この場所に居る『あの子』は幽霊

狼二世

脳が狂う


 芸能雑誌の表紙で少女が微笑んでいる。

 艶やかな黒い髪はボブカットで整えられて、クッキリとした瞳は黒真珠みたい。

 たぶん、十人に聞けば住人が美少女だと認めると思う。


「気に食わない」


 気に食わない。ここが自分の部屋でよかった。お母さんたちもお仕事で外に居なくてよかった。社交性なんて仮面を外した自分の呟きを誰にも聞かれなくて、本当によかった。


「気に食わない」


 あの顔が気に食わない。世界中の人間に愛されて当然だって言ってそうな顔が気に食わない。それを否定できない自分が悔しい。

 そして、この子が私のクラスメイトだと言うのが気に食わない。


 私は貴女が好きじゃない。ただ、学校の席が隣だっただけで友達扱いしてくるの。

 私にだって最低限の社交性はある。露骨に怪訝にしないくらいの分別はある。

 貴女が話しかけるたびに返事をするのはただの社交辞令なの。なのに、落ち着きがあるなんて言って、私に近寄らないで欲しかった。

 隣を歩けばいつだって男の子の視線は『あの子』のものだ。私なんてオマケくらいにしか見られない。


「気に食わない」


 『あの子』の芸能界へのデビューが決まってから、私の環境はもっと酷くなった。

 『あの子』の友達としてしか他人に見られなくなった。『私』は『アイドルの友達』になった。


 ああ、本当に気に食わない。さっさとストレスを吐き出そう。


 机の上のパソコンを起動する。ブラウザのブックマークを開く。選択するのは匿名掲示板。

 適当なアンチスレを立ち上げて、『あの子』のあることないことを適当に書き上げていく。

 学校での醜聞や勝手な噂話。だいたい、二割の嘘に八割の嘘を混ぜて書いていく。

 全部が真実である必要はない。これはただの八つ当たりで、自分の憂さが晴れるだけなんだから。

 ほら、私の書き込みに釣られたアンチが同調して、ファンが勝手に擁護してケンカをはじめる。ホント、この場にいるのは全員馬鹿じゃないの。


 猿山のケンカを見学して、ようやく気持ちが落ち着いた。

 いいタイミングで玄関の扉が開く音がする。私も下に降りよう。


「あら、いい顔してるじゃない」


 うんそうでしょママ。だって、スッキリしたんだもの。


◆◆◆


 月曜日、学校に行くのが憂鬱になる。

 今日は『あの子』が学校に来る日だ。また適当に相手をしないといけない。

 クラスメイトのヒソヒソとささやく声が聞こえる。僅かに聞き取った言葉の中に、『あの子』の名前があった。真剣に聞く必要なんてないわね。

 そんなことより、仮面を用意しないと。今の『あの子』の機嫌を損ねたら、信者からどんな仕打ちを受けるか分かったものじゃない。

 重い足取りでも道を進む。校門が見えて来た。覚悟を決めよう。


「おはようございます」


 つとめて丁寧に仮面をかぶる。大丈夫、今日も私は大丈夫。


◆◆◆


 教室に入った時から違和感があった。

 どこか浮ついた空気が蔓延している。それに、何故か私に視線を投げる人がいた。

 なにより、『あの子』が来なかった。いや、『あの子』が芸能活動で登校が不定期になるのは珍しい事ではないけど、なんとなく肩透かしだった。せっかく硬めに作って来た仮面も役に立たない。


