後編
十七歳になった今、実はそのユーグ・ジラルディエール様と同じ王立学園に通っていたりする。
ただし、私は普通科で彼は魔法科なので、接点は全くない。
普通科と魔法科では、そもそも校舎も別だ。
同じ敷地内にあるとはいえ、巨大な学園なのですれ違うことすらほとんどない。
二年前の入学式で、ユーグ様は魔法科の新入生代表として講堂の壇上に登り、堂々と振舞っていた。成長してさらに美しさに磨きがかかった彼のやさしげな瞳に、誰もが魅入っていた。
学園行事などでたまに見かける彼は、いつも華やかな女の子たちに追いかけられていた。魔法の実力が飛びぬけていて、貴族にも引けを取らない魔道の名家の貴公子を、女の子たちが放っておくわけがなかったのだ。
それでも、私は遠くから、たまに彼の姿をお見かけするだけで満たされた。
この恋は叶わない。そんなことは百も承知だ。
だけど、五年前に彼がくれたやさしさは、今でも私を勇気づけている。
だから、胸を張って思えるのだ。
これは、世界一幸せな片想いだと。
年に数回程度、ユーグ様の姿をお見かけしては、遠くからひっそりと眺める。
そんな、ささやかだけれども穏やかな恋には、十五歳になった妹が同じ学園に入学してきた瞬間に暗雲がたちこめた。
リュシーは入学式から帰宅するなり、瞳をらんらんと輝かせ、頬を紅潮させながら言ったのだ。
「わたくし、好きな人ができたわ」
その日、在校生代表の魔法科首席としてユーグ様は入学式で挨拶をしていた。
「黒い髪に、お月さまみたいな金色の瞳で、とっても素敵だったわ」
ああ。
ユーグ様だけは、やめて。
私は、彼と結ばれだようなんて、そんな大層なことは思っていない。
だけど、妹のリュシーにだけは、彼を取られたくなかった。
今までなんでも我慢してきたし、諦めてきたけれど、それだけは嫌だ。
「お願い、お父さま。ユーグ・ジラルディエール様とどうにか接点を持ちたいの。お父さまなら、どうにかできるでしょう?」
でも、この妹に目をつけられてしまったからには、もうおしまいだ。リュシーは、一度欲しいと思ったら、なにがなんでも手に入れようとする子だから。
*
「リュシー、さっそくユーグ・ジラルディエール殿から手紙が返ってきたぞ」
流石は、お父さま。
可愛いリュシーの望みならば、なんでも叶えてくるスタイル。
小説に目を落とし、興味がないフリをしながら、本当は話の成り行きが気になってたまらない。
「さすがはお父さま! それで? いつお会いできるのかしら」
「それが、まずは手紙のやりとりから始めましょう、ということらしいんだ」
流石はユーグ様。まずはお手紙からだなんて、硬派なところも素敵。
ひそかに感動する私に対して、妹は不満そうに唇を尖らせた。
「ええー……? お手紙ですか?」
「すまない、リュシー」
「はぁ。二人でお会いさえできれば、ユーグ様もすぐにわたくしを好きになってくださるに違いないのに」
我が妹ながら、すごい自信だ。ちょっと分けてほしいぐらい。
「ねえ、お姉さま。今の話、聞いていた?」
「へ?」
もちろん、めちゃめちゃ聞いていました。
だけど、本に夢中になっていたので、いま初めて聞こえましたという顔をしておく。
「そうだ! ねえ、お姉さま。わたくしの代わりに、手紙を書いてくださらない?」
「えええっ! な、なんで私がそんなことを――」
――反論しかけて、言葉をのみこんだ。
これはもしや、ユーグ様と手紙を交わす千載一遇のチャンスなのでは。
「だって、お姉さまはそういう細々とした地味な作業だけは昔から得意じゃないの。あ、もちろん、内容はわたくしも確認するからね。お姉さまは、わたくしの魅力を存分に彼に伝えてくださればそれで良いの」
「ソフィ、可愛い妹の頼みだぞ。そのぐらいのことは引き受けてやりなさい」
「……分かりました」
「ありがとう、お姉さま! うまいこと返事をして、とっととデートの約束を取りつけてよね」
リュシーは欲望丸出しの台詞を吐き、上機嫌で再び出かけていった。
一人自室に戻った私は、ドアを背にして座りこみながら胸を高鳴らせていた。
思いがけない形で、ユーグ様とつながりができた。
たとえ妹の代わりとしてであったとしても、すごく嬉しい。
