青紫陽花は知っている
結葉 天樹
青紫陽花の花言葉
フリーライターをしている時、とある宿の
なんでも四年に一度、宿泊客が死ぬ旅館があるのだという。
既に四回。その宿では宿泊客が変死を遂げているのだという。不思議なのは毎回犠牲になるのは必ず、ひとりで宿泊している客であり、家族や夫婦のように複数で泊る客は誰一人巻き込まれていない。
本来ならそんな
取材対象としては興味を抱く場所だったが、その時は結局そこへ行くことはなかった。
事件がいつ起きるかは誰にもわからない。まさか事件が起きるまで宿泊するわけにもいかない。それに旅館もこの事件を気にしていないはずもなく、無遠慮に取材に行くこともはばかられた。
だが、その事を思い出したのは三年後、たまたま取材でこの地に訪れた時に大雨に遭ってしまい、この宿に駆け込む羽目になったからだった。
「まさか、例の宿だったとは……」
温泉に入り、冷えた体を温めた私は旅館の立派な庭園を眺め、涼んでいた。青い
そんな私に声をかけるものがあった。東京から来た観光客と男は名乗った。この旅館にはこの時期に何度も訪れているらしく、庭園の
「ご存じですか。この庭はかつて赤い
「ほう、それは存じませんでした。この見事な青がかつて赤であったとは」
「ええ。しかし例の事件があってから、血をイメージさせるからと土壌を改良して青い
「土壌を改良? 赤い
「ええ、
「ほう、それは知りませんでした」
植物のことには明るくない私だが、そんな私に男は庭園の植物についていろいろと教えてくれた。この旅館に毎年訪れているというのは本当のようだ。
「ちなみに青い
「ほう、酸性ですか」
「例えば、この庭に死体が埋まっていれば腐敗によって土壌が酸性になるでしょうね。
縁起でもないと、私は不謹慎な冗談に苦笑する。この男も四年に一度の事件のことは知っているはずだ。それを承知でこの宿に毎年宿泊しているのはある種の物好き、相当の変わり者なのだろう。
「おや、お気に召しませんでしたか、失礼。ですが、あなたもこの宿に少なからず期待をしているはずだ。何か起きるのではないかと」
男の言葉に私は反論することはできなかった。確かにこの旅館で起きる事件に興味を抱いていたのは事実だが、実際に誰かが死んで欲しいと願っているわけではない。
「前回の事件からもうすぐ四年です。私もこの宿を愛する者だ。今年こそ、何事もなく一年が過ぎて欲しいものです」
「私もそう願います」
言いようのないモヤモヤとした感情を抱えたまま、私たちはその場で別れた。苔むした庭園を抜けて部屋に戻るとちょうど夕食の準備ができていた。飛び込みで入った私には過分なほどのご馳走に舌鼓を打ち、もう一度温泉に入る頃にはあの男との会話で抱いた悪感情はどこかへと消えていた。
その翌日、出立しようとした私の耳に飛び込んできたのは、あの男が部屋の窓から転落死したという連絡だった。
いったい何故彼は死んだのか。自殺も疑われたが遺書もなかったらしい。確かに男は変わり者であったが、昨日、彼と会話をした私には彼に死の予兆など微塵も感じられなかった。
出立を一日留められ、私は警察の事情聴取を受けた。犯人探しと言うよりは、自分を含めた一人での宿泊客に身の回りに何か妙なことは起きていなかっのかという確認に近いものだった。
翌日、四年に一度の変死事件がまた起きたと、新聞やテレビが押し寄せ、この旅館は全国で注目された。果たして何があるのか、この地でかつて発生した合戦の亡霊の仕業、犯罪組織による陰謀とメディアごとに無責任な取り上げ方をしている。
そんな好奇の目が注がれる中、私たち宿泊客は出立の時を迎えた。
「このたびは大変なことになってしまい、誠に申し訳ありませんでした」
「いえ、得難い体験をさせていただいたと思うことにします。それよりもこれからが大変では?」
「いえ、お気になさらないでください。どうせ普段この時期は閑散期。お盆の時期にはほとぼりも冷めてまた客足も戻ってくるはずです」
「そうなのですか?」
「ええ、長期休みもございませんので梅雨の時期の当地は閑古鳥が鳴いているのです。ですがうちは……不謹慎な話ではございますが、事件を期待して泊りに来られる方が年間を通しておられまして。お陰でこうして閑散期でもお客様にご宿泊をいただけているのです」
「それは……あまり喜ぶに喜べないお話ですね」
「はい。ですが、従業員一同でこの旅館を守っていくつもりです」
「頑張ってください」
「ありがとうございました。またのお越しを」
旅館の従業員たちが総出で私たちの出立を見送る。重苦しい空気の旅館を後にした私の胸に、雨上がりの清々しい空気が入った。玄関からバス停まで歩く途中には青天に負けないほどの鮮やかな青い
「庭に死体が埋まっていれば……か」
またしても死人が出てしまった。事件は風化せず、オカルトじみた風評も加わってまた好奇の目が全国から向けられるだろう。そして四年の間、事件に興味を持つ人々が押し寄せる。庭の死体云々もその中で生まれた
「人が途切れない旅館……か」
そう口にして私は恐ろしい仮説を浮かべてしまった。事件が起きれば物好きな人たちばかりとは言え、客は訪れる。閑散期であっても。その結果、宿だけでなく周囲の観光産業にもお金が落ちる。
もしも、昔から続くこの変死事件が怪異の類でなく、人の手による事件だったとしたら――私は肌が泡立つのを感じた。。
「……はは、まさかな」
青
あの人のよさそうな旅館の人々の笑顔を疑ったことを恥じ、私は馬鹿馬鹿しい考えを首を振って払い除けた。
青紫陽花は知っている 結葉 天樹 @fujimiyaitsuki
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