容疑者が多すぎる

十一

角田が多すぎる

 角田敬一の遺体が発見されてからすでに一時間が経過していた。

 一堂に会しテーブルを囲みながらも誰も口を開こうとはしない。居心地の悪さを覚えながらも康介には他に行く当てなどなかった。いや、康介に限った話ではない。

 土砂崩れと河川の氾濫により角田家は陸の孤島と化していた。外部への連絡手段も絶たれている。受話器を持ち上げても不通音が響く。山間の土地でもともと電波状況は芳しくなかったが、スマートフォンはアンテナマークさえ立たなくなっている。


 相変わらず天候が回復する気配はない。吹きすさぶ雨が窓を叩く音に混じり、ときおり敬十郎がビールを空ける音が響く。

「お義父さん、こんな時に」

 敬一の妻の桜が窘めようとした言葉は、敬十郎のひと睨みで途切れる。角田グループの会長に意見できる者はこの場にいない。妹の美央、大学の友人の森清太も沈鬱な表情を浮かべ座っている事しかできずにいる。跡取りの敬吾は、敬十郎から顔を背け窓の外を眺めていた。


 この六人に殺人者がいるかもしれない。その事実が何よりも空気を重くしていた。

 遺体を発見したのは桜だ。目が覚めた時、敬一の姿が見当たらなかった。嵐でも夫ならば平時と同じ行動をするのでは、そう思い至った彼女は厨房を覗いてみた。

 甚平姿でうつ伏せで床に倒れた敬一はすでにこと切れていた。後頭部には鈍器で殴られたような陥没。出血は少なかったが、それでも首元には血だまりができていた。

 彼女の悲鳴ですぐに全員が厨房に集まった。警察に通報もできないが現場保存のため敬一の遺体は厨房の片隅に放置するよりない。

 犯行は夜半と全員の見解は一致した。アリバイは誰にもない。異音を耳にした者もいない。たとえ、犯行時に物音がしていたとしても、この激しい雨音にかき消されて聞こえなかったはずだ。


 外部犯の可能性はない。まだこの時点では、お互いに疑いの眼差しをはっきりと向けあっていたわけではない。そう康介には感じられた。

 決定打となったのは、ダイイングメッセージだった。厨房へと行った敬吾が見つけて来たのは食料ではなかった。敬一のスマートフォンだった。冷蔵庫の扉を開いた際に気づいたのだという。冷蔵庫の下に潜りこんでいたため、死体発見時には誰の目にも留まらなかったようだ。

 ロックはかかっておらず、画面にはメモ帳が開かれていた。

 そこには「角田」の文字が。


 この雰囲気がずっと続けば神経が参ってしまいそうだ。せめて犯人くらいわかれば多少は状況が改善するのに。

 森を除く全員が角田、ではメモは誰を指し示しているのか。康介は考えに耽る。頭を悩ませていれば沈黙も苦にならなかった。

 やがて、ひとつの閃きが去来する。

「犯人が判ったかもしれません」

 皆の視線が一様に康介へと集まる。とりわけ敬吾の反応は顕著で「本当に」と食ってかかるような鋭い眼差しを向けていた。

「はい」

「何か考えがあるようだな。話してみろ」


 敬十郎に促された康介は立ち上がって「では」と切り出した。

「スマホで書かれたメモ。敬一さんの私物なのでメモを書いたのもおそらく彼でしょう。犯人に後頭部を殴られて倒れる。しかし、まだ息はあった。そこで敬一さんはスマホに犯人の名前を入力します。もちろん、犯人にバレないようにですよ。腕で死角を作ったりする余力のあったのか、偶然体の陰になっていたのかは不明。ともかく、犯人に気取られることなくその名を残せました。しかし、それだけでは犯人に見つかってしまう恐れがあります。消されてしまっては元も子もありませんからね。そこで、彼はスマートフォンを冷蔵庫の下へと滑らせたのです。さすがに扉を開いた時に都合よく見える位置に調節できたとは思えませんから、これは運が味方したのでしょう。この時に注意しなければいけなかったのは、ロックを解除した状態で投げる点です。さて、こうして敬一さんのダイイングメッセージは完成したわけですが、問題があります。なぜ彼は『角田』などと苗字にしたのかです」

 そこで美央が康介の服の裾を引いた。


「みなさんおっしゃりたいことがあるかもしれません」康介は一同を見回す。「しかし、まずはこちらの推理。疑問点どがあれば後ほどまとめて伺います」

 もう美央の手は康介の服を掴んではいなかったが、代わりに隣から小さなため息が聞こえた。


「犯人に殴打された時、スマホはどこにあったのか。ポケット? けれど、思い出して下さい。彼が身に着けていた甚平にはポケットがありませんでした。そこで僕はこう考えました。彼はスマホの操作中だったのではないかと。だからこそ、背後から忍び寄る人物を察知できなかったのではと。そして、気配に気づいたときにはもう遅かった。姿勢を崩して手放さずにいられるはずはなくスマホは落下。床を転がり冷蔵庫の下へ。そう、その時点で、発見場所に移動していたのです。なんとかして犯人の名を。死の間際、敬一さんは必死に頭を働かせひとつのアイデアが浮かびます。スマホまで移動? いえ違います。血はその場に溜まっていました。這った痕跡はありません。移動せず離れた場所のスマホを操作する方法があります。音声入力です。彼は、声により犯人の名前を告げる。苗字ではありません。個人を特定できるよう下の名を。結果、『角田』とスマホに表示されたのです。お判りですね。正しく変換されなかったのです」

