父のスマホ

楠秋生

第1話

 克之のもとに父が危篤だという連絡がきたのは、春の陽射しが少しずつあたたかくなりはじめた三月の半ばだった。克之は家族とともにすぐに田舎に向かったが間に合わず、物言わぬ抜け殻になった父は静かに横たわっていた。その姿は眠っているようで、すぐに悲しみはやってこなかった。


「おじいちゃん、お正月は元気だったのに」


 高校生の有希と栞里がぽろぽろと涙をこぼす。妻はそんな二人を抱き寄せ、静かに悲しみをこらえ肩を震わせていた。

 克之は窓辺に寄り、外の景色を眺めた。今年は開花が早いという桜が蕾をふくらませている。

 五年前、脳梗塞で半身不随になり言語障害も残った義之は、地元の特別養護老人ホームに入っていた。叔母の昌美は月に何度か面会に行ってくれていたようだが、克之は盆と正月くらいしか帰れていなかった。もっと帰ってくるべきだったと、三年前に母が亡くなった時も思ったのを思い出した。




 葬儀が終わって家に帰る前の晩、昌美が義之のスマートフォンとと一枚のメモを克之に差し出した。


「克っちゃんに渡すように頼まれたの」

「スマホ? 父さんの? そんなの持ってたっけ?」


 義之の連絡先を聞いた覚えはない。


「あら、知らなかった? 兄さんが入居するときに、園子義姉さんとお揃いで買ったのよ」


 そういえば、聞いたことがあるような? 克之は頭を捻って記憶の糸を手繰った。


「この年になってスマホデビューよ。難しくってまだあんまり活用できていないけど、便利なんだろ? LIMEってのを使うと、簡単に連絡できるって父さんが言うからね」


 嬉しそうにに話す園子の笑顔がよみがえってきた。義之が入居してしばらく経った頃だったか。そうか、あの時母の連絡先だけを聞いたのだったか。


「園子義姉さん、最後まで入居に反対してたでしょう? 離れるのが嫌だったのよねぇ。兄さんのこと、大好きだったものね」


 初めは時々ヘルパーを頼んで自宅介護していたが、園子の腰痛がひどくなり、体調を崩すことも増えた四年前、義之が入居を希望したのだ。それを反対する園子を納得させるために購入したようだ。

 園子とはLIMEでもやりとりしていたが、義之は持っていることすら知らなかった。寡黙な彼が活用したとは思えないが。


「兄さん、こまめにLIME送ってたのよ」


 克之の考えを見透かすように昌美が話し出した。


「入居を渋っていた園子義姉さんを安心させるために、かしらね。『腰は大丈夫か』とか、『今日は何をした』とか。庭の花や空の写真とか」

「そんなにマメな人だったか? 俺とは繋がってもいなかったのに」

「そりゃあ、息子には照れ臭かったんでしょう。この話は園子義姉さんが嬉しそうに話してくれたから知ってるだけで、兄さん、私にも用がなければ送ってこなかったよ。……最期にスマホを取れって手で合図するから渡してやったら、『今までありがとう』って送ってきたけどね」


 その時のことを思い出したのか、瞳を潤ませる。


「その後、このスマホをメモと一緒に克っちゃんに渡すように送ってきたのよ」


 克之に渡したスマホを指差す。


「何か残してるのかもしれないねぇ」


 メモには数字の羅列。多分パスワードだろう。


「ノートを見てほしいって」



 翌日、克之は帰りの新幹線の中でスマホのノート開いてみた。


『   克之へ

 下記のサイトの始末を頼む。


 フェイスブック、インスタ、ブログ、小説投稿サイトヨムカク』


 克之は目を疑った。義之がフェイスブックやインスタをやっていたなんて信じられない。園子とLIMEをしていたことだって信じがたいのに。ブログまでやってたって? そして何よりも驚いたのが、小説投稿サイトヨムカクだ。

 ヨムカクには、克之も投稿している。義之が文章を書いていたことも驚きだが、たくさんある投稿サイトの中で、自分と同じサイトで書いていたとはなんという偶然だろう。

 克之は顔を上げて窓の外を見た。開花をはじめた桜の並木が遠くを流れていく。義之は一体どんな文章を書いていたのだろう。胸の高鳴りを覚える。すぐに読みたいいう衝動もわきおこったが、じっくりと味わいたいと思い直した。


