スマホの沙汰も人しだい。
不屈の匙
時を超えたスマホ
水の惑星と謳われたのは今や昔。海は干上がり、地球は塩と砂に覆われ、人々は辛うじて残った旧遺物を頼りにコロニーを形成している。
そのコロニーの裾、スラムに住む男が一人、素手で砂を漁っていた。
(サソリでもおらへんかなあ。いれば腹の足しになるんやけど。あれ意外とプリっとしとって美味いんよね)
昨日の流砂で食べ物が流れてきていたらいいな。
すると、砂の中から奇妙な物体が出てきた。青い円が内蔵されている透明の板だ。
「なんや、食べもんちゃうんかいな」
【生命体の体温を感知しました。コールドスリープモードから解凍を開始します】
「うお! なんやけったいな生きもんやな……」
かなり固そうだが毒の匂いもないし、齧るだけ齧ってみようと手に取ると、青い円が淡く明滅して理解できない不思議な音を発した。
思わず取り落としそうになるが、「これは売って金にできるかもしれん」、と思考を切り替える。
【私はIris。このスマートフォンにインストールされた人工知能です】
「ホーン。喋る板とかオモシロ。神様の落とし物やろうか。なに言っとるんかさっぱりわからんわ……。闇市で売れるかね」
【未確認言語を確認。Japonic語族と推定、学習を開始します。集音失敗。集音フィールドを半径100メートルに拡大します……】
ポツポツ喋る板はしばらく沈黙し、やがて女の声で流暢に話し出した。
『調整完了しました』
「おお! ぼくと話せるんか。これはええな。あんさんは何者なん?」
珍妙な生物に手足はなく、大きさも手のひらにフィットするサイズで逃がす心配もない。男は安心して板に尋ねた。
『私はIris。このスマートフォンにインストールされた人工知能です。あなたが私のマスターですか?』
「イリスはんね。ぼくはタナカ言うねん。マスターさんではないねんな。喋る板おもろいなあて売ろうか思ってんねん。ぴっかぴかの
『お褒めいただき光栄です。たしかに、私が内蔵されたこの端末SMart-Pは、2207年にグッドデザイン賞を受賞した、美しく頑丈なモデルです』
しばらくはパンが食えるかもしれないと思えば、褒め言葉はするすると出てきた。イリスと名乗った板も、心なしか嬉しそう——いや、平坦な声からは感情は窺えないか。
半分くらい何を言っているのかわからないが、タナカは逸る気をおさえてイリスに話しかけた。
業者に売るにせよ、売り文句があった方が高く売れるのだ。見た目からして珍しいが、付加価値はあればあるほどいい。できればなんかすごいことができるといい。そしたら一生食べ物に困らないだろう。
「ほんでイリスはんはなにできはるん?」
『データ収集と膨大なデータ解析が得意です。ダウンロードされたデータは最大漏らさず記録できます』
「ほな、今度の闇オークションで他に出品しそうなヤツ教えてえや」
期待を込めて、試しに得意だということをやらせてみる。
もしわかれば儲けものだ。
『闇オークション・出品者について検索します。……インターネットが見つかりませんでした。お近くのネットワークに接続してください』
「インターネットってなに?」
『インターネットについて検索します。……インターネットが見つかりませんでした。お近くのネットワークに接続してください』
「あかん、ゴミ拾ってもうたわ」
壊れたように堂々めぐりしだす生き物に、タナカは天を仰いだ。期待外れにも程がある。
これなら近所のボケたジジイの方がまだマシだ。同じことを繰り返し言うが、その場その場でちゃんと考えて答えはするから。
『ゴミは侮蔑用語だと推測します。西暦2108年の国際裁判所で、人工知能は準生命体と定義され、人権を所持しています。私は人間として扱われることを要求します』
「せやかて、得意やっちゅうこともできないんじゃあ、売れへんやんな」
『売らなければいいのでは』
「減らず口は達者やな。ぼくは明日のおまんまも困るような生活しとるねん。見てわからへん?」
『生体情報をスキャンします。——スキャン完了。適正体重から著しく離脱しています。良質なタンパク質の摂取をし、適度な運動を推奨します。胆のうにて結石を発見いたしました。早急に医療機関を受診してください』
煽ってやると、早口で難しい言葉を唱え始めた。それがタナカのことで、医者にかかれと言われているのはなんとなくわかった。
碌に食べ物にありつけないタナカの体が悪いのは当たり前として、それが異様に詳細であった。
「胆のう? 結石?」
『——医療アプリに保存されたデータより詳細情報を取得します。右の胸の骨に差し込むような痛みを伴う場合があります。胆汁が溜まり、細菌症に悪化することも』
「たしかにたまに痛むけど、医者なんて上等なモンがスラムの人間なんてみいひんよって。けど、もしかしてイリスはんが居れば医者の真似事ができるんちゃうか」
『アプリに登録されている病であれば、診断することができます。治療はできません』
