廃墟の白い衣装タンス

百舌巌

第1話 カップルの暑い夜

廃墟。


 その屋敷は近所でも有名な廃墟だ。

 廃墟は若者たちを魅了して止まない観光スポットでもある。


 ある夏の蒸し暑い夜。ちょっとしたスリルを楽しもうとやって来た馬鹿ップルがいた。

 無人の廃墟の中を懐中電灯片手に嬌声を上げながら歩き回っていた。


「ねぇ…… 地下への入り口があるよ」


 カップルの女が指差した。


「え? 何回か来たけど初耳だぜ??」


 カップルの男は何回か来た事があるらしい。始めて見る光景に戸惑ったようだ。

 それでも折角来たのだからと、地下への入り口を見つけたカップルは、躊躇する事無く中に踏み込んでいった。

 階上の廃墟と違って、地下の廊下は雰囲気が違っている。埃がうっすらと積もっているが荒らされた気配が無いのだ。


「ここだけ、ちょっと違うね……」


 カップルの女は珍しそうにアチコチ懐中電灯の光を当てる。

 地上階と違って雑多なゴミが散らかっていない異質な感じがする廊下が伸びていた。


「あっ閉まってるドアがある」


 廃墟と言うのは多分に漏れず、壁に穴が開いていたり、扉が破壊されていたりするものだ。

 ところが、地下にあった廊下にポツンと扉が閉まっている箇所があったのだ。


 その珍しさにカップルの女が扉の取っ手に手を掛けた。


「……やめときなよ」


 廊下の暗い影から男の声がした。


「ひぃっ!」

「ひぇっ!」


 誰も居ないと思っていた廃墟の中から、いきなり声をかけられたカップルは情けない声を出してしまった。


「……」


 カップルの男は懐中電灯を声がした方に向ける。すると、浮浪者然とした男がフラフラと立ち上がってやって来た。


「あんだとぉくぉらぁぁぁ、◎w×qq*っ三ッ!!」


 相手が薄汚い浮浪者だと分かった途端。カップルの男の方はやたらと大声を出して威嚇してきた。最後の方が日本語に成って居ない所を聞くと、余程怖かったのだろう。


「開けるなといってるんじゃないよ。 辞めて置いた方が良いよと言ってるのさ」


 浮浪者は酔っているのか赤ら顔で言った。見ると浮浪者の居た周りには、殻の焼酎のケースが転がっている。


「っざけんな、くらぁーっ ぶちころすっぞぉ」


 カップルの男は益々激昂して浮浪者の胸ぐらを掴んで揺さぶり始めた。女は腕を組んでニヤニヤしながら見ている。

 そして扉にもたれ掛かろうとして、ちょっとだけ背中を預けた。


ギイィッ


「きゃっ!」


 扉には鍵が掛かって居なかったらしく、女の体重で部屋のドアを開けてしまったのだ。


「何やってんだよ。 だっせぇなあ」


 カップルの男は浮浪者の襟首を掴んだまま、笑いながら女の方を見た。

 女は室内と廊下の境目あたりに尻餅をついた格好だ。


「開けちゃったのか…… でも、部屋の中は見ちゃ駄目だよ」


 また浮浪者はぽつりと呟いた。


「あんだよ、おめぇはさっきからうっぜぇなああ。 ぶん殴るぞっ!」


 カップルの男は右手を拳にして浮浪者を威嚇している。


 だが、浮浪者の呟きを聞いたカップルの女は恐る恐る後ろを振り返ってしまった。

 室内は十二畳程の広さで何も無かった。踏み荒らされたような様子もなく。板張りの床には薄っすらと埃が積もっている。


 見ると部屋の正面には、場違いな程ピカピカに磨かれている、白い衣装タンスがあった。


「白いタンスしか無いよ?」


 人は見るなと言われると確かめずには居られないようだ。女は男に報告していた。

 女の話を聞いた男は部屋の中を見た。


「何ともねぇじゃねぇかあ!」


 カップルの男は声を発する度に大声を出す。怖いと言っているようなものだ。


「あれっ?」


 カップルの女は立ち上がり、両手を抱える様にしてブルッと身体が震えさせた。

 風も無いのに廊下の温度が急に下がったのが分かったらしい。


キィッ……


 その時、何かの軋む音が聞こえた。その僅かな音は場を静まらせるのに十二分だった


「ああ…… 間に合わなかったか……」


 浮浪者は男に胸倉を掴まれたままに、首を回してドアの方を見据えていた。


「え?」

「え?」


 カップルは同時に返事をした。そして、同時にドアに視線を向けた。

 だが、そこで凍り付いてしまった。振り返ると半開きだったはずのドアが開いているのだ。それも全開になっている。


キィィィィ……


 軋む音の正体は奥に設置されてあった真新しそうな白い衣装タンスだ。

 見ると白い衣装タンスの扉が徐々に開いて来ているのだ。


「…………」

