妹が消えた!

中村 天人

絶対行ってはいけない廃墟

「母さん、シエラは?」

「あら? まだ帰ってないわよ。ユーリと一緒なんじゃないの?」


 俺はさっきまで、一つ年下で十歳の妹シエラと、家の裏山で遊んでいた。

 遊び疲れてお腹が空いたシエラは、「先に帰る」と言って山を下ったので、もうとっくに家にいるものだと思っていたのだが。


 まさか。


 昨晩のシエラの様子を思い出し、真夏にもかかわらず背中に寒気が走った。


 ————見てユーリ! 宝の地図見つけちゃった!


 おてんばな妹のシエラは、どこから見つけて来たのか古ぼけて色褪せた地図を持ってきた。

 確認すると、それは裏山の地図。少し山奥に建っている大きな廃墟の場所に、何かがあることを知らせる赤いばつ印がつけられていた。


 冒険の匂いにはしゃぐ俺とシエラを見て近づいてきた母。いつも穏やかで優しい母が顔をしかめ「そこには絶対行っちゃだめ」と言ってきので、きっとあれは見てはいけない地図だったのだろう。

 シエラはしつこく理由を聞いていたが、母はそれ以上口を開くことは無かったので、俺の予想は多分当たりだ。


 シエラの様子に嫌な予感がした俺は、母に心配をかけないよう咄嗟に嘘をついた。


「あ、そうだった。ちょっと迎えに行ってくる」

「もうすぐ日が暮れるから、早く帰ってくるのよ」


 適当に返事をして家を出た俺は、シエラが興味を持っていた廃墟へと走った。


「ここか……」


 長年整備されていない道は草がボーボーに伸びており、背の高い木と、木に生い茂る葉で日光がほとんど届かない。じめじめする生ぬるい風に汗を流し、草をかき分けてたどり着いたのはお城のように大きな建物。

 かなり年数が経っているようで、壁のレンガにはヒビが入ったり、所々崩れて落ちたりしている。にごった窓から見えるのは、はがれて床に散らばっている天井の木材。

 明らかに誰も住んでいる形跡はないのだが、なぜか色あせた木製の玄関が少しだけ開いて風にハタハタ揺れている。


 やっぱり、シエラはここに来たんだ……。


 そう思った俺は、飛び立つ鳥の羽音に驚きつつ、住人のいない廃墟の扉におそるおそる手をかけた。


「ごめんください……誰かいますか? シエラ?」


 そっと中をのぞいて声をかけてみるが、しばらく待っても誰からも返事が無い。それに、目の前の廊下には窓がなく、暗くて中の様子がよく見えない。

 開けた扉から差し込む光だけをたよりに、薄暗い廊下に目を凝らし建物の中をキョロキョロ見てみた。


 ようやく目が慣れてくると、真っすぐ伸びた廊下には三つの入り口があることが分かった。右手に一つ、左手に一つ、そして突き当りに一つ。右手にある入口は扉が無く、代わりに侵入者を拒むような板が乱雑に打ち付けられている。


 視線を戻して前を見ると、何かの足跡があることに気が付いた。足跡は、床の穴を飛び越えて、突き当りの扉の向こうに消えている。


 シエラか?


 薄暗い廃墟に不気味な気配を感じつつも、妹を探すために玄関の扉をさらに開いて入って行った。


 所々朽ちている床を慎重に進むと、気味の悪さを助長する木の軋みが、誰もいない廊下に響く。

 緊張で脈を速めながら、右手にある板が打ち付けられている部屋の前で足を止める。隙間から暗い部屋の中をのぞくと、なにかの棚が見えたが、崩れ落ちた天井が棚の中身を散乱させたようで、とても人が入れる様子ではなかった。