「それ、今朝言ってたおじいちゃんのスマホ?」


 克之が取り出したときからチラチラと見ていた有希と栞里が訊いてきた。


「ああ、フェイスブックとかブログとかやってたみたいだな」

「私たちも見ていいかな」


 克之は頷いてフェイスブックとブログとインスタをLIMEの家族グループで共有した。克之に教えたということは、見てもらいたかったということなのだろう。

 フェイスブックの義之の投稿をずっとさかのぼって見た。向かい合ったボックス席で、それぞれが義之の軌跡を辿っていった。

 環境問題や、福祉問題のグループに参加していて、投稿している内容もそういったことが多かった。友達も多く、投稿のコメント欄はディスカッションで埋まっていた。

 こんなことを考えている人だったのかと、初めて知る義之の素顔に衝撃を覚えた。もっと話してみたかった。もう遅いのに、そんなことを思った。

 追悼アカウントに変更したので、続々と義之の冥福を祈るコメントが入ってきていた。



「おじいちゃん、すごい人だったんだね」

「こんなこと、考えたこともなかった。……勉強になる」

「フェイスブック、もっと早くに教えてもらいたかったよ」


 ブログは、リハビリ日記だった。半身不随になってからの大変さと努力が伝わってくる。こういうのを見せると心配すると思ったのだろうか。だから教えなかったのか?

 インスタは、花と空ばかりだった。園子に送ったという写真はこの中のものなのかもしれない。施設内の狭い行動範囲の中で見つけた自然。それらを見つめる優しい視線を感じた。




 自宅に帰ったその夜、みんな寝静まって一人になってから、父と飲み交わすつもりで極上のウイスキーを開けた。緊張しながら義之のスマホでヨムカクに入ってみる。


「!?」


 スマホの画面に現れた作家名を見て、思わずグラスを落としそうになる。マイページを見ても、ワークスペースを見ても名前はやっぱり同じ。間違いじゃない。


 春野伊吹。それはとてもよく見知った名前だった。克之がヨムカクに登録した初期の頃からの作家仲間の一人だ。最初はどっちが先だったのか。レビューをもらったり、近況ノートで交流したり。

 彼の作品は、感性が特に優れているわけでもなく、描写が格別に上手いわけでもない。だけど芯にどっしり一本通ったものがあり、優しさが滲み出ていて、克之は好きだった。そして、彼からもらうアドバイスやレビューもまた、温もりに溢れていた。

 あれは、父だったのか。克之は感慨深く彼の作品を思い返した。

 無口であまりしゃべらなかった義之。身内よりも他人の方が自由に話せたのか。それともただ、面と向かって会話するのが苦手だっただけなのか。

 父は克之が作家仲間だったことを知っていたのだろうか? それとも会話からなんとなく分かる年齢層から、息子である自分と重ねていたのだろうか。今となってはわからない。

 ヨムカクのことを教えたということは、自分の書いたものを知ってもらいたかったということだろう。あるいは仲間だったことをしらせたかったのか。

 いずれにせよ、克之は春野伊吹が書いたものを読み、彼が父であることを誇りに思った。

 ずっと彼の近況ノートを遡り、スタートが四年前であることを見つけた。身体が不自由になり、動けなくなったときに妻と一緒に購入したスマホでいろんな情報を知り、フェイスブックやブログ、インスタをはじめ、文を書く楽しさを知り、それからここにたどりついたと書いてあった。

 この小さなスマホが、動けなくなった父の世界を広げてくれたことに感謝する。

 妻と子どもたちにも春野伊吹のことを教えると、三人ともしっかり読み込んで感動していた。


「おじいちゃんと、いろんなこと話してみたかったな」


 そう、克之も話してみたかった。もう話せないのだと思うと、じんわりと悲しみが胸の奥深くにしみわたっていった。


 自分の作品ことは、まだ気恥ずかしくて言えていない。父もこんな気持ちだったのかもしれない。




 それから一ヶ月後、春野伊吹の新作が公開された。気づかなかったけれど、予約投稿してあったようだ。

 それは、半実話のあたたかい家族を描いた父親目線の小説だった。年老いて、孫も生まれ、幸せな生涯を閉じる男の話。自分を投影していたと思っていいのかな。ちゃんと幸せだったと言ってくれているのかもしれない。


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