音楽がお迎えしてくれる部屋

葵月詞菜

第1話 音楽がお出迎えしてくれる部屋

「ねえ弥鷹みたか君、不思議なお話をしてあげようか?」

 いつもの地下書庫の作業室でサクラが紅茶のカップを手に呑気に話しかけて来た。

 同じく淹れてもらった紅茶に手を伸ばした弥鷹の返事を待たずに、彼はその先を話し始める。

「ある真っ暗な部屋があってね、中には特に家具はないんだけど、真ん中にグランドピアノがどーんとあるんだ」

 話の展開が全く想像できず、弥鷹は「はあ」と曖昧に相槌を打った。

「ふらりとその部屋を訪れるとね、突然音楽が流れ始めるんだ。しかもその音楽はちょっとかすれ気味の高音で、スムーズだったり、途切れ途切れだったりする」

 少しホラー染みた話になってきた。弥鷹は眉間に皺を寄せながらサクラの話に耳を傾ける。

「グランドピアノは埃除けのカバーがかかって久しく蓋を開けられた様子はないし、他に音が出る楽器は見当たらない。その部屋には、当然誰かがいる気配も感じられない。でも、訪れる人はみんなその音楽に迎えられるんだ」

「アラーム付きの時計とかじゃ?」

 考えるのが面倒で雑な答えを返すと、サクラは眉を下げて唇を尖らせた。

「あのねえ弥鷹君。もう少し考えて面白い答えを出してよ」

「いや、これだけの情報で面白い答えなんて出せるわけないだろ」

 サクラはおやつのチョコレートを一つつまみ、ふむと顎に手を遣った。目の前にいるのは小学生の姿をした男の子なのだが、その仕種と雰囲気は少し大人びていた。

「じゃあヒントをあげよう。――ハッピーバースデー、弥鷹君!」

「は?」

 上から目線で胸を張って言い放ったサクラに驚く。弥鷹の誕生日はまだ先だ。いきなり何を言い出すんだろう。当のサクラは微笑んだまま期待するように弥鷹を見つめていた。

 だが残念ながら、その期待に応えられる閃きは弥鷹に降って来ない。

「うーん、ピンと来ないか。なら実際に行ってみたらいいと思うよ?」

「いや、別に俺は行きたくないし、そもそもそんな部屋のことなんかどうでもいい」

 サクラが勝手に話し始めたから流れで聞いていただけだ。確かに不思議だとは思うが特にその先に興味はない。

「今、その部屋への地図を書くから待っててね」

 サクラが机の上から紙とペンを手に取ってさらさらと書き込んでいくのを眺め、弥鷹ははっとした。

「ていうか、これお前の家の話かよ!?」

 にっこり笑ったサクラが、有無を言わせぬ笑顔で弥鷹に向かってメモ用紙を突き出した。


 無言の圧力に負けて、弥鷹はその紙に書かれた地図を手に作業室を出た。

 ここはとある私設図書館の地下書庫だ。明るさが絞られたその空間では、近くの書棚しか視界に入れることができない。

「もうすでに暗いし不気味すぎるんですけど……」

 書棚には見るからに古めかしい本が並んでいる。背表紙に見えるのはほとんどが日本語ではない。もっと言うと、文字かどうかすら怪しい本もある。

 しかもここはただの図書館ではないのだ。特に地下書庫は『人』ではない正体不明のモノたちも出入りするという。実際、弥鷹は以前うさぎの面をした不気味な黒い影と遭遇している。かわいらしいうさぎの面とのアンバランスさがシュールでリアルに怖かった。

 サクラからはそういったモノたちを見つけたら近寄らずに関わるなと釘を刺されているが、そんなに言うならこんなふうに弥鷹を一人で出歩かせないでほしい。

「さてどっちに行くんだ……?」

 折角渡されたメモも暗くて見え辛い。棚の間に取り付けられた微かな明かりを頼りに何とか方向を確認して狭い通路を進む。時折感じる涼しかったり生温かったりする風が恐怖を煽る。すでにもうお化け屋敷の中にいる気分だ。

「サクラの馬鹿やろう……!」

 年下の少年に文句を呟きながら足を速める。怪しいモノたちに出会いませんようにと必死に祈りながら。

 気付くと、いつの間にか地下書庫から出て明るい廊下に出ていた。どこかのホテルのように両側に扉が並んでいて、真っ直ぐの廊下は数メートル先で右に折れているようだった。

 サクラの書いてくれた地図によると、その曲がり角の一つ手前の扉の部屋が件の部屋らしかった。

 弥鷹はじっと扉を見つめ、小さく息を吐くとノックをした。中からは返答もなければ何も音もしない。少しほっとしながら、ノブに手をかけた。

「失礼しまーす……」

 ゆっくりと扉を開けると、ギイと軋む音がついてきた。

 部屋の中はがらんとしていた。廊下の明かりが差し込む以外は真っ暗な部屋の真ん中に、一台のグランドピアノらしきシルエットが見える。その上には小さな鉢のような置き物の影があった。

