なぞの転校生。
藤光
なぞの転校生。
1988年9月、高校三年生のこの時期に転校生があるというので、新学期の教室はざわついていた。
「大学受験まで五ヶ月だぜ」
「この時期に転校だなんて」
「きっと大学はあきらめてるのよ」
さまざまな憶測が駆け巡ったが、当の転校生が姿を現すと、教室を満たしていた雑音はたちまち鳴りを潜めた。
「
背が高く清潔感のある容姿、彫りの深いギリシア彫刻のような顔立ち、思慮深い声と知性を感じさせる眼差し。篁は、だれもが一目見ただけで只者ではないと感じる高校生だった。
実際、篁は勉強もスポーツも抜群にできた。二学期の中間テストの結果は、学年トップ。体育祭のリレーではチームを優勝に導く快走を見せた。ひと月余りで、篁命の名は学校中に知れ渡ることになった。
「篁くんってすごいわ」
理科準備室兼物理部室で、部長の
「彼の学力なら転校のハンデなんて、まったく関係ないわね。東大一直線よ」
「おまけにスポーツ万能で、人当たりもいい。天は篁のようなやつには二物も三物も与えるものらしいな」
常日頃、部室にこもって僻むぼくたちが、篁への認識を改める機会がやってきたのは、10月も半ばを過ぎた頃だった。篁がふらりと物理部の部室に姿を現したのだ。
「た、篁くん」
「やあ、時島さんに真鍋くん、ちょっといいかな」
むさ苦しい部室へ、爽やかに現れた篁が「きみたちが興味をもつだろうと思って」とさっそく取り出したのが、手のひらサイズで長方形をした金属製の板だった。それは片面全体にガラスがはめ込まれており、おそろしく精巧だ。
「なんなのこれ」
「スマホ。携帯電話だよ」
電話といいながら、電話線の繋がっていないそのスマホとやらを篁が指で触れると、たちまち色鮮やかな画像が次々にガラス面に現れた。
「なにをしたんだ」
「スマホをネットに接続したんだ」
相変わらずスマホが何かと接続された様子はない。篁の手の中で発光しているだけだ。
「きみたちなら、これが使いこなせるはずだ。1日預ける。興味があれば、明日五時に視聴覚教室へきてくれ。大事な話があるんだ」
そして、ぼくと瓶子のあいだにスマホを置いて部室を出て行った。その後、ふたりのあいだに小さなパニックが巻き起こることを見越して。
「すごい。指で触れるだけで動作するわ。ネットって、コンピュータネットワーク? ニフティサーブに繋がるのかしら」
「パソコン通信かい。それより、これ電話っていたぞ。かけてみようか。この受話器のアイコンがそうなのかな」
果たして、受話器の形をしたアイコンに触れるとプッシュボタンのアイコンが現れた。半信半疑で自宅の電話番号を押すと、呼び出し音が鳴り始め――。
(……はい、真鍋でございます……)
あわてて電話を切る。母親の声だった。
「繋がった!」
「無線電話ね。電話線がないからどこへでも持ち歩ける」
「まさに携帯電話ってわけだ」
そのあとも、ぼくたちは校舎が施錠される午後7時まで部室に籠り、スマホを挟んで頭を突き合わせていてた。
「よくわからないけどすごい。キーボートやマウスなしに入力できるし、パソコンなんてものじゃない。小さいけれどとんでもなく高性能なコンピューターだぞ」
「このディスプレイが入力デバイスを兼ねてるってわけね。すごいアイデアだわ」
「それだけじゃない。見ろよ、背面にレンズがついてる『カメラ』にもなるんだ」
「えっ、でもこんなに小さくちゃフィルムは使えないわ」
「映像をデジタルデータとして、メモリーに記録するんだろう。それにしても小さすぎる! すごいな、こんなの地球の技術じゃ作れないぞ」
「えっ、じゃあ、彼は宇宙人ってこと?」
篁の人間離れした完璧な容姿を脳裏に思い描き、息を飲んだ瓶子とぼくは引きつった顔を見合わせた。
「じゅうぶん考えられるよ。これは
時計の針が午後7時を指し、詳しくスマホを調べる時間はなくなっていた。スマホはとりあえずぼくが持って帰り、調べた結果をあくる朝、瓶子に知らせるということでその日は下校した。
翌日、結局一睡もすることなく朝を迎えたぼくの顔を見て、瓶子はぎょっとして眼鏡を落としそうになっていた。
「だいじょうぶ? 目の下のくまがすごいけど」
「やばい。瓶子が美人に見える」
「……そりゃやばいわね」
「ほんものだ。篁は本物の宇宙人だ。昨日、あれからスマホを操作してみたんだけど、とんでもない情報が次々と出てくるんだよ」
「とんでもないって……」
