矢場杉栄吉、最後の覚悟。

薮坂

>ninth frame


 ──めちゃくちゃだ。もう無茶苦茶だ。僕は目を閉じて、深く深く溜息を吐いた。

 あれ、僕は「僕」だっけ。それとも「俺」だったっけ。これもアンコック・へミュオン効果の影響なのだろうか。僕なのか俺なのか、いや最早そう言う次元じゃない。自分が何者なのか、それがわからない。

 僕は矢場杉栄吉なのか、それともヤーブス・アーカなのか。はたまたそれら以外の誰かなのか。

 僕は、俺は、どうしてしまったんだ。知ってることと知らないことが頭の中で混じり合う。混じり合ってひとつになって、そしてすぐに3つに分かれて最後には6つになる。


 6つの断片は散らばった後、それぞれの世界に飛んでいき、そしてそこに深く根差す。元は同じ情報のそれ。つまりはオリジナルからコピーしたものに過ぎない。ただ環境が違えば、同じ情報とて全く違う意味を世界にもたらすのだ。

 それが「救い」である世界もあれば、「絶望」である世界もある。その世界にとって、その情報がどんな役割を果たすのか。それは、その世界に住まう者にしか観測することができない。

 もちろん、6つの世界を渡り歩くことができるという、この僕を除いては。






 ──バチン。目の前に星が飛んだ。それくらいの勢いで頬を張られた、と認識するのに時間が掛かった。

 目の前には見たことのある女性がいる。ミカンサさんだ。僕、つまり矢場杉栄吉と直接関わりのある人だっけ、ない人だっけ?

 頭の中に情報が入り乱れてよくわからない。ええと、とりあえず何て呼べば。場違い過ぎるそんな考えを余所に、ミカンサさんは僕の胸ぐらを掴んだ。それもう一発、とばかりに自身の右手を振り上げる。

 反射的に左頬を左手でガードしようとすると、ガラ空きの僕の右頬にビンタがクリーンヒットした。まさかの二人目。この女性も知ってる。竹上さんだ。二人の女性に代わる代わる責められるなんて、その筋の人にはご褒美かも知れないが生憎、僕にその趣味はない。


「バカ! アホ! ロクデナシのゴクツブシ! この変態ロリコン野郎! あなたそれでも本当に選ばれし者なの?」


「……いや、ロリコンは僕じゃないです」


「あ、そっかあれはユースの属性だったっけ。まぁいいや」


 バチーン! 何故か竹上さんから2発目のビンタを喰らう僕。いや何すんだ、この人。


「ミカンサ! とりあえずセブンティーダブルAをえーちゃんに! アフロディーテ様はまだ射程内だよね?」


「──えぇ、まだギリギリよ。その子に色々、手ほどきしなくちゃね?」


 ミカンサさんは妖艶にそう言うと、僕の顎に自身の手を当てた。え、まさかそんなオイシ──バチーン!

 今度のビンタは渾身のフルスイング。とても痛い。ほっぺたの内側に僕の歯形がついてるレベル。マジで何なんだ、この人たちは!


「意識を保ちなさい、。痛みは強みよ。あなたがまだ、この世界に生きていると言う証左」


「マジで頑張ってよ、えーちゃん。あんたしかいないんだからさ。この狂った世界をどうにかできるのは」


「ど、どうにかって?」


「さっき、アフロディーテも言っていたでしょう。この世界は6つの世界に分かれていた。でもその一部が誤融合してしまった。本来平行線だった世界線が、複雑に絡みあってしまったの。わかる?」


 首を絞める勢いで、ミカンサさんは僕に言う。わかるわけがないけど、僕はこくこくと頷くことしかできない。


「あなたは選ばれし者。この世の創造主たるアフロディーテ・ノーノチエに選ばれた唯一の男。あなたとアフロディーテには因縁があるのよ、オリジナルの世界でね」


「オリジナルの世界……?」


原典オリジナルを元に、世界は6つ作られた。つまり全部で世界は7つあるの。ただ、オリジナルの世界線にアクセスできるのはアフロディーテだけよ。でもあなたは他の6つの世界線にアクセスできる。アフロディーテに次ぐ存在なの。それはわかる?」


「いやわかんないですよ。言ってる意味が。僕はただ、どこにでもいる普通の映画好きの会社員だったんだ。それが、野々原チエコさんと出会ってからおかしくなって、映画の登場人物が出てきたりバイクになったり分裂したり光ったりビンタされたり、もうめちゃくちゃだ。頭の中がおかしくなる。ていうかもうなってる」