人生、何が起こるか分からないものだ。
*
妹になりすました私と、ユーグ様が手紙のやりとりを交わすようになってから、一か月ほどが経った。近頃では陽ざしがキツくなり、校内の新緑がみずみずしい。
「はあ……。同じ学園に通いながら、手紙のやりとりもしているはずなのに、どうしてこんなに進展がないのかしら? お姉さまがつまらない手紙ばかり書くから悪いのよ」
まじめにやっているのに、ひどい言いがかりだ。
「同じ学園とはいっても、魔法科と普通科とではほとんど関りがないのだから仕方ないでしょう。それに、ユーグ様は王立魔法研究所にも顔を出されているようだから、きっとお忙しいのよ」
「ふうん。どうでもいいけれど、早く二人でお会いしたいわ」
最初のうちは、しつこく手紙の内容を確認してきた妹だけど、しばらくすると退屈になったらしい。リュシーは昔から活字嫌いだものね。
ユーグ様の綴る手紙の内容は、ほのぼのとしたものだった。
いま読んでいる冒険小説に感動した、だとか。
道端に咲いていた野生の花が可愛らしかった、だとか。
私にとっては、一つ一つの言葉が、すべて宝物だった。
たとえ妹の代わりであったとしても、彼と手紙のやりとりをしているなんて夢のようだ。
「どうでもいいやりとりばかりしていないで、もっとわたくしの魅力が伝わるような手紙を書いてよね!」
そんな無理難題をいいつけて、妹は今日も社交の場に遊びいく。
ついに、私が送る手紙の内容すら、確認することもなく。
羽根ペンを握り締めながら、これを機に、なるべく自然な流れでひそかに尋ねてみたかったことを綴った。
『ユーグ様の好きな食べ物はなんでしょうか?』
『焼きたてのパン、かな。僕の朝は、あの香ばしい匂いを吸いこむところから始まります』
その返事を目にした時、息が止まるかと思った。
「えーっ、焼きたてのパン~~? あんな王子顔なのに、なーんか庶民くさいなぁ」
適当に手紙を流し読んで、不平不満を垂れている妹に反応する余裕すらない。
もしかして……彼も、五年前のあの日のことを覚えていたりする?
いやいや、まさかね。それは私の都合の良すぎる解釈だ。
彼が、私なんかのことを覚えているはずもない。
ユーグ様は、あくまでもリュシーと手紙を交わしていると思っているのだし。
そして。
次に、彼から届いた手紙を目敏く一番最初に読んだ妹は、破顔した。
「やったわ、お母さま! ついにユーグ様からデートのお誘いがきたわ!!」
「あらあら、良かったわねぇ! ソフィもたまには役に立つわね」
『よろしければ、今度お会いしませんか?』
妹が放り出したその手紙を目にした時、胸がつまって、涙が出そうだった。
この言葉が私に向けられたものだったら、どれほど幸せだっただろう。
*
ついに、ユーグ様とリュシーが出かける約束の日がやって来た。
朝から気合をいれておめかしをし、意気揚々と馬車に乗りこむ妹を絶望的な気持ちで見送る。ついでにお父さまとお母さまも夫婦水入らずのお出かけだ。
自室に戻った私は、これまでにユーグ様からもらった手紙をぼんやりと見つめていた。ぽたりと、瞳から涙が零れて、手紙がにじむ。
やっぱり、嫌なものは嫌だ。
よりにもよって、どうしてユーグ様なのだろう。
昔から、なにがあっても我慢して、耐えてきた。
まぁ仕方ないかって全てをのみこむように生きている内に、諦め癖もついていた。
だけど、それでも。
あの大事な思い出と、ユーグ様への想いだけは、守りたかったのに。
「迎えにきたよ、バルトシュクル嬢」
「えっ……?」
慌てて顔を上げた時、自分の耳と目を疑った。
「ど、どうしてあなたが、ここに!?」
宵闇を切りとったような漆黒の髪に、不思議な金色の瞳。
正真正銘のユーグ・ジラルディエール様が、屋敷の窓の外から私を見つめている。ここは二階だけれども、魔法を使って浮かんでいるらしい。
「約束したでしょう? 今度お会いしましょうって。入っても、大丈夫?」
呆けたようにうなずくと、彼は事も無げに鍵のかかっていた窓を開き、私の部屋へと降り立った。
「もしかして、泣いていたの?」
目の前までやってきた彼は心配そうに眉尻を下げると、私の涙をぬぐうようにその長い指を滑らせた。
あっ。
い、いま、私、ユーグ様に触れられた?