「わからないよ。ソ連のゴルバチョフが進めるペレストロイカの内容とか、アメリカ軍のアフガニスタンからの撤退計画とか、国家機密で新聞に載ってないことがスマホには記録されてる。それに動画だ。ビデオテープでもないのにいろいろなニュースの動画再生ができるんだ。おかげで見逃していたソウル・オリンピックの陸上男子100m決勝を見ることができた。歴史に残る事件だね、ありゃ」
「わたしたちが知り得ない情報を彼らは収集してるってこと?」
「そう。ぼくたち地球人をより深く理解するためにね」
スマホはこのままぼくが預かっておくことにして、放課後、ふたりで篁の待つ視聴覚教室で会うことにして瓶子と別れた。
午後五時。視聴覚教室へ向かうとすでに瓶子が待っていてぼくを手招きした。ぼくたち以外にも人がいた。
「わたしたちだけじゃないみたい」
「うん、あれはSF研の眉村たちだ。あそこは小松と文芸部のメンバー。天文部の星野たちもいるぞ。篁のやつ、いったい何人にこの話を持ち掛けているんだろう」
席につくと、間もなく教壇に篁が現れた。ひとりではない、他校の制服を着た女生徒が彼を手伝っている。篁と同じで恐ろしく整った顔立ちをした美少女だ。教室にざわめきが広がった。
「篁、きみから渡されたスマホを調べさせてもらった」
口火を切ったのは、SF研の眉村だった。彼はスマホが地球の技術では作製できない物であることを明快に指摘し、更に一般には知られていない情報に接続できるこをまで示してみせた。
「これは未知のテクノロジーで作製された存在不可能な
ぼくをはじめ、教室に詰めかけた全員が深く頷いた。
「まったく驚いた。話が早いな、きみたちは。眉村くん、残念ながら、ぼくはきみがそう思いたがっているような宇宙人じゃないよ」
「だったら、きみの持ってきたこれは、なんだっていうんだ!」
スマホを掲げて眉村が篁を問い詰める。
「特別なものじゃないよ。だれだって持っているありふれた物だ。未来の世界ではね」
「未来?」
ざわつく教室。
「そう。わたしたちは、本来、2022年の地球に生きている。きみたちからすると、未来人といった存在ね」
篁を補佐している女生徒が言った。ということは、彼女も未来人……。
「まってくれ。2022年だって?」
思わずぼくも立ち上がっていた。スマホは21世紀のテクノロジーの産物なのか!
「そのとおりだ。きみたちからすると存在不可能な技術と情報にしか見えないかもしれないが、2022年には一般的な工業製品や歴史的事実にしかすぎない」
「工業製品……歴史的事実……」
2022年いとえば、34年後だ。わずか半世紀もたたないあいだに地球の技術は、こんなものまで実用化してしまているというのか。
「でも、なんために過去へやってきてこんなことを?」
もっともな瓶子の問いかけに、篁は未来世界の危機を話しはじめた。
2022年の未来は閉塞感に包まれていること。未知のウイルスが世界中に蔓延し、人類の生存が脅かされていること。そして、怨嗟と諦念に捉われた若者から創造性が失われつつあること。
「だが、きみたちの世代はちがう。これから未曽有の好景気がやって来るこの時代のきみたちは、未来への信頼と創造性にあふれている。ぼくたちはこのスマートフォンを通じて、ぼくたちにない思考と発想を収集するためにやってきたんだ。協力してほしい」
「わたしには時間が残されていないの。お願いします」
ふたりの未来人はぼくたちに向けて深々と頭をさげた。
にわかに信じられないと、ぼくや瓶子、眉村たちの意見はまとまった。ただ、もう少し様子を見たいという意見もあり、その日は散会したのだが、そのためにこの件は永遠に謎のまま終わることになってしまった。
翌日、篁が警察に逮捕されたのだ。共産圏からのスパイ容疑。新型の小型コンピューターを使って日本の情報をソ連の工作機関へ流出させようとしたというのだ。ぼくたちがもっていたスマホはすべて警察に没収された。この事件は、連日テレビで大きく報道されたが、年も明け、いよいよ受験シーズンが近づいてくるとニュースではもちん、当の学校でも篁のうわさは小さくなりやがて消えていった。
でも、ほんとうだろうか。
篁の事件に関しては、何度も「嘘のような本当のこと」が起こった。じつは警察の発表が嘘で、篁たちの言っていたことが本当じゃなかったのだろうか。2022年まで、34年。ちょっと長いが、本当か嘘か、じぶんの目で確かめられそうだ。未来の世界に危機はあるのか、ぼくたちどう立ち向かうのか。見届けようじゃないか。
なぞの転校生。 藤光 @gigan_280614
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