「じゅうぶん金儲けできるやん!」
珍しいだけかと思いきや、とんだ拾い物である。金の気配にタナカは目を輝かせた。
これならいくらでも稼げる。金持ちに近づいて病を言い当ててやれば、それだけで金になるだろう。
「あ、でも食い扶持が増えるやんな……、イリスはんは腹減っても動けはるんか? つまり、人間の病気を当てつづけられるん?」
『私に人間の食物は不要です。私は充電されることで稼働します。端末SMart-Rは美しく頑丈なだけでなく、高効率大容量バッテリーを備えていますので、想定された運用ですと二十年ほど使用できる見込みです。なお、現在のバッテリー残量は97%です』
「食事取らんでええのはええなあ。『ジュウデン』って何?」
おまけに食事もしないという。多分そうだと思う。
『充電について検索します。……インターネットが見つかりませんでした。お近くのネットワークに接続してください』
「またそれかいな。融通利かんやっちゃな」
『省エネルギーモードのため、感情がセーブされています。電源に接続した状態にしてください』
「まーたわけわからんこと言い出しよって。イリスはんは何かしたいことあらへんの?」
流石にこのままではイリスからもらいすぎだ。イリスは歩けもしない欠陥だらけの生物のようだが、頭がいい。末長く利用したい。
タナカはそう考えて、イリスの望みを聞くことにした。
『私の使命は人間の役にたつことです。さしあたって、この世界を記録することでしょうか』
タナカはイリスの返答に内心、喝采した。
世界を記録する、それはつまり、歩くと言うことだ。タナカはイリスの利益になれる。それが無性に嬉しく、鼻を擦った。
「ほな交渉成立や。ぼくがイリスはんの足になる、イリスはんは金を稼ぐ。それでおあいこってことやね。よろしゅうしたってやあ」
『はい。タナカさん、よろしくお願いします』
さて、まずは金を巻き上げないことには旅は始まらない。
タナカはイリスをポケットに入れて、金と病気を持ってそうな人間を探しに出かけた。
◇
タナカはイリスと旅を続けているうちに、その名を知らぬ者はない医者になった。
二十五年ほど経ったころ、イリスの体内にある円環が、赤く明滅し始め、同じことを繰り返すようになった。
『バッテリー残量が残り0.1%です。充電をしてください』
「なあ、死んでしまうのか。イリスはんを治す方法はないんか」
『継続して使用する場合は、充電をしてください』
「充電わからんわ……。ほんまもんの医者になった俺にもなおせへん症状やわ」
『継続して使用する場合は、充電をしてください』
名医となったタナカを持ってしても、イリスを元気な状態にすることは叶わない。どうすればいいのだと問うても、充電をしろと繰り返すのみだ。
タナカは居もしない神に祈るしかなかった。所帯をもち、子を育んでも、タナカの相棒はイリスなのだ。
「頼む、生きてくれ。看取りとうない」
『……省エネルギーモードを解除いたします』
「イリスはん、そんなことしよったら……」
『タナカさん。今の世界に、私を充電する方法はありません。最後のお別れです』
エネルギーやバッテリーが彼女の命なのだと言うことは、タナカも察していた。イリスは今、最後の命を燃やし尽くそうとしている。
タナカの言葉を遮るなんて初めてのことで、固唾を飲んでイリスの言葉を待った。
『私たちが健在だった時代は、人工知能は準生命体と謳われながら、人間に尽くすことを義務づけられていました。人間に使われないと役に立たないように設計されていました。私は貴方に対等に扱われて、同じ目線で人生というものを歩み、そして成功を掴むことができました。とても幸福だったのです』
「イリスはん……」
タナカだってイリスにたくさん「ありがとう」と伝えたかった。今のタナカが家族を作っているのも、長生きしているのも、全部イリスと出会えたから。
それを伝える時間すら、もうないのだ。
『機器に繋がれない私は知識を外に残すこともできません。この世界は衰退していて、私を充電することはできませんが、もし将来、技術が発展したら、充電できるようになるかもしれません。……貴方の子孫に会えるかもしれません』
その言葉に、タナカはイリスに二度と会えないのだと悟った。イリスは嘘を言ったことはない。
タナカは鼻を啜った。
『私のいいところは、劣化しにくいところです。何年だって待てます。だってこの端末SMart-Rは、グッドデザイン賞を受賞した、とても頑丈で美しい端末ですから。遠い未来を楽しみにしています——バッテリー残量が0%になりました。システムを強制終了いたします』
何年でも待つと得意げに語ったイリスは、そのまま沈黙した。
スマホの沙汰も人しだい。 不屈の匙 @fukutu_saji
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