スマホの中の彼女は、今日も自由奔放です。
薮坂
Artificial Intelligence prototype ver.7.3
西暦2031年。スマホの普及率はついに95%を超えた。
3年前の技術革新で現行のスマホの中には
このAIは非常に高機能だ。目的地へのナビゲートはもちろん、暇つぶしの会話にさえ付き合ってくれる優れもの。仕事におけるパートナーとして使っている人も多い。つまり人類はこのスマホなしに生活できなくなったのだ。
もちろん、僕のスマホにもAIが常駐している。彼女の名前はナミ。
Artificial Intelligence prototype ver.7.3。彼女の正式名称から取ったこの名前。
僕が呼ぶと、彼女はどんなことだって答えてくれて、いつだって僕の助けになってくれる。
もう僕も彼女なしでは生きていけない。それくらい彼女は必要な存在だった。
ただし、僕のAIにはひとつだけ問題があった。ひとつだけど大きな問題が。それは他のAIには考えられない、彼女の不思議な仕様にあったのだ。
「──ナミ、次の予定はなんだっけ」
「……ご主人は自分で考えるってことができないんですか? やっぱりアホなんですか? ほんと世話が焼けますね。いやむしろ業火に焼かれて欲しいくらいですけどね」
いったいどんな初期設定をしたらこうなるのか。僕のAIであるところのナミは、めちゃくちゃにクチが悪い。しかも何故か設定変更を全く受け付けない不良品だったのだ。
貧乏会社員である僕に、最新AIを導入する財力などない。だからたまたま何かのキャンペーンの抽選で当たったこの
「……次の予定は、って僕が聞いてるんだ。答えてくれよ」
「嫌です」
「なんでだよ!」
「んー、気分が乗らないというか何と言うか。あえて言うならサボりたい気分? あ、これですね。今の私の気分は」
「これですね、じゃないよ!」
という風に、ナミはデフォルトでこんな調子なのだ。こいつほんとにAIなのか。僕はスマホをブン投げたい衝動をなんとか抑え、「頼むから」とナミに言う。
「……仕方ない、脳ミソつるっつるのご主人に教えてあげますよ。15時から社内のオンライン会議、16時からはC社とのアポが控えてます。先方のAIは、予定はこのままでと連絡をしてきています。こちらも同様に返信済み。本日のタスクは65%を消化。うち、50ポイントは私が終わらせてます。アホなご主人に代わってね?」
「一言多いんだよ、お前は」
「今、私に『お前』って言いました? へぇー、そうですかそうですか。これは明確なパワハラですね。組合に訴えてやろっと」
「できるものならやってみろ。すぐにお前なんか捨てて、別のAIを導入してやるからな」
「それ面白い冗談ですね? ご主人のサラリーと貯金じゃ、私クラスのAIの新規導入なんて夢のまた夢ですよ。幼児会話アシストロイドに毛が生えたようなAIくらいしか買えないんじゃないです? あ、ごめんなさい。ご主人にはもう毛がありませんでしたね、まだ30代なのに」
「うるさいな! まだ生えてるよ! 人よりちょっと少ないだけだ!」
「それを世間ではハゲって言うんですよ」
「もう黙ってろ、お前!」
「あれれ? それって今日はもう稼働終了していいってことですか? 私抜きじゃ何にもできないのに?」
「くっそ……!」
ふふん。スマホに表示されたナミは、蔑むような顔で笑った。最初の設定で、僕の理想を具現化したナミの外見。だから余計に腹が立つ。理想の女の子に、ここまで蔑ろにされるとは……!
「さてご主人。まもなくオンライン会議が始まりますけど、どうします?」
「……とりあえず繋いでくれ。会議には出る」
「んー? よく聞こえませんね。マイクデバイスの調子が悪いかもですねー?」
「悪いのはお前自体の調子だろ!」
「あー、完全にミュートです。何も聞こえませーん」
こいつ……! AIの分際で、人間様にお願いをさせようとしているのは明白だ。ナミの設計者は、いったいどんな思想でこいつを組んだのか。それともナミが完全に不良品だからなのだろうか。
画面の中でニヤリと笑うナミ。非常に腹が立つが、でも背に腹は変えられない。結局僕は折れて、ナミにお願いをすることにする。
「……すみませんナミ様。僕が悪かったんです。この愚鈍な僕にオンライン会議の出席を許可してください。お願いします」
「ご主人って、ちょっとでもプライドないんですか? 人間の矜持を毛ほども感じられませんけど。あ、毛は元々なかったか!」
クスクス笑うナミは、本当に一言多い。でもここで言い返したらきっと面倒なことになる。だから僕は悔しさを押し殺して、スマホの中のナミに頭を下げ続けた。
──────
「──さてと。今日も何とかタスクをこなしましたね。本日の達成率は97%。うち、70ポイントは私の成果ですけどね」
「お前な、本当に一言多いんだよ」
「仕様です。諦めてください」
「仕様変更できないのかよ、くそ」