「やばくね?」


 カップルの男は一言漏らした。


「ねぇ絶対、やばいって…… 逃げようよ……」


 カップルの女は泣き声になりつつあった。


ズッ……


 最初に出てきたのは手だ。


「やめときなよ……」


 浮浪者は再び口を開いた。


「え? どうして??」


 カップルの男は白い衣装タンスから目を離さずに尋ねた。


「君たちがアレを起こしたからさ」


 浮浪者も白い衣装タンスから目を離さずに言い返した。


ギシッ……


 這い出て来ているモノは、髪の毛が長く太めの胴体に、細い二本の腕が申し訳程度に付いているモノだ。しかし、その細い腕で這い出て来ているのだ。


「お、俺がぶちのめしてやる」


 パニック状態になってしまったのかカップルの男が口走った。


「……やめときなよ」


 浮浪者は再び口を開いた。


「アレは見えているけど、実際には触れる事すら出来ないんだ」


 白いモノは衣装タンスから完全に出て居て床に這いつくばっている。そして、部屋の中ら廊下の方に顔を向けた。


 白粉を塗ったように真っ白な顔の中に、何も無い黒い眼窩があるのが分かる。

 鼻はもげているのか黒い穴が二つ空いているだけだ。

 歯の無い口腔を開けてニチャと音を立てた。


ズザザザッ!


 その白いモノは、身体の特長にも関わらずに俊敏に動いて部屋の入り口にやって来た。

 ところが床には動いた跡が残っていない。


ズ、ズズズッ……


 そしてカップルの女の足元に辿り着いた白いモノは、ゆっくりと獲物を探す様に動いている。


「は、走って逃げてもダメなのか?」


 カップルの男はもう腰が引けてしまっている。


「……やめときなよ」


 浮浪者は再び口を開いた。


「動いちゃ駄目だよ…… あれは君たちに惹かれて出て来るんだからさ」


 その白いモノはゆっくりとカップルの男に近づいてくる。


「ど、どう…… なるの?」


 カップルの女はすっかり涙声になっていた。


「動いちゃ駄目だよ。 アレは目が見えないし耳も聞こえない」


 浮浪者は白いモノから目を離さずに言った。


「だけど、人が動くとその気配を追いかけて来る。 一旦、覚えた奴の気配は決して見失う事は無いんだ」 


 浮浪者はそう呟いた。

 白いモノは足が無いにも関わらず立ち上がって来た。高さは一メートル五十センチ位だろうか。


 辺りの気配を伺うかのように顔を振り回している。

 ひとしきり気配を伺うと、また腹這いになって動き出した。


ズ、ズズズッ……


 白いモノはカップルの男の足の間を這いずり回っている。

 カップルの男は片手で口を抑えつけている。今にも絶叫しそうなのだろう。


 それでも浮浪者を掴んでいる方の手は離さなかった。

 手が震えているところを見ると恐怖のあまり離せないのだろう。


ズ、ズズズッ……


 白いモノは再びカップルの女の足の間を這いずっていった。

 カップルの女は耳を塞いで目を瞑っていた。震えているのが見て取れる。


 白いモノは頭を持ち上げて自分の周りの気配を確かめるような動作をしていた。


ズ、ズズズッ……


 しかし、何も気配を感じる事が出来なかったのか、或は興味を引く物が無かったのか。

 それとも諦めたのか。

 白いモノは衣装タンスの方に向かい始めていた。

 カップルも浮浪者も身動き出来ずに、その様子を眺めていた。


ズズズッ…… ギィッ…… パタン


 白いモノは衣装タンスによじ登り、タンスの中に戻って行った。

 後には静けさだけが残った。

 やがて寒くなっていた廊下に、夏の暑さが戻ってきた。


「もう、大丈夫。 扉を閉めてさっさと行きな」


 その様子を見ていた浮浪者は、男の手を解き座り込もうとした。


「…… み、見た感じ早く無さそうだし、俺なら余裕で逃げ切れたね」


 カップルの男は、まだ虚栄を張ろうとしていた。カップルの女にさっきの無様な姿を見られたのが恥ずかしかったのだろう。

 笑おうとしているが顔が引きつっている。


「日本中を逃げ回っても駄目だったよ。 アレは気配を覚えた人間に取り付いて、相手の中に入り込んで乗っ取るんだ」


 浮浪者は自嘲気味に笑っていた。カップルはお互いに顔を見合わせた。


「ひょっとして知ってる人なんですか?」


 カップルの女の方が聞いて来た。



「ああ、あれは…… 俺の恋人だったんだ」






*他にも拙作がございます

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