地図アプリが教えてくれたやさしい街
秋色
地図アプリが教えてくれたやさしい街
桜子は、
なぜなら好奇心旺盛で、まるで王様のように我が物顔に家中を踏み荒らしていくこの五才の女の子の世話をいつも任されていたからだ。
アラフォーの桜子おばさんとちっちゃな蓮花はいつもセットみたいなもの。そうみんなは言う。
元は両親と桜子が力を合わせ、ローンで手に入れた家。でも今は弟夫婦が住んでいて、その一階でお惣菜屋をやっている。両親二人は、足が不自由になると、より快適に過ごせる高齢者向けマンションに引っ越した。だから今は桜子はこの家で弟夫婦とその子ども達と暮らしている。会社勤めの合間に子ども達の世話をするのも桜子の日課だ。
今日はお惣菜屋は定休日。桜子の仕事も休みだった。みんなそれぞれの用事で出かけ、桜子と姪っ子の蓮花だけが留守番の予定だった。出かける前に弟のお嫁さんは言った。
「姉さん、じゃ蓮花をよろしくお願いしますね。家の中で動画サイトの動物でも見せてたら、ちょっとは大人しくしてるはずですから」
「動画サイトなんて、見れるかしら。私スマートフォンは苦手だから」
「心配しないで、姉さん。蓮花はスマホ手慣れてるから」と弟。
蓮花のお兄ちゃんやお姉ちゃん達も、
「桜子おばさん、スマホの扱いなら、無理せず蓮花に任せなよ」なんて桜子のスマホの扱いには信用がない。
桜子は永遠にガラケーのままでも良いと思っていたのにお店の人に勧められるがままにスマホを買っただけだった。第一、こんなちっぽけな板にみんな頼りきりなんて変だ。この小さな板は桜子にはちっとも優しくない。指は変な所を滑るし、すぐ誤変換するし。イライラがつのり、心がささくれだつ。
「そうだわ!」桜子は
桜子の提案に蓮花のママである弟のお嫁さんは言った。
「いいわよ。危なくない所なら。でもちゃんとスマホを持って行って下さいね。お姉さん、方向音痴ですから」
桜子は心の中で、失礼ねと
実は昨日の朝刊に、近所に新しく開店したカフェのチラシが
「おばちゃんと出かけよう!」
「出かけよう!」と蓮花は大はしゃぎ。
桜子は念のためスマホもポシェットに入れた。
蓮花を連れて家を出て、振り返った時、お惣菜屋の
☆
チラシにある地図の通りに行ったのに、家を出て五分位で道に迷った。
「ったくこんな簡単過ぎる地図じゃ分かるわけないでしょ!」
ブツブツ言う桜子に蓮花は「もしかして桜おばちゃん、迷子になったの? スマホで調べたら?」と直球で
「迷子じゃないのよ」と言いながら、スマホを取り出した。
――そうだ、こういう時こそスマホで調べればいいんだ。確か地図アプリもダウンロードしてあるはず。そうそ!――
桜子がスマートフォンを買った時に弟が便利なアプリをいくつかダウンロードしてくれていた。
ところが地図アプリで場所を入力しようとしてもなかなか上手くいかない。「おばちゃん、一回帰ろうよ」と冷静に言う蓮花をなだめて、必死に「ココに行きたいの」と音声入力する。場所さえ入力出来れば「経路」という文字が出るはず。そして、それをタップすれば地図上に赤い点線の矢印が出て、その通り歩けばいい。何度か「ココ!」を繰り返していると、「経路」の文字が大きく出て、指が上手い具合にそこに触れた。そうすると大きな赤い点線の矢印が現れた。ただし、それはスマホの画面上ではない。実際の道路の上。
「何これ? こんなサービスがあるんだね。分かりやすいけど……」桜子は心の中で地図アプリを称賛しながら蓮花と一緒に必死で赤い点線を
――チラシでは徒歩で行ける程、近所だったはずなのにな。しかも長くこの地域に住んでいるけど、こんな
深緑色の車体は、街路樹が涼し気な葉陰を作っている道の中央を滑るように走った。青いシートに座り、桜子と蓮花は流れていく風景をただ見ていた。
「こんな所が私達の街にもあったんだね」
そして七つ目か八つ目の駅に着いた時、赤い矢印は、
「どしたの? おばちゃん」
「いや、運賃、払うよう言われなかったと思って……」
でもこれは市の無料サービスかもしれない、とそうも思った。赤い矢印は少し坂になった石畳の道へと続いていた。そこは違う街への入口になっているのだろうか? 小さな薔薇のアーチと薔薇の
