すさびる。『スマホを落とせば楽なのに』

晴羽照尊

スマホを落とせば楽なのに


 俯いて歩く。世界は果てしなく広い。だから空よりも間近で、手のひらサイズの、世界をずっと、見つめている。


「ほがらー、撮るよー。……いえーい」


「いえーい」


 ありなが不意にカメラを向けてきたので、わたしはとっさに目元を隠した。慣れたものである。


「いいねー、ほがら。これなら美人に見えるかも」


「は? 本当のわたしはもっと美人だろ」


「え? ……うん? まあ?」


「ちゃんと書いとけよ。『本人は写真よりもっと美人です』って」


「うえーい」


 その返事はどっちの意味だ?


 ありなは毎分のように写真を撮っている。が、カメラマン志望だとか、そういうあれじゃない。SNSだ。もはや下手なカメラよりも高画質になったスマホのカメラ機能で撮影し、それを世界中に拡散している。正直、馬鹿だなあ、とは思うんだけど、それで世界中に『友達』がいるというのだからたいしたものだ。ありなは英語も得意だし。


「ねね、ありな。きゃるきゅんも世界に拡散しましょう。ほら、これ、新しいイラスト」


 俯いていたせいか、貞子のようになっているてれさが、表情を隠していても感情が伝わってくる弾んだ声で、スマホの画面を見せびらかした。そこに映るは、てれさがハマっているという、スマホゲームの中のキャラだ。うん。イケメンなのは解る。解るよ?


「おっけー。きゃるきゅんも世界へ羽ばたくときだね」


 拡散するのかよ。


「でゅふふ。きゃるきゅんのポテンシャルはもとより世界よ」


 そもそもきゃるきゅんてなんだよ。


「はあ……」


 盛大なため息が漏れた。おお、そうだ、なにか言ってやれ、にゃこ。


「わたし、ちょっと募金してきます」


 ……うん、そうだった。にゃこは頭のいい馬鹿なのだ。


「募金ならあっちのコンビニが近いよー」


 即断即決。踵を返したにゃこを、ありさが引き留めた。違う、そうじゃない。友人が馬鹿丸出しに走ることを引き留めてやれ。……いやまあ、募金はとてもいいことだとは思うけれど。どうせ貧困問題のニュースでも見たんだろ。こないだまでジェンダー問題に憤慨して教室で騒いでたし、そもそも募金なら動物愛護団体に寄付してなかったっけ? まあ、たかが女子高生のお小遣い程度である。たいした額ではないが。


「ありさ。これも拡散しといてください。『世界の十人に一人が、一日二ドル未満で生活している』、と。わたしはわたしが恥ずかしいです」


 ああ、おまえはもっと恥じれ。その胸に実った贅肉は貧困層の方々にどう説明するのだ?


「よし。じゃあボタンを三つ外そうか。にゃこの胸つきで呟けば貧困問題なんてすぐに解決するよ」


「わたしのおっぱいが世界を救えるのなら!」


 よだれを垂らしながらカメラを構えるんじゃありません。そしてそこ、冗談を真に受けてボタンを外すんじゃありません。わたしはありさを蹴った。


「いったあ……。よくも蹴ったね! お姉ちゃんにしか蹴られたことないのに!」


 ありさは大袈裟に道路へ倒れ込み、何世紀前のものか解らないギャグを叫んだ。


 その、姿を見て、違和感を覚える。あれ、ありさって、こんな顔だっけ? 倒れ込み、まだ高いお日様に照らされて、浮かび上がるありさの顔。かわいいとも、綺麗とも言い難いが、なんだか癖のある、愛嬌のある顔。


「……どしたの、ほがら?」


 ありさは立ち上がって、わたしを見た。顔を近付けて。


 誰だおまえは。ありさ? 私は左右を見渡す。てれさ? にゃこ? 誰だおまえら、知らんぞ。


 そしてなにより。誰だおまえは。鼻をぶつけるほどに近付けたありさの、その瞳に反射する、目の前のわたしは、誰だ?


「ありさの、今日の、勝負下着?」


 わたしは真顔で問う。


「見るなっ!」


 ありさは本気で叫んだ。顔を赤らめて。


「拡散したら?」


「しねーよっ!」


        *


 いつもの帰り道。わたしたちは貧乏で利用できない、やけに運賃の高い私鉄の上を、歩道橋を登って渡る。騒音の少ない電車の通行音。髪を乱す突風。だからわたしたちはみんな、スマホから顔を上げて、いまいましく足元の線路を見た。目を背けようと、結局は下ばかり見てしまう。それが悔しくて、わたしは無理矢理に空を見上げた。


「本当だ……」


 わたしは思わず、声を上げた。小さくとも電車が走る音だ。わたしのそんな呟きなんぞ、さすがに塗りつぶしてくれる。だから、その言葉は誰にも聞こえていないはずだ。


『空の広さは、あなたが世界に抱いているそれと、同じ広さだ』


 本名も知らない。顔も、生年月日すら知らない。そんな、誰とも知らないどこぞの誰かが書いた一文。


 歩道橋の、私の背より高い、檻のようなフェンスに遮られて、空はまるで、スマホの画面よりも小さく見えた。


 腕に、力がこもる。


 握り潰すでもいい。叩きつけるでも、ここから、投げ飛ばすでもいい。こんなもの――こんなに世界を縮小するようなもの、消えてなくなれ。友達の顔を忘れかけけてしまうような、空の広さを感じられなくなるような、こんなものなど。


 ぱしゃり。その音に、わたしは戻される。小さな小さな、世界の中へ。


「ベストショット」


 ありさが言った。しまった、アホ面撮られた。


「でもこれはちょっと、拡散できないな」


「あたりまえだろ。もろに写ってんじゃん」


 目元を隠していない。わたしは世界に拡散とか、そんなリスキーなことはされたくないぞ。


「それもそうだけど、綺麗すぎておともだちとられちゃう」


 冗談めかして、ありさはそれを、わたしに見せた。うん。まあ、確かに。


「……さすがはわたし。超絶美人」


 わたしも冗談めかして返した。


 ところでこの顔、いったい誰だ?



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