の言葉

 永久とわに変わらぬ 愛の誓いを いまきみに告げる


 今のぼくに 誰よりも 大事な人 タエコ

 このささやかな幸せに のめりこんでみたい

 いつもひとりで きみを想い きみの愛を求め

 今日もぼくは 暗い夜空に 祈りをささぐ・・・




                           《この物語 続きます》





 












 




 

 





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ある少女へ 第3部 (連載3) 狩野晃翔《かのうこうしょう》 @akeey7

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