水脈
葉月りり
第1話
ちょっと昔のお話です。平成を飛び越えた昭和、私は小学生でした。私の家は両親と祖母、高校生の兄、姉、そして私、良く喋る明るい家族です。
広い田んぼの中にまるで島のように高い丘が点在し、その丘の一つに私達の住む部落がありました。妙見様を囲んで18軒の小さな部落で、みな農家でした。
部落のお父さん達は大抵会社にもお勤めしていてうちの父も土建屋さんに勤めていました。なので、普段田んぼや畑をやっているのは祖母と母で、私も畑仕事は嫌いじゃなく、時々手伝っていました。
丘には豊かな水脈があって、それぞれの家が井戸を持ち、丘の下に湧く泉は「おみたらし」と呼ばれ、みんなに大事にされていました。その水脈のおかげで、有名ブランドではないけれど美味しいお米の獲れる村でした。
最初に異変に気づいたのはばあちゃんだった。ある日の夕飯時、ばあちゃんが
「なんが今日のメシ、うまぐねぇな」
と、言い出した。
「なんだ婆様、今頃んなって嫁いびりか。」
父ちゃんが冗談めかして言った。母ちゃんも笑いながら
「オラ、なんか味付け間違えたべか」
ばあちゃんも笑って
「いや、この米がなんか違くねえか」
みんなはいつもと変わらないと言ったけど、わたしはハッとした。
「今日、お米研いだの私だ。研ぎ足らなかったのかも」
「それだ。ばあちゃんすげー味覚!」
兄ちゃんもお姉ちゃんも笑ってて、この時まではいつもの楽しい食卓だった。
ばあちゃんは次の日もなんか米が美味しくないと言っていた。私はお母ちゃんよりも水替えを多くして丁寧にお米を研いだりした。でも、その次の日も、そのまた次の日も、そして段々食べる量が減って来て、とうとう食べたくないと言い出した。
これはどこか悪いのかもと父ちゃんとお母ちゃんとでばあちゃんに話を聞いたら、最近夢見が悪くてよく眠れないのだと言う。
「あのよー。オラの死んだ兄貴が夢に出て来て、重いー、重いー、って苦しんでんだあ。その夢を何回も見るで寝らんなくなるだよ」
眠れなければ体調も悪くなるし、食欲も無くなるのは当たり前だ。なんでそんな夢を見てしまうのかわからないけど、場合によっては病院で眠れる薬を貰おうと、父ちゃんたちはばあちゃんに言い聞かせた。
「だけど、その前にお墓参りじゃね」
兄ちゃんが言うとそれもそうかと父ちゃんは明日、ばあちゃんをお墓参りに連れて行くことにした。もちろん私もついて行く。
ばあちゃんの実家のお墓は川向こうで、車で行けばすぐだ。それでもなかなか行くことは無い。
まだ土葬だった頃からあるお墓はとても広い。植木に囲まれた墓地には古いお墓と新しいお墓が混ざっている。久しぶりのお墓、行ってみてみんなびっくりした。
お墓の前の道路が広げられて舗装されていた。そして、そのアスファルトがお墓に流れ込んでいて、囲ってある植木が何本か枯れていた。アスファルトはちょうどばあちゃんのお兄さんのお墓の前で止まっていた。ばあちゃんはお墓を見て泣き出してしまった。重いのはこのアスファルトのせいだったんだとみんな思った。
父ちゃんはすぐにばあちゃんの実家に連絡して道路業者に話をつけに行った。業者は平謝りですぐにアスファルトを取り除いて、植木を直して、お坊様まで呼んでお経を上げてくれた。これでばあちゃんはよく眠れるはず。
それにしても、ばあちゃんはすごい。これって霊感ってやつだ。父ちゃんが学校で言いふらすなよって言うから黙ってるけど、うちのばあちゃんはすごい。
だけど、ばあちゃんの食欲は戻らなかった。お汁も美味しくない。お茶も美味しくない。夜もやっぱり眠れない。そして今度は夜、布団に入ると縁の下から「おもーい、おもーい」とか「おおーい、おおーい」と聞こえてくると言う。父ちゃんはすぐに縁の下を調べたけど、何もない。
「婆様、ボケちゃったんじゃねーか」
「まさか、まだ70前だど」
他の60代のばあちゃんたちは見た目結構な年寄りだったけど、うちのばあちゃんは腰も背中もピンとしてて、歩くのも早いし、畑仕事はお母ちゃんより手早かった。ボケるわけない。
これはどこの病院に連れていったらいいかと父ちゃんとお母ちゃんは悩んでいて、私たちはどうしたらばあちゃんは食べられるようになるだろうと、ばあちゃんのことを見ていた。そんな夕食時、
「なんかメシ、美味ぐねえな」
ばあちゃんだけじゃなくて父ちゃんもお母ちゃんも美味しくないと言い出した。次の日には私も大好きなカルピスが美味しくなくなって、兄ちゃんとお姉ちゃんもコーヒーが不味いって言う。
次の日の朝、お母ちゃんが蛇口を捻ったらいきなり赤茶色の水が出てきた。昨日までは透明だったのにいきなりだ。
「水だったか。これは赤錆かな。ポンプ、古いからな。そのせいかもわかんね。だけど部落長さは言わねと」
霊感があって味覚が鋭くて、やっぱりうちのばあちゃんはすごい。私はそれが嬉しくて、水が使えない大変さを想像できていなかった。