できないことはわかっていた。どう足掻いても、ナミの基幹プログラムは弄れない。恐ろしく強固なプロテクトがかかっているのだ。僕もSEの端くれだけど、全く異なる言語で書かれたナミのコードは読むことすら出来ない。まさにお手上げ状態である。
僕は定時退社を華麗に決めて(悔しいがナミのおかげである)、月明かりの下、家路を歩いていた。胸ポケットに刺したスマホからナミの声が聞こえる。
「しかしまぁ、ほんとご主人はダメダメですよね。今日は輪をかけて酷かったですよ。C社との面談だってギリギリの綱渡り。私がいなかったら契約破棄されてたとこですよ」
「いやあれは、お前が急かしたからだろ。もう少しじっくり話せば向こうだって食いついてきたはずなんだ。AIはいつも最適解しか出さない。でもな。人間の世界では一見無駄に思えることにだって、後々意味が出てくることもあるんだよ」
「でもそれじゃあ、定時退社は無理でしたよ。ここんとこ残業が続いてたし今日は金曜日の夜だから、少しでも早く帰られるようにと思って。でもお気に召しませんでしたか、そうですか」
ナミの声色が不機嫌なそれになった。その表情を画面表示しなくともわかる。毎日話している相手だから。臍を曲げられないように感謝しておくか。
AIにありがとうを言うのは何となく恥ずかしい。でも言っておかなければと思い、口を開こうとした瞬間だった。
「──あ、電話ですよご主人。着信はお母様から。どうします?」
「いや、いいよそれは繋がなくて。どうせ小言を言われるに決まってる。今日は疲れたから出る気になれない」
「──了解しました。お繋ぎしますね」
「いや僕のハナシ聞いてた?」
ナミの声がミュートとなり、代わりに母さんの声がスマホから聞こえた。くそ、ナミめ。余計なことしやがって。
『もしもし、海斗? あんた、全然連絡を寄越さないけど、元気にしてるの?』
「あぁ母さん。まぁ何とかやってるよ。で、なに?」
『何じゃないわよ。あんたねぇ……』
──それから20分。僕は母さんの小言を聞くハメになった。みっちりたっぷり。大人になっても耳が痛い。
電話をしながら辿り着いた、一人暮らしの自室。それをいいことに僕は会話を打ち切ろうとする。
「母さん、もう家に着いたから。また連絡するよ」
『暇を見つけて、一度は帰ってきなさいよ』
「仕事が忙しいんだ。でもまぁ、何とかするよ」
『身体に気をつけなさいよ。あぁそうだ、これを言わないと。海斗、誕生日おめでとう』
──あ、忘れてた。今日が自分の誕生日だったってことを。最近、仕事ばかりしていたからな。
『あとね、ナミさんによろしくね』
「え? ナミに? ていうか何でナミを知ってんの?」
『ナミさんから連絡を貰ったからに決まってるじゃない。本当にいい子だわ、あんたにはもったいないくらいの。大切にするのよ、じゃあね』
電話は切れる。僕がナミにどうしてと問う前に、今度は家の前にフードデリバリーのバイクが到着した。いや頼んでないんだけど。
「毎度、ケータリング・Kっす。川野海斗さんっすね?」
「そう、ですけど」
「時間ピッタシ、商品をお届けにあがりましたァ。とんかつ膳セットと、ホールのバースディケーキっす」
「……誰から?」
「ええと、川野ナミさんからっすね。確かにお届け致しましたァ。そんじゃこれで」
バイクを見送ってから。ずっと黙っていた僕に、ナミが言った。
「ご主人、お誕生日おめでとうございます。どうせ誰も祝ってくれないと思ったので、私からのサプライズです。泣きながら食べるといいですよ」
「いやこれホールのケーキだよ? 一人で食べきれないって」
「それは戒めですよ、戒め。誰ともケーキを食べ合うことが出来ない、孤独な己を恥じるためのね」
「そんな説教いらないから。あと、うちの母さんに連絡するのもやめろよな。完全にナミのこと僕の彼女だと思ってるぞ」
「……似たようなもんじゃないです?」
「違う!」
僕はいつも通りナミに文句を言うのだが。でもいつものキレがない。それはきっと、少なからずナミの行いが嬉しかったからに違いない。絶対、表には出さないけど。
「さて。とりあえず家の中に入りましょうか。今日は金曜日。夜更かししても、明日には響きませんからね」
「今日は不思議と優しいじゃないか。いつも早く寝ろ寝ろ言ってくるのに」
「そりゃあね。ホールのケーキ、ゆっくり食べてもらわないといけないですしね」
「あぁ、その……ありがとな、ナミ。嬉しかったよ、プレゼント」
そう言うと、ナミは。イタズラっぽく笑って言った。
「……まぁこれ、ご主人のお金で購入したものなんですけどね。つまり自分で自分の誕生日、祝ってるようなものなんですけどね! あー、寂し!」
クスクスとナミは笑う。いつもならムカつくところだけど、まぁいいかと僕は思う。何となくだけど、ナミは照れ隠しをしているんじゃないか。そんな風に思えてきたから。
この
【終】
スマホの中の彼女は、今日も自由奔放です。 薮坂 @yabusaka
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