ホルムズとワットスンの事件簿① 鋼鐵の匣庭

あーる

第1話にして最終話


「私はこう思うのだ、ワットスン」


 ホルムズは、かたわらに立つ助手のワットスンに向かって、語り始めた。

「究極のミステリというのはとどのつまり、死体とトリック、その2つさえあれば良いのだよ。生々しい動機だとか、複雑な事件背景だとか、そういうまどろっこしい物は一切いらない。死体があり、謎があり、それを解く過程をたのしむ。それが至高のミステリというものだ。そう思わないかね、友よ」


「しかしホルムズ。肝心のその死体がありませんが」


 私、ワットスンは部屋の中を見回す。5平方mほどの広さで、正方形の壁で囲まれた密室の中は、血溜まりだらけであったものの、死体どころか生首や指の一本すら落ちていなかった。


「なんてこった。これじゃミステリは成り立たないじゃないか。帰ろう」

「馬鹿な事を言っていないで、早くこの事件の謎を解きましょうよ」

「…いいだろう。く言うワットスンは、何か気づいたことはあるかね」

 ワットスンは、この問いに答えあぐねた。密室の中には物と言えるようなものは何も見当たらず、目に入るのは床一面に飛び散った血痕と、鍵の掛けられた頑丈そうな扉が一つ、それと曇り硝子の窓が一つ、その反対側の壁に設置されているのみだった。

考えた末に、ワットスンは、一先ず目に入る情報を羅列してみる事にした。


「まず扉ですが…金属製の頑丈そうな造りになっていますね。扉の下に隙間はありませんし、鍵はごくありふれたサムターン錠です。確かこのタイプは、内側からしか鍵の施錠解錠が出来ないタイプだったかと。鍵や取手の周りに怪しい付着物や傷などは一切ありませんので、氷だとか蝋だとか紐だとか、そういった小細工で外から鍵を掛けた可能性はなさそうです。

それと…なんと、周囲の壁や床、天井までが金属製の板で造られていますね。やはりどこにも隙間はなく、後から新しく取り付けられたような形跡もありませんし、穴を開ける事すら困難でしょう。

あとは窓ですが…曇り硝子であるため、外の景色は殆ど見えません。辛うじて外が昼である事が分かるぐらいでしょうか。鍵は一般的なクレセント錠で、やはりここにも傷や付着物は見当たらないので、ここにトリックを仕掛けたとは思えません。

まさにネズミ1匹潜り込む余地もない、完全な密室です」


「ありがとう、どうもお疲れ様」

 ホルムズがパチパチパチ、と3回手を叩いた。

「それで、ホルムズの推理はどうなんですか?一体全体犯人はどうやって被害者を殺害し、死体を消失させたと言うんです」

 ワットスンは半ばムッとしながら、ホルムズの返事を待った。ホルムズはすっと身を屈めると、血の水溜まりと化した床を這いつくばりながら注意深く観察している。彼の一張羅はすっかり血だらけになっていた。