「しっかりしてよ、えーちゃん!」


 バチーン! また頬が張られた。竹上さんもフルスイング。マジで痛い。やめてくれ。

 泣きたいくらいの仕打ちだった。まさに置いてけぼり。みんな勝手に、僕は選ばれし者だとか言いやがって。ふざけるのも大概にしてくれ。僕はもう辞めたい。

 勝手に人を巻き込んで、理由も語ることなく恫喝するなんて犯罪者じゃないか。

 

「イチから説明しているヒマはないの」


「いやイチから説明して下さいよ! あまりに理不尽すぎる!」


「時間がないって言ってるでしょ?」


「時間がないのはわかりましたよ! 何か退っ引きならないことが起こっている、それはわかりましたよ、痛いほどにね!」


「……竹上、残り時間は?」


「んー、ほんとにあんまり。でもえーちゃんがきちんと理解しないと、きっとアフロディーテ様を追えないのも事実だよ、ミカンサ。セブンティーダブルAはまだオフライン。これじゃ発動できないかな」


「仕方ないわね。これは賭けよ」


 ミカンサさんはゆっくりと息を吸って。そして吐き出すとともに答えてくれた。


「わかった、矢場杉栄吉。あなたにイチから説明してあげる。これはね、夢なの。アフロディーテが見ている夢。正確には、アフロディーテが願った夢の世界。オリジナルの世界で、アフロディーテはあなたを失った。それを認められず、彼女は世界を再構築したの。それがこの6つに分かれた並行世界。あなたのオリジナルは死んでしまったけれど、あなたのコピーは6つ生まれた。それを6つの世界に解き放った。その中の一人が矢場杉栄吉であり、そしてヤーブス・アーカなのよ。他にも同じ魂を持った人物──人でないのもいるけれど──があと4人いる。そこまではわかる?」


「僕が、6人も……? どうして?」


「いろんな世界で、彼女はあなたという存在を再構築した。そしてその中の一人でも、オリジナルの世界に復帰することを願った。それがアフロディーテ・ノーノチエの宿願。通称、ワイズプロジェクトよ」


「ワイズ、プロジェクト……」


「矢場杉のYもヤーブスのYも、【y's project】のY。この言葉、聞いたことがあるでしょう? 映画制作チームの名前だったり、銀河系を牛耳る組織の名前だったり、その名を冠したものはいろいろある。あなたはそれを知っているはず。違う?」


 その言葉を聞いて、僕が思い浮かぶのはもちろん凄腕の映画制作チームの名前だ。でも。僕は他にも確かに知っている。

 銀河系を牛耳る組織の名前。世界征服を企む、核兵器を保有する組織の名前。世界で一番売り上げを出している AI製作企業の名前。その世界で一番名を馳せる、冒険者ギルドの名前。そして、世界の片隅でひっそりとリレー小説を紡ぐ集団の名前。

 見たことはないけれど、知識として知っている。僕は、6人分の知識を共有している。なんとなく、その事を理解した。


「あなたには6人分の知識がある。それぞれが事実で、そして虚構よ。ただし、その世界に生きている人にとっては紛れもない現実なの。私から見たあなたと竹上は虚構だけれど、逆もまた然り。竹上とあなたから見たミカンサは虚構なの。わかる?」


「な、なんとなく……」


「結構。その6つの世界は、本来絡み合わなかった。等間隔で並行していたの。でも。些細なきっかけで、その平行線はねじれてしまった。それがこの世界。虚構と現実が入り乱れる、カオスな世界。だから元に戻さないといけない」


「元に戻すってつまり、」


「創造主たるアフロディーテに、諦めてもらう他ないってこと」


「そうなると、そこを現実だとして生きていた人たちはどうなるんですか? なっちんやカーコ、アンコックやへミュオン、AIの LAGERとかハルカ役のアヤカ・カズーノとか、西水義和教授とか、あとマスターのユース・K・ジリノフとか。あ、犬も居たな。あとバイクも。ずっと傍にネコもタヌキも居てくれた気がする? なんか漏れてる気がしないこともないけど、たぶんこれくらいかな、漏れてたらマジゴメン!」


「みんな、元に戻るだけよ。元に戻るだけ」


「そうだよ、えーちゃん。私たちは元に戻るだけなの。お互い干渉せずに。ただ元に戻る。それだけだよ」


 冷たく言うミカンサさんに、竹上さんが言葉を重ねた。僕は承服できない。出来るはずがない。みんな、それぞれの世界で生きてきたなのに。紛れもなく生きているなのに。それを、諦めるだなんて……。


「世界がねじれてしまって、私たちは互いに干渉することになってしまった。でも、その役目は本来あなただけなのよ、矢場杉栄吉。だから、あなただけが本当の意味で、この6つの世界を終わらせることができる。だからあなたに託すわ。私たちの思いを」