「別に音楽とか鳴らないじゃねーか」

 弥鷹は部屋の中に足を踏み入れた。先程から耳を澄ませていたが、特に音楽らしきものは聞こえて来ない。もしかして弥鷹は歓迎されていないのだろうか。

 拍子抜けしたというか、少し気が緩んだ弥鷹はふうと息を吐いて壁際のスイッチに手を伸ばした。部屋の中がパッと明るくなる。

 その数秒後のことだった。少しかすれ気味の高音が軽快な音楽を奏で始める。だが途中で元気をなくしたように途切れ途切れになり、またいきなり高音を発したかと思うと急に止まった。

「!」

 弥鷹の動きが止まる。暫くの間の後、また音は鳴りだし、なんとかぎこちなく最後の一音を奏でると静かになった。

「……」

 弥鷹が先程の音楽を頭の中で反芻している時だった。突然部屋の電気が消えた。

「っ!?」

 不思議な音楽が響いて来た時よりも焦った。これはどう考えてものせいだった。

 とっさにしゃがみこもうとした弥鷹に、小さく笑う声が聞こえた。

「ああ、ごめんごめん。そっと近付こうとしたら電気のスイッチに触っちゃった」

 部屋が明るくなると同時にサクラが姿を現す。

 そして暫くの後、また先程の音楽が聞こえてきた。ただし今度は最初から油が切れたように切れ切れの音で、まるで弱っている虫の息の音のようだった。

「ハッピーバースデーだったでしょ?」

 サクラがにんまりと笑っている。弥鷹は溜め息を吐くと、グランドピアノの方に近付いて行った。ピアノには淡いベージュのカバーがかけられていた。その上には小さな鉢があり、中にすっぽりとピンクの造花のブーケが収まっていた。

「音楽はこれか」

「ピーンポーン」

 正解とばかりサクラが口で歌う。

 ブーケを覗き込むと、花びらの中に紛れ込むように電子基板が埋まっていた。

 流れた音楽は誕生日の定番「ハッピーバースデー」の曲。

「光が当たるとセンサーが反応して曲が流れ出すんだな」

 よくある、誕生日ケーキの箱やバースデーカードに使われる仕組みだ。

「そういうこと。でもすっかりそのセンサーのこと忘れててさ、暫くこの部屋を使わないまま久しぶりに入ったら、電気つけるなり鳴りだしてびっくりした」

 サクラが肩をすくめる。確かにそれは驚くだろう。

「何でそのままにしてるんだ?」

「兄さんたちも驚かせたくて」

 悪びれずに言うサクラが小悪魔のように見えた。彼の兄弟は何も知らずにこの部屋に入って無駄に驚くことになるのだろう――いや、もう餌食になっているかもしれない。想像すると不憫だった。

「まあもうずいぶんと古いから、今でも鳴る方が不思議なんだけど」

 サクラがピンク色のブーケを見つめる。

「誰かの誕生日のブーケ?」

「まあね。実はもう数年は経つんだよ」

 サクラはブーケから弥鷹へと視線を移し、ふわりとどこか懐かしむような笑みを浮かべた。

「さ、おやつの途中だったよね。戻ろうか」

「そうだ。絶対紅茶冷めてるだろ。お前が急に部屋を追い出すからだぞ」

「淹れなおすから許してよ」

 電気を消し、二人で部屋を後にする。次にこの部屋を訪れるのは誰なのだろう? まだ暫くは来訪者をぎこちないハッピーバースデーの曲で出迎えてくれるに違いない。


***

 弥鷹が帰って行った後、サクラは作業室の椅子の上に足を抱えてぼんやりしていた。

 昼間のあのブーケのことを思い出す。

 あれは数年前の誕生日に小学校でクラスのみんなからもらったブーケだった。――そうサクラは記憶している。

「弥鷹君はすっかり忘れてたみたいだったけど」

 昔から知っている友人のことを思い出して呆れた笑いが零れた。

 あのブーケをくれた「みんな」の中には弥鷹も含まれていたのだ。

 小学生の姿のままのサクラの今の状態からするとすっかり彼の方が年上に見えてしまうが、本来の彼は弥鷹と同じ年の高校生なのだ。弥鷹は気付いていないけれど。

「まあ複製コピーのサクラは小学生の少年として弥鷹君の友達だから仕方ないか」

 彼が知る本当の咲来は現在別の場所にいる。この世界とはまた違った次元に。

 ここにいるサクラはあくまで本体と記憶を共有する複製にすぎない。

 この地下書庫と同じくらい、彼の存在自体がホラーで不思議かもしれなかった。

「何も知らない方が幸せかもしれないね、弥鷹君」

 小学生の姿をした彼はそっと微笑んで、ブーケの残像を振り払うように目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

音楽がお迎えしてくれる部屋 葵月詞菜 @kotosa3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説