顔中がカッと熱く燃え上がる。
「え、と……その……」
ついさっきまであんなに哀しかったことが嘘だったみたいに、心臓がバクバクと高鳴り始めた。
なんだか、この感じ、懐かしい。
五年前のあの時も、ユーグ様は泣いている私の前に現れた。
「ごめん! つい触れてしまったけど、もしかして嫌だった……?」
「えっ? あ、いえ。い、嫌だったというわけでは……」
「そう? それなら、良かった」
彼が安心したように微笑んだ時、また、胸が苦しくなった。
ダメだ。
やっぱり私には、彼は眩しすぎる。
「でも……驚きました。あ、あの、ユーグ様。あなたが手紙のやりとりをしていたのは、私ではなく、妹のリュシーなのですが」
「嘘を吐く必要はないよ」
「へ……?」
「実際にあの手紙を書いていたのは、君だよね?」
じいっと、私の心の奥を見透かすように、金色の瞳が見つめてくる。
答えられずに口籠ると、彼は瞳を伏せた。
「本当はずっと分かっていたんだ。黙っていてごめん」
「えっ。そ、そうだったのですか!?」
思わず反応してしまってから、はっ! と自分が失言をしたことに気がつく。
そんな間抜けな私を見て、彼はくすりと笑った。
「これでも一応、魔道士だからね。筆跡から書いた人を探ることは、そう難しくないんだ」
「ということはつまり……すべてを知っていたのですね」
「うん。君が頭を悩ませて一生懸命に綴ってくれたことも、知っているよ。とても嬉しかった」
うわあ。は、恥ずかしい……!
「で、でも……相手がリュシーではなく私だと知って、がっかりされたのではないですか?」
「えっ?」
「だって私は……華やかで愛嬌のある妹とは違って、地味ですし」
口にしながら、胸がつきりと痛んだ。
うつむいてしまった私の頭に、やさしい温もりが落ちてくる。
「どうして? 僕は、こんなに嬉しかったのに。だって、やっと、君を見つけられたんだもの」
それが彼の手のひらだと分かって、また頬が熱を帯びた。
「ねえ、覚えている? 初めて僕と君が会ったのは五年前なんだよ」
嘘。
ユーグ様も、覚えていらっしゃったんだ。
「あの日、君は僕のことを王子さまみたいだと言ったね。びっくりしたけど、顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしていた君はとても可愛らしかった。そのまま名前も聞けずに逃げられてしまったことを、ずっと後悔していたんだ」
「そう、だったのですか」
「また会いたいと、ずっと思っていたんだよ。だから、同じ学園にいるらしいと分かった時にはチャンスだと思ったのだけど、なかなか接点を持てずにいたんだ。君のことだから、突然訪ねていっても、また逃げられそうだったし」
「そ、そんなことは……」
……ないとは、言いきれないかも。
突然、学園内でユーグ様に声をかけられたりしたら、人目が気になって逃げだしていた可能性は大いにある。
「もう五年前もことなんて、忘れられている可能性もあったしね。だけど、君の家から手紙が来て、思いがけない機会が巡ってきた。最初は君ではなく妹からの手紙だと知って落胆したのだけど、魔法で手紙の書き手を探ったら、なんと君だったんだから」
彼は、呆けて話に聞き入る私の髪をやさしく梳きながら、さらりと口にした。
「ねえ。僕はやっぱり、君のことが好きみたい」
「は、はぁ。……って、えっ!?!?」
「嫌?」