 昼休みが終わり、午後の授業。そして最後のホームルーム。

 終わって席を立った時、誰かが私に問いを投げかけた。


「ねえ、あの噂って本当なの?」


 彼女の口から飛び出したのは、私が適当に匿名掲示板で書きなぐった噂だった。

 背筋が凍り付くような気がした。


「さ、さあ」


 大丈夫、仮面はまだ脱げていない。


「あの子も有名だから、色んな噂があるんでしょう。真に受けてはダメよ」


 よし、完璧だ。相手も納得してくれた。


「すごい、流石は親友だね!」


 適当に相槌をうって逃げ出す。喉はカラカラだった。


◆◆◆


 家に帰ると真っ先にパソコンを起動する。

 匿名掲示板にアクセスすると、『あの子』に関連するスレッドがいくつも立ち上がっていた。


「どうして?」


 調べると、悪質なアフィリティサイトが捏造を交えてまとめたらしい。

 あの新進気鋭の人気アイドルにスキャンダル――あっという間に噂は燃え広がったのだ。

 そして、その出所は私の書いたスレッドだった。


「あ、はは……」


 私は、どんな顔をしているんだろう。

 笑ってる? 泣いてる? 後悔してる? いや、そんな訳ない。

 そもそも匿名掲示板の噂なんて真に受ける方が悪い。すぐに噂も消えるだろう。


◆◆◆


 私の思惑は外れる。

 噂は勝手に独り歩きをした。

 学校に行くたびに『あの子』について聞かれた。もちろん、噂は噂だと否定したけれど、悪い風邪のように広がっていく。

 電車の広告にあるような下品な週刊誌でも取り上げられ、メディアで『あの子』を見る機会も減っていく。

 『あの子』は学校にも来なくなった。


 そうして、半年くらいしたころに、ある噂が流れた。


「『あの子』は、自殺したんだってよ」


 真偽は分からない。芸能プロダクションだとか、家族が醜聞を恐れて隠しているなんて言われていた。

 その内容を確かめる術はない。確かなのは、一度も『あの子』の姿を見ていないことだけ。


 ああ、本当に馬鹿らしい。

 なんで適当な噂を信じてしまうんだろう。噂はいつだって信用できないのに……

 でも、きっと『あの子』にも問題があるんだ。

 火のない場所に煙は立たない。きっと、『あの子』を気に食わない奴は沢山いて、噂の種になるようなものは沢山あったんだ。

 だから、私は悪くない。燃え広がらせた馬鹿が悪いんだ。


◆◆◆


 一年も過ぎた頃、もう『あの子』の噂は聞かなくなった。

 適当なものだと思う。それくらいみんな無責任だ。

 せめて、私くらいは覚えていよう。


 気が付けば高校も卒業して私は来月から大学生。

 今日、下見に行くのは新しい町の新しい住処。春から一人暮らしなんだ。

 そう、だからもう過去は関係ない――


 ――ここはあの噂の染みついた町じゃない――

 ――『あの子』がここに居るはずがない。

 ――そう、『あの子』は死んだはずなのだから――


「なんで……」


 ――なのに、なんで――

 横断歩道の反対側。いつかと同じ笑顔の『あの子』が居るの?


 混乱している間に信号は青になる。子犬のように駆けながら、『あの子』が近づいてくる。


「久しぶりっ!」


 この声も、間違いない。間違えるわけがない。大嫌いで忘れられるわけがない。

 なんで? ここは私たちの住んでいた町からずっと遠くの場所。

 いや、そんなことは問題じゃないの。


「し、し、死んだって言っていたのに」

「あ、そんな噂になってたんだ」


 そうよ、なんで生きているのよ。死んでなきゃダメじゃない!


「でもね、引っ越しただけなんだ。もう、噂はだれにも止められなくて、あの町に居るとお母さんたちも悲しい顔をするから」


 嘘よ、いくら噂が信用できないものだからってそんなことがあるわけない。


「聞いたよ、貴女だけは私の噂を否定してくれたんだって。本当にありがとう」


 そんなことを言われるわけがない。だって私は、私は!!


「あ、そっか……おかしいんだ」

「え?」


 この場所に『あの子』の姿が見えるのは私の目がおかしいから。

 この場所で『あの子』の声が聞こえるのは私の耳がおかしいから。

 この場所に居る『あの子』は幽霊。そんなのは存在しない。認識できるのは、私の脳がおかしいから。


「あ、はは、はははははは!!」


 じゃあなおさないと! お医者さんはどこ? ねえ、助けてよ。逃がしてよ。ねえ! ねえ!!


「危ない、車が!!」

 

 あ、また『あの子』の声が聞こえる。

 『あの子』はここに居ないもの。

 だから、『あの子』が言ってる車もここにはない。このブレーキの音も――


《了》

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