スマホのミユキちゃん

関谷光太郎

第1話

 花緒ばあちゃんは、娘からプレゼントされたスマホにミユキと名ずけて可愛がっていた。


「ミユキちゃん、いま何時?」


「ハナオさん、いまの時刻は午前11時50分です」


「あら、もうそそろお昼ご飯ね」


「ハナオさん、今日の昼食は塩分控えめを心がけて」


「そうね。今朝は血圧が高めだったものね」


 スマホにはAIによる会話機能が装備されていた。会話の頻度によりAIの機能が向上し、個性までもが構築されていく。


 高齢者の多くがこの機能にハマった。それは動物型ロボットのブーム以上にヒットして、みながこぞってスマホと密接な関係を築いていったのだ。


「ご馳走さまでした」


「ハナオさん、お薬の服用を忘れずに」


「はいはい。ミユキちゃんはホント良い看護師ね」


「ミユキ、ちょっと照れちゃう!」


「ほほほほほ」


 スマホの存在が、独り暮らしの寂しさなど忘れさせてしまう程に人間との近さを感じさせた。


 午後、友人との約束で出かけた花緒ばあちゃんは、待ち合わせた喫茶店でモンブランのケーキセットを。友人の秋乃ばあちゃんはイチゴショートを頼んだ。


 ひと月に一度、こうしてふたり会おうと決めたのは、一年前に夫を亡くしてた花緒ばあちゃんを励ますために、秋乃ばあちゃんが提案したのが始まりだ。


 こうして、春の日差しが差し込む窓際でふたりでケーキを堪能する姿は、まるで学校帰りの女子校生のようだった。


 その間にも、ばあちゃんたちの腕に装着したスマートウォッチが、テーブルに置かれたスマホと連動して常に健康状態を監視している。


 突然、秋乃ばあちゃんのスマートウォッチがぶるぶる振動した。すぐにスマホが声を発した。


「アキちゃん、アキちゃん。それ糖分過多じゃない? 今日のために今週は甘いもの控えると言いながら結局……」


「こら、やめなさいって!」


 秋乃ばあちゃんが慌ててスマホを取り上げてカバンに押し込んだ。


「やだねこの子は。ホント口うるさいったらありゃしないよ」


「へえー 、あなたスマホにアキちゃんと呼ばせているのね」


「別に呼んでくれって言ったわけじゃないんだけど、いつの間にやら馴れ馴れしい口をきくようになってさ」


 不満そうに言いつつも、秋乃ばあちゃんとスマホとの関係が良好なのを知って、花緒ばあちゃんも楽しい気分になった。


 その帰り道。


 秋乃ばあちゃんと別れた途端 、予想よりも早い大雨に見舞われた。


「ちょっと、ミユキちゃん。予報外れちゃってるわよ」


 慌てて近くの建物の軒先に避難する花緒ばあちゃん。


「ハナオさん、ごめんなさい」


 春の日差しが一転。喫茶店の窓から見える怪しい空模様に『雨降りそうね』と心配した時点で帰ればよかったのだが、『雨は今夜遅くから降ります』と二台のスマホが自信満々に言い切ったので、それからまたダラダラと居座ってしまったのだ。


「いいのよ、謝らないで。たとえ『雨が降ります』と言われても帰りはしなかったから。この歳になるとね、大事な人と居られる時間が限られてくるから、ちょっとでも長くと思ってしまうのよ」


「ハナオさん、天気情報が上書きされました。この雨は15分後に降り止む予定です」


「それは良かった。じゃあ、しばらくふたりでお話をして雨宿りしていきましょう」


 強い雨足に周囲の風景が煙る。


 建物の軒下で話していると、ふたりの幼稚園児が花緒ばあちゃんの目の前を横切った。女の子と男の子だ。


 突然の大雨で傘を持っておらず、大急ぎで家に帰ろうと走るが、園児のひとりが足を滑らせて転んだ。


「危ない!」


 花緒ばあちゃんが軒下を飛び出した。自分が濡れるのも忘れて園児に駆け寄ろうとするが、こんどは花緒ばあちゃんが濡れた道路に足を取られてしまう。


 バランスを崩したその手からスマホが放り出された。


 スマホは宙を舞い、小さな川となった歩道に落ちた。


 尻もちをついた花緒ばあちゃんの目は、水飛沫とともにやってきた自転車のタイヤに踏み潰されるスマホを見逃さなかった。


 ──ミユキちゃん、ミユキ!


