誰がために鳩は飛ぶ

水涸 木犀

episode4 誰がために鳩は飛ぶ[theme4:ミステリー]

「宇宙になんて行くもんじゃないよ」

 それが、わたしの父の口ぐせだった。


 宇宙というと聞こえはいいが、実際に暮らすところは人工の空間だ。人工の空間は過度にラクできるようにできている。だからどんどん体も脳も衰える。その外に一歩でも出ようものなら、地球とは比べ物にならないくらい過酷な環境があるにもかかわらず。そういった主張をずらずらと並べて、人工衛星をもてはやす宣伝にガンを飛ばしていた。

 そんな父と育った影響が大きいのだろう。「オリーブと鳩」という名の宇宙探索計画を聞いたとき、真っ先にわたしの中に浮かんだのは猜疑心だった。

 ―地球以外に、人が住める星を見つける。理論上には見つかっているその星に人を派遣し、ゆくゆくは第二の母星として生活できるよう、環境を整える―

 耳ざわりがいい言葉が羅列されているのが、かえって怪しいと思った。宇宙船を作り、星に人を派遣するだけで何十年もかかる。人々の消費サイクルが極端に短いこのご時世において、短期的利益が見込めない計画にお金を積む人がどこにいるというのか。机上計算が得意な科学者が自説に注目してもらうためにでっち上げたと言われた方が、まだ納得がいく。

 しかし、「オリーブと鳩」は確実に始動していた。利益よりも費用の方が高い企画にもかかわらず。わたしはフリージャーナリストという立場を活かして、依頼される単発の仕事の合間を縫って計画を調べ始めた。


 調査を開始して間もなく、二人のキーパーソンの名が浮かびあがった。

 一人目は宇宙飛行士のクレインという男。大学・大学院を首席で卒業し、卒業後間もなく宇宙移行士の研修組織に入団。そこでも卓越した能力を発揮し、数十年ぶりに誕生した「宇宙飛行士」として宇宙船OLIVE号の艦長に任命。「オリーブと鳩」のフラグシップとして、宇宙の果ての星に向かい旅立った。

 二人目は宇宙移行士のオウルという男。クレインとは大学の同期で、浅からぬ面識があったらしい。クレインが宇宙を目指す間、彼は宇宙移行士として人工衛星の環境整備に努めた。一見すると凡庸な技術者だが、彼の計画書を眺めていると、「オリーブと鳩」実現に必要な準備を人工衛星の中で進めていたことがわかる。

 このふたりは計画の実行に欠かせない存在。それは間違いない。しかし調査は、そこで行き詰まりを見せた。

 計画には、それを立案し指揮する存在がいるはずだ。いくら重要な立ち位置だとしても、クレインとオウルは計画を進める演者にすぎない。だが「オリーブと鳩」を推進する指揮者―この計画に懐疑的なわたしからいわせれば首謀者―は、いくら二人の周りを洗っても出てこなかった。

 それぞれの上司は、優秀なふたりの計画書に可決決裁を下すだけで、能動的に「オリーブの木」へと誘導している節が全くない。二人が大学時代に所属していた宇宙物理学の研究所もあたったが、宇宙での運動法則等を個別具体的に調査しており、ひとつのまとまった計画の存在は見当たらない。


 より二人の周囲を洗うため、OLIVE号が地球を去った後オウルの部下として人工衛星にもぐりこんだ。ここでもめぼしい成果は上がっていない。ヒントになりそうな情報は、二人が宇宙を目指したきっかけが雑誌記事だったことくらい。

 この雑誌記事がまた曲者だった。本当であれば、雑誌記事の作者から調査対象者を聞きだし、発案者を辿ることができる。しかし筆者にアポを取るべく出版社に連絡したところ、そんな人は社内に居ないと言われた。氏名と記事を見せても、わからないの一点張り。これで、調査は暗礁に乗り上げてしまった。


 ☆ ★ ☆


「ノアって、誰のことなんですかね」

 諦めたわたしは、彼に直接問いかけることにした。

 オウルのもとで調査を続けていた結果、新たに作られた宇宙船に同乗することとなってしまった。調べ始めたころは、まさか自分が宇宙に行くとは思ってもみなかったが、ここまで来てはぐらかされることはないだろう。

 しかし、彼は当然という顔をしていった。

「この計画にノアはいない。鳩は戻ってくる力が残っていないから、俺たちが迎えに行くんだ。しいて言うならノアは俺たちだな。だからこの船にNOAH号と名付けた」

 わたしたちが乗る船は、クレインが見つけたという新星に向かう。NOAH号の立ち位置は創世記のノアよりずっと能動的だ。

「計画の言いだしっぺが誰かなど関係ない。もはや、これは俺とクレインの計画だ。ただ受け身で鳩を待っていた創世記のノアとは違う。名前こそ計画に沿わせたが、俺がこの計画で必要だと思う立ち位置を意識して動くだけだ」


 彼はふっと笑い、船外を映したモニターを見据える。わたしも、通路上に取り付けられた小さな液晶画面を見上げる。


 地球に戻ってこられたら、真のノアを見つけ出す。その決意を新たにしながら。

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