「思いって! 僕がこの6つの世界を統合だか終わらせるだかしてしまったら、あなたがたの存在はどうなるんですか!」


「無に戻る。それだけよ」


「そんな……。無に戻さない方法はないんですか」


「ないわ。物語は、いつか終わる。だから物語なのよ。それが本来の姿。だから私たちを、どうか開放して。このカオス極まる物語から。それはあなたにしかできないことだから」


 ミカンサさんは笑う。竹上さんもニヤリと笑う。この物語に出てきたその他の登場人物も、皆おなじ顔で笑っている気がした。


「……わかり、ました。僕が終わらせます。オリジナルの世界で、僕が何をしてこうなったのかはわからないけれど。でも、それはきっと僕の責任だ。だから僕がこの6つの世界を全て終わらせる。その覚悟が、やっとできました」


「やるじゃん、えーちゃん。さすが、


「頼んだわよ、矢場杉栄吉。これをあなたに託す。これが神殺しの武器よ」


 セブンティーダブルA。僕はそれを手に取った。

 それははためくただの布切れで。これが最後の切り札ラスト・リゾートとは思えないくらいの頼りなさ。


「神殺しって……、これで野々原チエコさんを?」


「違うわ。殺すのは、この6つの世界で最も神に近い存在となってしまった、ヤツよ。ヤツをアフロディーテの目の前で殺しなさい。アフロディーテが管理していた葉桜と陽炎を奪い、あなた以外の5つの魂を取り込んだ、あなたに最も近い存在。名前はヤーブス・アーカ」


「あのヤーブスを……」


「ヤーブスから5つの魂を奪い、完全な存在になるのがあなたの使命。あなたが負ければ、ヤーブスが完全な存在になってしまう。それはこのカオスな世界の継続を意味するわ。だから絶対に勝ちなさい。勝って完全な存在パーフェクト・Yとなり、この世界を終わらせるの。アフロディーテ・ノーノチエに、あなたを諦めて貰うの。絡み合った紐を、その根本から分断する。そして世界を、またひとつにする。Yの居ない世界に戻すのよ」


「つまり、僕の存在も?」


「ええ。それが本来の姿なのだから」


 なるほど。僕は覚悟を決めた。みんな条件は同じだ。アフロディーテ・ノーノチエに取って、僕たちは彼女が紡ぎ出した物語の登場人物に過ぎない。だけど彼女は何も悪くない。ただ願っただけだ。悪いのはヤーブス・アーカ。僕の負の感情を全て取り込んだ、純粋なる悪のアイツ。

 アイツはひょんなことから手に入れた、この世界の核とも呼べる葉桜と陽炎を使い、現実世界での復活を勝手に目論んだ。アフロディーテの本来の願いを無視する形で。本当は、ヤツもただの登場人物なのに。

 アイツはもう一人の僕だ。だから。僕がケリをつけなきゃならない。


 旗色は悪い。アイツは5つの魂を持ち、そして世界の核を2つ手に入れている。葉桜と陽炎。だけど僕にはコレがある。3つめの核である、セブンティーダブルA。

 アフロディーテがヤーブスを自爆させたら、五つの魂は世界に散らばり、またカオスな世界は巻き戻される。だから。確実に、ヤーブスの息の根を止めなければならない。そして僕が完全なる存在となり、アフロディーテ・ノーノチエに別れを告げるのだ。



「覚悟は、決まったのね」


「──はい。僕がやります。僕が世界を終わらせる」


「カッコいいよ、えーちゃん。私たち、応援してるから」


「ありがとうございます。でも、ひとつだけ訊いてもいいですか」


「何かしら」


「こんな布切れで、どうヤーブスと戦えと?」


「願いなさい。その布はあらゆるモノに変化する、希望の布。あなたが想像する、最強の武器に変化してくれるわよ」


 僕は目を閉じて想像する。

 ヤーブスを殺すに足り得る、その武器を。

 ただ考えが上手く纏まらない。もう少しなのに!


「これが最後のアシストよ。竹上、いくわよ!」


「ガッテン承知! 元気ですか? バカヤロー!」


 ──バチーン!!

 両方の頬を同時に張られ、僕の中に気合いが充満する。頬から伝う電撃のような衝撃。それがそのモノのカタチを決定付ける。


 聖なる布は2つに分割され、僕の右手と左手に収まった。





 歯ブラシと、そしてワセリン。

 それが僕に与えられた、神殺しの武器ラスト・リゾートだった。







【lagerさんのラストに続く!】




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