スマホ買って
緋糸 椎
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津島さゆりはこだわりが強く、料理にはいつも時間をかける。この日も夕食のローストビーフにかけるソースを作るために、昼過ぎから仕込みに入っていた。ベースが出来上がったところで少し味見をしてみる。
「うーん、何か物足りないわね」
そこでさゆりはスマホを取り出し、色々と検索をかけてみる。するとその中に、リンゴを少量隠し味として加えるという記事があった。
「……これだわ!」
ピンときたさゆりは、その通りにやってみた。すると、格段味が良くなった。
「やっぱりスマホって便利だわ。素敵よ、文明の利器♡」
そう言ってさゆりはスマホにチュッとキスをした。こういった仕草は、かつてモテ子ちゃんだった若い頃の名残である。そう、昔からさゆりは男性にモテた。その美貌を武器に男どもを手玉に取って、やりたい放題だった時期もあった。
ところが……小学五年生になる娘のまゆみは、母親と正反対で野暮ったくてまるでモテ要素がない。
「あの子ときたら、そろそろ容姿を気にしていい年頃なのに、どうしてああモッサイのかしら? いまだに『かわいいお洋服買って』なんて言ったことないんだから……」
とその時、娘のまゆみが学校から帰ってきた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
と、玄関に迎えにいったさゆりは、娘の姿を見て唖然とした。
髪の毛はボサボサ、シャツはズボンからはみ出し、そのズボンには所々汚れが付いている。自然にさゆりの目は逆三角形になる。
「まゆみ! 身だしなみはきちんとしなさいっていつも言ってるでしょ!」
「うん……」
とまゆみは服装を正すが、終わっても何かモジモジしている。
「何?」
少しいらだたしげにさゆりはきく。
「……欲しいものがあるの」
やった、お洋服おねだり! 顔はしかめながらも、内心小躍りするさゆり。
(とうとうこの日が来たのね。……でも簡単にウンと言っちゃダメ。少しじらさないと……)
などとさゆりが考えていたが、娘の次の言葉で思考停止した。
「ママ、スマホ買って……」
「……え?」
「私もスマホが欲しいの」
さゆりは唖然とする。
「スマホって……あなた小学生でしょ。まだ早いわよ」
「早くなんかないよ。みんな持ってるんだから」
「みんなって誰よ。言ってごらんなさい」
「ええと、りっちゃんに、ももちゃんに……それと、みんなだよ!」
「ほらごらんなさい。二人しか名前が浮かばないじゃないの。いつもそうよ。クラスの中で二人か三人がやってたら『みんなやってる』なんて言うんだから」
「本当にみんな持ってるの! クラスのLINEグループに、私だけ入れなくて困ってるんだから!」
「あのね、まゆみ。スマホなんて便利なようで、目は悪くなるし、歩きスマホは危ないし、いいことないのよ」
さゆりは先程のスマホ礼賛も棚に上げて、娘の前ではスマホ批判に転じた。「それにね、みんながやってるからって真似するのはどうかと思うわ。自分にしっかりとしたものがあれば、むしろ他人と違うことで優位に立てるのよ」
するとまゆみはキッとなって反論した。
「そんなの余裕ぶっこいてるモテ女のたわごとよ! 私みたいなスクールカースト最底辺のデブスがそんなこと言ったら、ますます陰キャ路線まっしぐらよ!」
まゆみはそう言って部屋に駆け込んでしまった。
その晩、夕食の時間にまゆみは父親の太郎に言ってみた。
「ねえパパ、スマホ買って」
「またまゆみったら!」
と咎めるさゆりを制して太郎は聞いた。
「……スマホって何?」
さすがにさゆりもまゆみも呆れた。いまどきスマホも知らない人間がいるなんて。
そもそも太郎は流行に対しては極度に鈍感な男だ。結婚する時、さゆりは周囲から「どうしてあんなモッサイ男と結婚するの?」と驚かれたものだが、むしろ自分と正反対の太郎に惹かれたのかもしれない。さゆりはそんな太郎と結婚してよかったと今でも思っている。ただ一つ不幸があるとすれば、そのモサさ加減が娘に遺伝してしまったことである。
「パパ、スマートホンのことよ。スマートホンがあればね……」
とまゆみはスマホについて懸命にプレゼンする。太郎は腕組みし、ふんふんと相槌を打つ。やがて太郎はこういった。
「いいじゃないか、そのスマートホンとやら、パパが買ってきてあげよう」
「ほんと!?」
と喜ぶまゆみ。
「ちょっとあなた!」
と息巻くさゆりを、太郎はなだめる。
「鉄は熱いうちに打てと言うじゃないか。こういうことはね、その気になっている時が大事なんだよ」
とわけわからない講釈にさゆりが首を傾げている間、まゆみは喜んではしゃいだ。
「ねえパパ、ついでにピンクのカバーもつけてくれる?」
「ピンクのカバーかい? うん、いいよ」
**********
翌日の夜、太郎が仕事から帰ってくると、首を長くして待っていたまゆみが駆け寄ってきた。
「ほら、買ってきたぞ」
太郎はカバンを開けて、まゆみへの手土産を渡した。ところがそれを手に取ったまゆみが訝しげに言った。
「え……なにこれ?」
それはピンク色のブックカバーに包まれた、一冊の本だった。
「なにって……おまえが欲しがっていた『スマートホン』じゃないか」
まゆみはカバーを外して本のタイトルを見た。そこにはこう書かれてあった。
──あなたもスマートに! 究極のダイエット──
スマホ買って 緋糸 椎 @wrbs
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