 康介は向かいに座った人物に指を突きつけた。

「森清太、犯人はお前だ」


「お前それマジで言ってんの?」

「友人を告発なんてしたくはなかったんだが仕方ない」

「あのさ、考えてみろよ。すみたで清太が変換されないってのはそうだろう。けどよ、角田だっておかしいだろ。一番に出てくるとしたら、住むに田んぼの住田じゃねーの?」


 康介は言葉に詰まった。

 再度沈黙が訪れようとしたが、「いいですか」と敬吾が手をあげた。

 自信喪失した康介が席についたのとは反対に敬吾は起立し、彼の自論を披露する。


「さきほどの推理で判りました。なるほど。音声入力ですか。これは盲点でした。しかし、そう考えると全部説明がつきます。家族を苗字で呼ぶ人間なんていません。角田が誰を示しているかなんて一目瞭然だったのです。ただ、スマホが冷蔵庫の下にあったのが問題でした。身に着けていたわけがない。どこかに置いてあった場合、それはカウンターやシンクといった高さのある所。倒れた体勢から手にできるわけもない。つまり、もともと手に持っていた。殴られれば当然手を離れます。身体を投げ出すわけですから勢い良く転がる。手を伸ばして届く位置に留まった可能性は低い。しかし、血の垂れ方から殴られた場所から死体は動いていない。最初から、冷蔵庫の下にあったとなりダイイングメッセージを残せなくなる。けれど、違ったのですね。音声入力でしたか」

 敬吾は自分の言葉に頷いた後、康介たちのほうを見つめ。


「角田は我々家族だけではありませんからね。犯人はあなたですね。角田美央さん」

「ちょっと待ってくれ」康介が息を吹き返す。「角田なら僕だっているだろ。なんで美央なんだ」

 敬吾が目を見開いた。それから困惑もあらわに康介と美央を交互に見やる。


「お兄ちゃん。これではっきりしたよ」

「どういうことだ美央」

「最初から私に罪を着せるつもりだったんだ。ずっと疑問だった。お兄ちゃんが角田をすみだって読んだ時に誰も訂正しようとしなかったのか」

 康介の頭を疑問符が埋め尽くす。


「敬一さんは自殺だった。しかし、自殺ではまずかった。そこで工作をします。撲殺に見せかけるには、偽の犯人が必要。そこで選ばれたのが私。スマホによる告発を捏造したが、あとになって矛盾に気づく。犯人にすぐバレる所にあっではまずいと冷蔵庫下に置いたのが間違いでしたね。遺体の状態を考慮するとダイイングメッセージを残せなくなった。ところが、そこでお兄ちゃんが推理を始めたのです。もしかしたらと思ったのですね。何か矛盾を解消してくれる妙案が出て来るかもと。それで黙った聞いていたわけですね」

「証拠は?」


「死体を専門家が調べたら一発です。後頭部の傷には生活反応もないでしょうし、体内からは毒物だって出るでしょう。外傷がないから自殺だとすれば服毒ですからね」

「最初から全部無駄だったのかよ。クソッ」悪態をつく敬吾の矛先は敬十郎へと。「ジジイのせいだ。ジジイが大人しく金を貸してくれれば親父が自殺なんてすることなかったのに」


「ふん」敬十郎が鼻を鳴らす。「家を継がずに出て行って今更金を貸してくれだと。自分のケツくらい自分で拭けないのか、あのバカ息子は」

 酔いが回っているのか敬十郎は胡乱な目つきになっていた。いや、息子が死んだと受け入れたくないのか。それでビールを煽っていたのかと康介に同情の気持ちが沸く。

「会長はお金を貸したくない。しかし、それでは立ち行かなくなる。ではこうしましょう。失踪で。これなら保険金も貰えます。嵐でとなれば特別失踪が認められるかもしれません。もちろんある程度は時間がかかるかもしれませんが」

 それから美央は提案した。

 みんなで死体を処理しようと。


「なにしろ、ここは家系のラーメン屋ですからね。骨が廃棄されても不自然ではないですし。手作り餃子が売りなのでフードプロセッサーがあって肉も細かくできます。業務用の冷蔵庫だってあります。これだけ人数がいれば解体だって楽ですよ。共犯ってことなればになりますからもちろん分け前は貰いますけどね」

「全員死体損壊に加担して口をつぐめと」敬十郎が急に酔いの冷めたような顔になる。「なるほど、脅迫か。それが嫌なら金を出せと。いいだろう」

「本当ですか」敬吾が破顔するが、すぐにその声が萎んでいく。「でも頭の傷はどうにもできないし」

「それは土砂崩れの衝撃で棚から瓶でも落下したことにしましょう」

 康介は盛大にため息を吐きだした。バイトの妹を迎えに来ただけなのに何故こんなことに。

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