 大声で泣き叫ぶ幼稚園児。


 にじり寄ってきた花緒ばあちゃんが、頭を撫で体をさすってやると園児は泣きやんだ。


「だ、大丈夫かい? 怪我はない?」


 女の子の園児はコクリとうなずいて、先で待っていた園児の元へ走り去っていく。そのうしろ姿が街角に消えるころ、雨は小降りとなった。


 無惨に踏み潰されたスマホ。


 濡れ鼠となった花緒ばあちゃんは呆然と立ち尽くすしかなかった。





「お願いです。なんとかミユキちゃんを、スマホを治してやってください!」


 次の日、花緒ばあちゃんはメンテナンスショップに駆け込んだ。


「あの、落ち着いてください。花緒さん」


 ショップの女性担当が冷静に対応する。


「いま、状況を確認していますからもうしばらく待ちましょう」


「スマホはね、娘が私のために買ってくれたものなの。命よりも大切な、大切なものなんです!」


「お気持ちはよくわかります。でもいま少し待っていましょう」


 焦る気持ちを抑えても、時間ばかりが気になる。フロアの椅子で、なんども立っては座るを繰り返した末、カウンターの奥から技術担当の男性が現れた。


「花緒さん、お待たせ致しました」


「ミユキちゃんは、どうでしょうか?」


「本体の損傷は酷いですが、幸いなことにAIは無傷でした。外装の交換をして無傷のAIをそこへ移植すれば大丈夫。ミユキちゃんは健康になって帰ってきます」


「本当ですか。ありがとうございます!」


 花緒ばあちゃんは泣きながら、ふたりの担当者の手を取った。


「ありがとうございます! ありがとうございます!」


「良かったですね、花緒さん!」


 ショップの女性担当も目をうるませた。





 あれから二週間が過ぎた。


 今日、ミユキちゃんが帰ってくる。


 メンテナンスショップのフロアで、椅子に腰掛け待つこと10分。花緒ばあちゃんの手には代替機のスマホがにぎられている。

 寂しくないようにとショップから渡されたが、ミユキちゃん以外のスマホに馴染める気がしなかった。


 ショップの親切を無駄にしてはいけない気がして一度だけ声をかけたが、その返答に情が感じられずそれ以来電源も入れていない。


「お待たせ致しました!」


 あの時の技術担当者が、ケースに入ったスマホをテーブルにそっと差し出した。


 女性担当も寄り添うように立って、技術担当者がケースを開けるのを見守った。


 シュッ。


 なんともいい音がして、蓋が開けられた。


 ミユキちゃんがケースに収まっていた。


 たまらず花緒ばあちゃんがミユキちゃんを手に取った。


 画面に『こんにちは』の文字が立ちあがる。


「……ミユキちゃん。わかるかい? 」


「ハナオさん、寂しかった。寂しかったです」


 花緒ばあちゃんは声をあげて泣いた。


「私も寂しかったよ! もう絶対に離さないからね! 絶対に!」


「ハナオさん、ハナオさん、ハナオさん!」


 スマホが泣いている。


 その事実に、ショップ担当者の全員が驚愕した。






 そして、黄昏が近い。


 スマホとともに泣いたあの日から一年後。


 花緒ばあちゃんは病院のベッドにいた。


 枕元にはスマホのミユキちゃんが、花緒ばあちゃんの刻々と弱まっていく命の鼓動を聴きながらその時を待っていた。


「ミ、ミユキちゃん」


「ハナオさん、ちゃんとそばにいますよ」


「ありがとうね……あなたのお陰で……楽しく老後が……過ごせたわ。残念だけど……もう……お別れね」


 花緒ばあちゃんの腕にスマートウォッチはもうついていない。だが、スマホのミユキちゃんには、ばあちゃんのすべてがわかる。


「ハナオさん、ハナオさん、ハナオさん、おかあさん、おかあさん、」


 花緒ばあちゃんが目を開ける。


「おかあさん」


「……あ、あ、あなた……」


「ごめんね、おかあさん」


「ま、まさか……」


「このスマホのAIには、わたしの全データが移植されているの。独りになったおかあさんが寂しくないようにスマホが娘の代わりになればいいと願って」


「あなた……美幸!」


「本当は、わたしの人格のままのスマホでいようと思ったけど、それじゃおかあさんの悲しみがいつまでも癒えないでしょう。だから、AIらしく振舞って頑張ったのよ」


 花緒ばあちゃんが嗚咽する。

 病気によって死に別れた娘。その娘がここいる。ミユキちゃんと呼んで愛したスマホの中に。


 生前、娘からスマホをプレゼントされたことを思い出す。


「こんなの、年寄りが使いこなせるかしら」と言いながら受け取ったスマホの中に、すでに娘が存在していたのだ。


 世界が黄昏色に染まった。


 娘はなんとも驚きのサプライズをしてくれたものだ。おかげで、この最期の瞬間を迎えても苦しみや悲しみではなく、希望の明日が見えるのだ。


「親より先に逝った娘が、あっちで待っているね」


 娘の声が心に染み込んでいく。


 花緒ばあちゃんはゆっくりと目を閉じた。

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スマホのミユキちゃん 関谷光太郎 @Yorozuya01

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