第5話
予備審査と交流会が作業後に行われた。各校から作品説明をしなければならず、鵜飼が代表してスピーチしたのは、単に美術部部長であるからばかりではない。他の二名が何を言い出すかしれなかったのだ。内海の毒舌と梅川のマイペースに任せてはおけないので、下絵の絵心は全くの推量は、馬簾職人のがたいに注目が向けられている分、なんとなくな感じで簡素な説明で済ませることができた。
宿泊施設で爆睡をした翌日、閉会式が行われた。昨日までの熱気が嘘のような冷気。もうすぐ春休みだというのに、肌感は冬のそれである。京都の生徒も秋田の生徒も心なしか顔が引きつっていた。寒いのはたまらないのだろう。
表彰が順を追って行われ、結局彼らは十位だった。鮮明に番号が付けられたわけではないが、審査員奨励賞までのカウントがそうだった。
はんが。でも、甲子園。美術部。でも、甲子園。文部科学大臣賞を勝ち取った顔には歓喜が、中小企業長官賞の顔には驚嘆が、新潟県知事賞の顔には涙があった。それは白球を追う選手と寸分違えるものではなかった。
閉会後、教員が校長への報告をしている傍らに審査員の一人が来た。いわく、三人は、共同作業とは言いがたいので、作品の良しあしの前に低評価になってしまったらしい。
「しかし、あれでは浮世絵だな」
「はあ」
白いひげをさすりながら審査員から皮肉じみたことを言われ、大人の対応のできない鵜飼はただ力なく同意じみた苦笑いを浮かべた瞬間である。若くはないその審査員が重そうに館内に走り出した。素っ頓狂にあっけにとられた三人から電話を終えた教員が一通りを聞いていると、息を切らして審査員が戻ってきた。
「君たちは知っていてあれをしたのかい?」
三人どころか、教員も小首をかしげた。
「光の当て方だよ。江戸時代は行燈だった。つまり、光は横から絵に当たる。現代は天上からの、上からの光だろ。だから、君たちの絵を横から光を当ててみた。見事だ。なぜ、言わなかった」
「なぜって……」
この中で美術に心得のある鵜飼に、教員も内海も梅川も視線を送るが、当の本人にとっては内海の下絵がこうだったし、梅川の腕前を生かすにはどうしたらと思っていただけのことであり、それ以上の説明はできなかった。
「それこそ浮世絵も専門部署に分かれて作業がされていた。君たちにもそういう信頼がなければ出来上がらなかっただろう」
「信頼? そんなもん知らない。自分の役割を全うしただけです。『私はあなたを信用します』、と言って関係を作るわけではないでしょ」
これ以上進めると、またしても何を言い出すかしれない内海を、鵜飼は慌てて止めた。
「とはいえ、結果を覆すわけにもいかない。君たちの今後の活動がさらに活発するよう期待しているよ」
審査員は満足そうにひげをなでながら行ってしまった。即席チームが間もなく解散するとも言えなかった。
「おい、内海、さっき続きなんて言おうとしていた」
「信頼なんて陰毛のようなものだ。いつの間にか生えている」
「言わせなくて正解ね」
梅川の疑問に答えた内海の肩に手を持たれかけて心底ほっとした鵜飼だった。
フェリー乗り場は参加校の生徒たちでにぎわっていた。思い出話しや笑い声、記念撮影なんかでざわついていた。はんが甲子園の延長戦をここで行っているかのようだ。
三人は青ざめていた。船に乗らなければならないからである。来島した時の酔いが否応なく思い出されたのだ。とはいえ、乗らなければ帰れない。
一応の成果を上げた美術部部長の鵜飼は今後の活動を思案しなければならない。それと同時に、描くことが自分の中でどういう位置づけなのか、なんてことがぼんやりと浮かんだ。将来はプロとか、そんなこと決めていない、決められない。ただ今言えるのは描くことがやはり好きだということだ。だから少なくとも決めていることは、描き続けることだった。
梅川はやり投げのトレーニングにまた新しいジャンルの開拓をするだろう。改札に並んで待っている時に、すでにスマホで動画を見ていた。覗きこんだ鵜飼も内海も苦笑いしたが。
内海は内心弾んでいた。鵜飼が早速段度ってくれていたからである。藤開に作業中に撮影した内海の姿をすでに送信してあったのだ。その返信には藤開のこれまでの内海への印象が芳しく改善された文面だった。何よりラインのスタンプが内海のひねくれを徐々にでもまっすぐに直してくれるだろう。
もうすでに三人には次の何かを求めはじめようという意思があった。それは飢えと言い換えることもできるだろう。その渇いた感覚は決して船酔いの結果吐瀉したせいではない。はんが甲子園の数日を思い出せば、あの熱気にのぼせていた感覚は、酔いと同じだった。遊園地のコーヒーカップを高速で回転したような。酔い、嘔吐した後、水分とかを体が欲しがる。それが飢えだ。それは青春を生きる彼ら彼女らが感じる物足りなさ、満たされなさと違うことはない。素面に戻って乾いていることに気付く。胃液を吐いて空っぽになった腹が空腹を告げた感覚。青春というのが、まさに酔っている状態だと象徴するように。
あるいは、現実そのものが一種の酔っている状態で、青春こそが素面なのかもしれない。そんな正常と非正常がいったいぜんたいどちらなのかなんてことを三人が真剣に悩む、そんな思考が論理的に浮かんでいるわけはなかった。ただ、あくまで感覚的な、漠然とした印象を、けれども三人は初めて受けていたのだ。
来島よりはましな、それでもやや時化気味の航海で程度は軽いが、やはり船酔いをした。
Hunger 金子ふみよ @fmy-knk_03_21
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