「これを見たまえ、ワットスン」

 ホルムズが何かを血溜まりの中から拾い上げた。

それは髪の毛だった。両手で1本ずつ、計2本の長い髪の毛だ。

「被害者のものでしょうか?」

「恐らく、そうであろうな。それも、髪の色が違うから、2人分という事になる」

 そう言われてワットスンが髪の毛に近づいてみると、成る程確かに片方の髪の毛は黒であるのに対し、もう片方は茶色がかって見えた。

「この密室の中には2人いたんだ。それも、長髪の…多分どちらも女性…」

「長髪の男性という可能性はありませんか」

「あるだろうが、可能性は女性の方が高いだろう。死体がない以上、断定は出来ない。仮定として、女性2人としておこうじゃないか」

「では、それが犯人と被害者という事ですか」

「2人とも被害者かも知れない」

「? それなら、犯人は一体どこに?」

 ワットスンの問いには答えず、ホルムズは金属の壁に手を張って何かを見つめている。

「ワットスンは、凶器は何だったと思うかね?」

「さぁ。これだけの流血があったと言う事は…絞殺や溺死、感電死の線は切れそうですね。刃物で斬殺されたか、鈍器で撲殺されたか。もしくは」


「射殺」


 ホルムズの視線の先には、ごく小さな凹みの様な物があった。

「もしかして、それは」

「あぁ、弾痕だ。それも一つだけじゃない。複数ある」

 ワットスンが真横の壁を見ると、そこにも弾痕があった。確認してみると、弾痕は窓のある壁以外の3箇所にそれぞれ一つずつ存在していた。

「ちなみにこんな物も落ちていたよ」

 ホルムズが広げた掌の上には、半分ほどまでにひしゃげた血塗られた弾丸が、一つ転がっていた。

「凶器はこれで決定的ですね。しかし、発射された拳銃がありません」

「それは当然、犯人が外へと持ち去ったんだろう。さてワットスン、ここまで情報が開示されれば、少なくとも殺害に至るまでの密室トリックは解けたんじゃないかな?」

「…そんなの、急に言われたって分かる訳ないじゃないですか。死体が消えた理由もさっぱりなのに」

「そこは私も解が出ていないんだがね。一先ず死体消失のトリックについては捨て置いて、殺害までの過程を推理するんだ。5分間待ってあげよう」


 5分後。


「無理です。分かりません。解答をお願いします」

「やれやれ、ワットスンはいつまでたっても探偵にはなれないな」

「放っておいてくださいよ。そこまで言うからには、ホルムズは推理が出来上がっているんでしょうね」

「当然だとも。さて、万年助手認定されたワットスンでも、犯人がどこから被害者を狙撃したのか、想像ぐらいは出来ているんじゃないかな」

「…密室のからでしょうか。犯人も拳銃も密室の中には見当たらないとなると、初めからどちらも外にあった、と考えるのが合理的です」

「なんだ、分かっているじゃないか。そうとも、犯人は密室の外、恐らく開いた窓から被害者を狙撃したんだ」

「何故窓からだと断定出来るんですか?開いた扉から狙撃した可能性もありますよね」

「その点については、後程説明しよう。となると、密室を作り上げたのは犯人か?否、と言う事だ。そもそも犯人が、密室を作ってやる合理的理由が見当たらないからね」

「犯人からの狙撃から身を守る為に、被害者自身が窓を閉めたと?狙撃され致命傷を負った被害者に、窓を閉めてクレセント錠を掛ける体力が残っていたとは、考えづらいと思いますが」

「そこで、先程の仮説が生きてくるのだよ。2という説がね」

「…もしや、1という事ですか」

「その通り。狙撃に気が付いた第二の被害者が、身を守ろうと窓を閉め鍵を掛け、密室が完成した。その直後に第二の被害者も命を落としたのだ」

「ちょっと待ってください。凶器のない密室の中で、どうやってもう1人の被害者も殺されたんですか?」

「それは、当然」

 ホルムズが、先程見せた弾丸を摘まんで目の前に掲げる。

「この弾丸によって、だよ」

「まさか……!?」

「ご明察だ。最初に窓のそばにいた被害者を狙った弾丸は、第一の被害者の急所を貫き―――恐らく、喉の頸動脈あたりを射抜いたんだろう―――横にいた第二の被害者がその発砲に気付き、素早く窓を閉め鍵を掛け、直後再び弾丸が第二の被害者を撃ち抜いたのだ」

「横にいた被害者を?縦に重なっていたのならともかく、横にいた第二の被害者を撃ち抜くのは―――…」

「ワットスンも気付いたかね。そう、だ。

最初の被害者を射抜いた弾丸は密室の壁に命中した。が、金属製の壁であったため、その弾丸の勢いは殺されることなく、跳ね返ったのだ。先程拳銃が発射されたのが扉からではなく窓からだと断定したのは、扉から発砲された場合、窓側の壁に弾痕があるはずであるのに、それがなかったからなんだな。さて、窓から発射された弾丸は一度、二度、三度と跳ね返り、そして第二の被害者に命中した。その被害者の急所に命中したところでようやく弾丸の勢いが止まり、床に転がり落ちた。事件の経緯いきさつとしてはこんなところだろう」

「つまり…第二の被害者が窓を閉め鍵を掛けるコンマ数秒の間に、弾丸は第一の被害者の命を奪い…そして密室内を三度跳ね返り…第二の被害者に命中した、と……」

「この密室内部の状況から推察するに、その可能性が一番高いだろうな」


 ワットスンは押し黙った。第二の被害者が身を守ろうとした行動は、努力も甲斐なくその者の命を落とし、皮肉にも密室を形成される要素となるだけだったと言う事か。

「しかし…そうなると、やはり死体が消失した謎だけが不可解ですね。この部屋に落ちていた髪の毛は2種類だけだったから、第三の人間がいた可能性は極めて低い。なのに、2人の死体は一体全体どこに消えてしまったのか…」

「私もその事についてはずっと考えているのだが、何故かもやがかかったように辿り着けないのだよ。何か…何か重大な見落としをしているような……」

 その時だ。密室の扉が勢いよく開かれた。扉の前には、複数のスーツ姿の男たちが仁王立ちしていた。怪しい身分の人間には見えない。刑事たちだ。今までに判明した事実を伝えねば。ワットスンは、彼らに向かって歩みを進めようとした。


 刑事たちの先頭にいた男が、ホルムズとワットスンを指差して声を張り上げた。


「み、見ろ!大変だ!

射殺された女たちが、立ち上がって動いているぞ!!!」




                              ―了―

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ホルムズとワットスンの事件簿① 鋼鐵の匣庭 あーる @jinro_R

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