スマホ

てこ/ひかり

第1話

『おかえりなさ〜い! ご飯にする? お風呂にする? それともス・マ・ホ?』

「そんなの決まってるさ」


 僕は小さな画面に笑いかけ、ほの淡く光る液晶を、指でそっとなぞった。



 彼女が突如スマートフォンの中に閉じ込められて、ほぼ一週間が経った。


 どうしてそんなことになったのか。

分からない。何でも『異世界転生がどうのこうの』とか、『魔界の力がああだこうだ』と、色々理由があるようだが、何回話を聞いても僕にはイマイチ理解できなかった。

異世界転生って、一体何なんだ? 

魔界って、本当にあるのか? 

とにかく、彼女をスマホの中から助け出すためには、毎日アプリに送られてくる『指令ミッション』をこなさなければならないのだった。



「ええっと……今日の『指令』は……」


 画面を指で動かし、事前準備プリ・インストールされていた怪しげなアプリを起動する。真ん中に

【異】

と漢字一文字が描かれた、おどろおどろしいアイコンのそのアプリに、毎回どこかから『指令』が飛んでくるのだ。一体どこから? さっぱり分からない。

 警察にも一応相談したけれど、「面白そうなゲームですね」の一言で片付けられてしまった。そりゃそうだ。恋人がスマートフォンに閉じ込められちゃったんです、なんて言われても、携帯電話会社の人だって対応に困るだろう。


「《課金してブランドバッグを買って上げる》……?」

『頑張って!』

「あぁ……」


 画面の中に囚われた恋人……早苗が、健気に僕を応援する。液晶を覗き込むと、彼女は画面の中でハンモックの上に寝そべり、くつろいでいる様子だった。閉じ込められたと言うから、大変なのかなと思ったが、案外彼女は『スマホの中の生活』を楽しんでいるようだった。同じように閉じ込められた不運な人々と、一緒にフォローし合ってパーティを組み、魔界でクエストをこなしたり、こまめに連絡を取り合っているらしい。


『魔界では、それが重要アイテムなのよ』

 ハンモックに揺れる早苗が、バニラとチョコミントとクッキーの三段アイスクリームを舐めながら笑みを浮かべた。


『ブランドバッグが、魔界のモンスターによく効くの。きっとそのための装備じゃないかしら』

「なるほど……」


 僕は頷いた。これまでの『指令』も、大体同じようなものが多かった。最新のコートだの、薄型テレビだの、魔界ではモンスターを倒すために高級品が大活躍しているらしい。『指令』が下るたび、僕はせっせと早苗に課金アイテムを送った。それにしてもこのスマホと言う奴は、この謎のアプリは、事あるごとに僕にお金を使わせ、課金させようとする。


「今、どこにいるの?」

 僕は不安になって尋ねた。早苗は、どうやら昨日とは違う場所に移っているようだ。恋人の背後には、眩しい太陽と真っ青な海が見える。魔界の景色は、実に色鮮やかだ。

「そっちは昼かい?」

『うん。時差があるみたい。今日は……ハワイってところかな』


 彼女が目を細めた。

 そういえば、昨日見た時よりも随分陽に焼けている。着ている服も、今日は新品の白いビキニだった。顔半分を覆うほどのサングラスをずらし、早苗がいたずらっぽく目を細めた。


『来週は、私、グアムって呼ばれてる場所に移ろうと思うの。そこで何か、イベントが起こりそうな予感がして』

 それか、バリ島でもいいわね、と早苗は笑った。僕は震え上がった。”バリ”……何とも恐ろしい響きだ。こっちの世界では到底考えられない地名だが、どうか危険な場所じゃないことを祈る。

「悔しいなあ。僕も何とかして、そっちに行ければいいのに」

『ダメよ!』


 僕が唇を噛むと、画面の向こうで早苗が慌てて手を振った。

『危ないわ! そんな事……アナタまで危険な目にはあわせられない……何とか異世界から戻る方法を見つけ出すから。それまでは……』


 画面越しに、恋人が僕を上目遣いに見る。

『しっかり課金、よろしくね』

「あぁ」


 僕はほほ笑んだ。どうしてだろう? 彼女の笑顔を見ているだけで、溢れ出る多幸感が止まらない。彼女の……早苗のためなら、僕は何でもしてあげたくなってしまう。


「任せてくれ。今の僕にできるのは、指令をこなし、課金することだけだ。必ず君を、画面の中から助け出すよ」

『頑張ってね。愛してるわ』

「僕もさ。おやすみ、早苗……」


 別れを惜しみつつ、挨拶を済ませ、僕は画面が暗くなった黒いスマホをに戻した。静かになった部屋の中で、僕は一人小さくため息を漏らした。


 その途端、けたたましい電子音が部屋に鳴り響いた。


 僕はから白いスマホを取り出し、ロックを解除した。


『おかえりなさ〜い!』

 

 たちまち明るい声が耳に飛び込んで来た。英美里だ。


『遅かったじゃない! そっちは大丈夫?』

「嗚呼。今日も魔界こっちは大変だよ」

『あ! 昨日のキミからの『指令』、ちゃんと例の口座に送金しといたから! 欲しいものがあったら何でも言ってね。私、キミのためなら何でもしてあげたくなっちゃう……』

「どうも。じゃあ早速、今日の分も頼まれてくれるかな?」

『そ・の・前・に! ご飯にする? お風呂にする? それとも……』

「そんなの決まってるさ」


 僕は小さな画面に笑いかけ、ほの淡く光る液晶を、指で撫でるようにそっとなぞった。

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