「ここにはいないな」


 人が四つん這いにになっている意味不明な絵を通り過ぎ、左の部屋の前に来る。

 その時、中からピチョンピチョンと水が滴るような音が聞こえてきた。


 ここにシエラがいるのだろうか。


 すでに不法侵入には変わりないのだが、一応ノックをしてみる。


「ひぃっ」


 張りつめる緊張のせいで、自分のノックの音に驚き小さく飛び上がってしまった。


「落ち着け、落ち着け俺。自分の音に驚いてどうするんだ……」


 呼吸の乱れを整えるように、ほこり臭い空気をゆっくり吸い込み、「よし」と覚悟を決めて扉を開けた。


 油の切れた蝶番が不気味な音を立てる。

 わずかに開いた隙間から慎重に中をのぞくと、後ろ向きに置かれた背もたれ付きの椅子が見えた。

 そして、椅子に座る人影。

 暗くてはっきりとは見えないが、二つに縛ったあの髪型は、妹のシエラのものだ。


 やっぱりここにいた。

 中にいたのが妹で安心した俺は、緊張感を緩めてずかずかと中へ入って行った。


「おい、シエラ。もー、びっくりさせるなよ。母さんが心配してるから早く帰るぞ」


 これでこんな所とはおさらばだと、特に何事もおきなかったことに感謝しつつ妹の肩に手を置いた。

 すると、俺の手の重みに耐えかねた妹の体がゆっくり傾き、首がゴロンと背中に折れ、重力に従ってそのまま床に崩れ落ちた。


「ひぃぃぃっ! シエラ! シ……」


 心臓が飛び出しそうなほど強く鼓動し、頭から血の気が引くのを感じた。

 そして、泣きそうな気持で床に倒れた妹の姿を見て、皮膚が布でできていることに気が付く。


「に……人形? 誰がこんな」


 再び、ピチョンピチョンという水の音が、ねっとりと首筋を這うように耳に届き、音の出どころを確かめるために振り向いた。

 部屋の中央にあったのは、人が横たわれるくらいの大きさの台。

 備え付けられた蛇口がきちんと閉められていないようで、水が少しずつ出続けている。


「調理台……? 水が出てるってことは、誰かいたのかな」


 調理台に近づくと、上には大きな長方形の包丁が置かれていた。

 その周りに広がっているのは赤黒い液体。

 血を引きずったような跡をたどって調理台の向こうを見ると、頭を切断された獣の胴体が下に転がっていた。


「なんだ……これは!」


 早くシエラを見つけて出なくては。


 明らかに人がいる。

 しかも、それが残虐な人であることに気が付いた俺は、妹に迫る危険を感じ、すぐに部屋を出て一番奥の扉を目指した。

 崩れ落ちた天井の板と抜け落ちた床を飛び越え、丸いドアノブに飛びつく。

 そして、中を確認せず足を踏み入れようとした時、突然床が無くなり暗闇へ足を吸い込まれそうになった。


「うわっ……か、階段?」


 すんでのところで踏みとどまり、足元を確認すると、地下の暗闇へ消えていく黒い人影が目の端にうつった。

 ただでさえ暗い建物の中、地下へ続く階段の先は全く見えず、人影が誰なのかも、この先に何があるのかも分からない。

 しかし、やはり誰かがいるらしい。


「……シエラか?」


 人影が妹である可能性も捨てきれず声をかけてみたが、やはり返事はない。

 足元が見えないまま進むのは危険すぎるが、あれがシエラじゃないとしたら、シエラが危ない。


 先ほどの血だまりを思い出して妹の身の危険を感じた俺は、すぐに暗闇へと降りていく決心をした。

 そして階段を一歩降りようとした時。


 背後から誰かに肩を叩かれた。


「うわぁぁぁぁっ!」

「ぎゃぁぁぁぁっ!」


 あまりの恐怖に、俺は肩を叩いた主を確認することなく、床の穴を飛び越えて一目散に外へ飛び出した。

 後ろから追ってくる気配に、追い付かれないよう必死で足を動したが、外に出てすぐ震える足が草に引っかかって転んでしまう。


 やばい、殺される!


 死を意識した俺が息をするのも忘れて振り返ると、目の前で髪の毛を二つに縛った女の子が半べそをかいて震えていた。


「シ、シエラ⁉ なにやってるんだよ!」

「それはこっちのセリフだよ! なんでこんなところにいるの?」

「帰ったらシエラがいなかったから、宝探しにでも来たのかと思って心配して迎えに来たんだよ!」

「こんな怖い所、一人で来るわけないじゃん。わたしはてっきり、わたしに内緒でユーリが宝探しに来たのかと思ったよ」

「そんなわけないだろ? 母さんに絶対来るなって言われてるのに」

「理由はもういいからさ、暗くなってきたし、こんな所にいないで続きは帰ってからにしよう!」


 ぷるぷる震えるシエラが必死に訴える。

 怯える妹を前に、やっと息ができるようになった俺が立ち上がり、血が引いて冷たくなている手を差し出した。


「そうだな、誰かいたみたいだし、これ以上何か起きる前に帰ろう」

「ひっ……誰かいたの? って、つめたっ!」


 俺の手を握ったシエラの手も冷たかった。

 きっと、俺と同じくらい怖い思いをしたのだろう。

 そう感じたら、もっとしっかりしなきゃと思えてきたから不思議だ。


「もうこれからは単独行動するのはやめよう。シエラは俺と一緒にいること。いいな?」

「えー、だってユーリ足遅いんだもん」

「なんだと! このっ」

「きゃーっ! あははっ」


 妹を小突きながらいつもよりはや足で帰路につく俺は、この時気が付いていなかった。

 黒い服に身を包んだ片目の男が、獣の頭を持って地下から出て来たことに。

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