するとそこにきれいな金髪とも銀髪とも言えるような不思議な髪の色をした若い女の子がいて、話しかけられた。
「お待ちしていました。ご案内致します」
「あの、私たちに言っているんですか?」
「はい。私は
「でも、私達、お店の予約なんてしていないですよ。誰かと間違えていませんか?」
「いえ、ここに来られると報告を受けています」と淡々と話す。
「おばちゃん、他のお客さんはいないし、案内してもらおうよ」
確かに間違えようにも私達の他には誰もいない。
それにしても不思議な街だった。異国のようにも思えるけど、なぜか大きな看板が色々な場所にあって、しかも桜子の興味を引くものばかりだった。いつか欲しいと思っていた旅行鞄、白のウォーキングシューズ、月の光をイメージしたパフューム等。
「まずはどこに行きますか? どんなお店でもあります」
桜子は「カフェへ」と言いかけたけど、蓮花の方が少し早かった。
「ペットショップに行きたい。昨日、テレビで見たわんこやニャンコがいるような」
桜子は言った。「あれは保護犬だったよ」
「分かりました」
「気を引いたり触る事は出来ません。見るだけです」と案内人は言う。
そこにいる柴犬、フレンチブルドッグ、スコティッシュフォールド等は皆どこかに傷があったり障害があるみたいで、悲しそうな眼をしている。それぞれの仕切りには看板があって、それを見ると飼い主が決まっているものも多かった。
歩けなくなったフレンチブルの前の看板には「飼い主決定しました」とあり、新しい飼い主の写真が付いていた。優しい眼をした青年。
傷だらけで隅に縮こまっている柴犬の前の看板にも新たな飼い主の写真が付いていた。田舎の大家族みたいだ。
「おばちゃん、あの猫飼いたい」と蓮花はふかふかのスコティッシュフォールドを指した。「だめよ。ウチは食べ物扱うから。あの子にもきっと良いおうちが見つかるから大丈夫」
ペットショップを出ると、隣に大きな古物商のお店があって、その口髭を生やした店主が桜子に言った。
「いつぞやはお取り引き、ありがとうございました」
「え? 私はここに来るのは初めてですが……」
「いえ、そんな事はないでしょう? あのオルガンは無事、希望者に落札されましたよ」
桜子はハッとした。お父さんの飴色のオルガンは弟が処分したんだった。捨てたものとばかり思っていたけど、もしかしたら古物商に売ったのかもしれない。弟よ、売上は何処へ。いや、捨ててないのならそれでいい。
「あの、そのオルガンを買ったのってどんな人でしたか?」
「それはお教え出来ない事になっています。ニックネームまでしか」
「ニックネームって?」
「確かJSI0506でしたか……」
「はぁ……」
「
「ええ。お連れしましょう。何度か訪れた事があるはずですよ」
「こちらが桜子さんの家にあったオルガンの特徴と合うものです」
そこにはたくさんの古い型のオルガンの写真が貼ってあった。そのうちの二つはお父さんの持っていた物と見分けがつかない。古物商が売った相手なのだろうか?
一つ目は高齢者施設らしいベルホームという名前の人の写真で「オルガン届きました。みんなの人気者のオルガンです♡」とある。笑顔のおじいさん、おばあさん達に囲まれるオルガンの写真。何だか幸せのオーラを感じる一枚。
もう一つは懐かしい感じの小学校の教室の写真で、「古いけどすてきなオルガン。大事にしよう」とある。桜子のお 父さんも教員だったので、これも嬉しい。
この幸せな気持ちをどうやって伝えたらいいだろう。
「"再び
☆
いつの間にか不思議な街から帰ってきた桜子と蓮花。二人は居間で向かい合い、スマートフォンを前にしていた。
待ち受け画面の薔薇のアーチが開いてメロディが鳴る。
「おばちゃんのスマホに何か言葉が出たよ」
――あなたのリツイートに♡がつきました――
桜子の呪文は効いたみたいだった。
地図アプリが教えてくれたやさしい街 秋色 @autumn-hue
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