部落では毎年の水質検査を時期を早めてやってくれた。うち以外の井戸は何も問題なく、これはやはりポンプか井戸の汚れか、うちだけの問題だということになった。
井戸は母家の西にあって、ばあちゃんの部屋は母屋の北西の角にある。ばあちゃんが聞こえると言う縁の下からの声も、ポンプがそんなような音を出しているのかもしれないなと、父ちゃんはポンプの交換と思い切って井戸の掃除もすることにした。
うちの井戸はポンプどころか井戸も古い。友達の家の井戸は30cm四方くらいの箱の中にポンプが入っているだけなのに、うちの井戸は直径1mくらいのコンクリートの筒だ。流石に石積みじゃないけど、手漕ぎのポンプがついている。父ちゃんの子供の頃に電動のポンプをつけて家の中に水道を通したけど、井戸がいつからあるのかは父ちゃんも、ばあちゃんも知らないと言った。
井戸工事の業者が来るのに3日程かかると言われ、私たちはいろいろ周りに助けてもらわなくてはならなくなった。
飲水はお隣からタンクで貰って、風呂は兄ちゃんとお姉ちゃんはお友達のお家で貰って、私とばあちゃんと父ちゃん、お母ちゃんはばあちゃんの実家にお世話になることにした。
そうなるとうちの事情は水質検査のこともあって、村中に知れ渡ることになった。部落内の人達は気を遣ってくれたけど、あまり良く知らない人たちは、痩せてしまったばあちゃんを見て、祟られてるとか言う人もいた。大人がそんな調子だから、学校ではみんな面白がって私に有る事無い事言ってきた。
あの井戸はあの辺で1番水が良く出たから、鶏や豚をしめるときは部落のみんながあそこに持ち込んで大量の血が流れたとか。
日照りで部落中の井戸が涸れてしまった時、あの井戸だけは涌いていて、なのにみんなに水を分けなかったとか。
しまいには川向こうの小学校に行方不明の女の子がいて、誘拐されてあの井戸に投げ込まれたんじゃないかなんて。
私は業者さんの来るまでの3日間、泣いてばかりいた。学校に行くのも嫌になって、業者さんが来る4日目には学校を休んでしまった。みんなの言うことは全部ウソだとは思っていたけど、井戸の真相が明かされる場に私は居たかった。
業者さんは朝早く来て手早く滑車を組み、同時に大きなポンプで井戸の水を吸い上げ始めた。井戸の水が大体抜けたからと業者さんの一人が下へ降りようという頃には、いろんな人がうちの庭に集まってきた。みんな本当に井戸に何か入っているとか思っているのかな。
命綱をつけ、ブランコのようなものに乗って、業者さんは井戸の中に消えていった。しばらくすると、カシャ、カシャと写真を撮る音がした。そして、上に上がってきた業者さんは興奮した様子で
「すごいですよ。井戸の壁が崩れて大きな穴になってます。もしかしたら母屋の土台の下まで行ってるかもしれない」
父ちゃんは
「俺にも見せてくれ」
と言った。
「大丈夫だ。仕事でこれくらいの穴に入ることもあるし、高い所で作業することもやってる」
父ちゃんは土建屋の名前の入ったヘッドランプ付きのヘルメットを持ってきて被り、命綱をつけてもらって、ブランコに乗り込んだ。父ちゃんはゆっくり井戸に消えていった。私は怖くなってお母ちゃんにしがみついた。
「なんだこら! すげーなおい!」
父ちゃんの声がエコーがかかって聞こえてきた。
上がってきた父ちゃんは業者さんと同じように興奮してて
「すげーぞ。まるで地底湖だ。なんか有難いような畏れ多いような気分になるぞ。婆様が聞いていたのは、周りが崩れて水が動く音だったのかも知んね」
取り巻いていた近所の人たちがざわついた。
崩れた穴はばあちゃんの部屋の下にまで及んでいて、このままでは危険だと言うことになった。父ちゃんは
「金がかかるけどいい機会だ、新しい井戸掘るべ」
と、業者さんと早速打ち合わせに入った。
次の日、学校に行くとうちの井戸の話で持ちきりだった。うちの古井戸が「おみたらし」に繋がっていたとか、うちの下に妙見様が身を清める湖があるとか、誰がそんな話作るんだろう。私は違うともそうだとも言わず、ただ井戸は閉じたとだけ言った。
古い井戸は埋められ、今度は東側に新しい井戸が出来上がった。そして古い井戸の跡には小さな祠が建てられた。ばあちゃんは実家のお墓の異変を教えてくれたからと毎日祠に手を合わせている。
新しい井戸とポンプはみんなの家と同じ30cm四方の箱の中。快調に水を上げてくれる。美味しい水がまたうちの台所にやってきた。ばあちゃんはまたご飯をモリモリ食べるようになって前より少し太ったぐらいだ。
きれいな水ときれいな田んぼ、楽しい家族に美味しいご飯、幸せな子供時代のお話でした。
おわり
水脈 葉月りり @tennenkobo
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