「い、嫌というか……えと、だ、誰かと間違えてはいないでしょうか!?」
「告白する相手を間違えるほど、僕は間抜けではないけどな」
「あっ。い、今のは、あなたを貶めるつもりで言ったわけでは」
「ふふ、分かっているよ。うん。やっぱり、僕が好きなのは君だ。恥ずかしがり屋なところも、一生懸命に楽しい手紙を書いてくれるところも、控えめなところもぜんぶ好き。それに、このふわふわの焦げ茶色の髪も」
顔中に血液が集まって、息苦しい。
なのにユーグ様は、視線を逸らそうとするのをゆるさないというように、さらにその整った顔を近づけてきて。
「君は、僕のことをどう思っている?」
「ユ、ユーグ様は」
「うん」
魔法にかけられたように、思っていたことが、口からそのままこぼれ出た。
「……今も昔も、私にとっての王子さまです。五年前からずっと。今でも、好きです」
消え入りそうなほどの小さな声に、彼は目を丸くしたあと、幸せそうに笑った。
「ありがとう。じゃあ、僕たちは両想いだ」
*
その夕方、結果としてユーグ様に約束をすっぽかされる形となったリュシーは、顔を真っ赤にして怒りながら帰ってきた。
「あの男、ちょっと顔が良くて魔法ができるらしいからって、なんなの!? このわたくしに待ちぼうけを食らわせるなんて、良い度胸をしているわね!!」
「ああ、それは申し訳なかったですね」
「申し訳ないどころの話じゃないわ……! って、あ、あなたは……! な、なんでここに!?」
愕然とした表情の妹に対し、ユーグ様はにこりと微笑みながら告げた。
「本当の手紙の主に、会いに来たのですよ」
彼は、その場で片膝をつくと、まるでお姫さまに忠誠を誓う騎士のように私の手の甲に口づけた。
「よく覚えておいてください。もしこれ以上、僕の大切なこの方を貶めるようなことをしたら、もう黙ってはいませんよ。僕が本気になったら、この屋敷ごと燃やすことも不可能ではありませんからね」
立ち上がったユーグ様が人差し指を立てると、めらめらと焔が灯った。その時のリュシーの絶望に染まった表情を、私は一生忘れることができそうにない。
「……というか、ユーグ様。その、この屋敷を燃やされるのは、私としても困るのですが」
「そうだね。君がいつかジラルディエール家に嫁いでくるまでは、我慢していようかな」
「は、はぁ……。って、ええっ!?」
目まぐるしく色々なことがあったその日以降、リュシーの欲しがり癖はぴたりとおさまった。ユーグ様のあの穏やかな黒い笑みが、相当堪えたらしい。
そして。
恋人となったユーグ様は、思っていたよりも、ずっと過保護だ。
しかも、愛情表現がストレートすぎて、時々困る。
「ユ、ユーグ様……!」
「どうしたの、ソフィ」
「こ、こんな、誰が通るかも分からない学園の公共の場で、あまりくっつかないでください。ダメです! もっと人目を憚って……!」
「ああ、ごめんね。あまりに君が可愛いから」
「っっ~~!」
「ふふ。また、真っ赤になっているよ」
うつくしい恋人は、今日も私に甘々だ。
だけど……私は、いま世界中の誰よりも幸せだと胸を張って言える。
【完】
なんでもほしがる妹に初恋の王子さまを奪われそうになった結果、なんと彼と結ばれることになりました 久里 @mikanmomo1123
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