捕獲
烏目浩輔
捕獲
なぜかサトシは
色や形がグロテスクな蜘蛛は、嫌悪されることも多い虫だ。他の虫は平気でも蜘蛛だけは苦手ということもままある。だが、サトシはそんな蜘蛛に魅力を感じる。カラフルな蜘蛛はとても綺麗だし、小さな蜘蛛には可愛らしさがある。巣の複雑な模様も芸術品みたいで格好いい。
サトシの家から徒歩五分のところに雑木林がある。鬱蒼としたその雑木林は虫の宝庫で、蜘蛛も例外なくたくさん棲んでいる。小学一年生のときからちょくちょくそこに足を運んでいたが、五年生になった今でも蜘蛛を目当てに散策することがある。
夏休み中の今日もその雑木林をブラブラと歩きまわっていた。
もうすぐ午後五時になるという頃だった。そろそろ家に帰ろうかと考えていたときに、視界の端っこに白いものがチラついた。
見れば、真っ白な蜘蛛がいた。巣を張らない種類なのか、樹の幹に張りついている。大きさは手の平よりひとまわり小さく、全身が短い体毛に覆われているようだ。
(うわ、白い蜘蛛……すげぇ……)
サトシは興奮した。真っ白な蜘蛛なんて今まで一度も見たことがない。はじめて目にした蜘蛛だ。捕まえて家に持って帰りたい。足音を忍ばせてそっと蜘蛛に近づいていった。
(逃げるなよ……)
そろそろと手を伸ばしていくと、蜘蛛は意外と簡単に捕まった。
「やった。捕まえた!」
人差し指と親指で摘んだ蜘蛛の胴体は、見た目の印象よりゴワゴワとしていた。珍しい蜘蛛を捕まえたサトシは喜び勇んで家に帰った。
サトシの自室である子供部屋は二階にある。階段をかけあがって飛びこむようにして部屋に入り、蜘蛛を摘んでいないほうの手でクローゼットの扉を開けた。去年の夏に買った黄緑色の虫カゴがすぐに見つかった。
サトシは虫カゴを勉強机の上に置いて中に蜘蛛を入れようとした。だが、蜘蛛が大きくて、虫カゴの口につっかえる。手間取っていると、手の甲がチクっとした。
「いてっ」
蜘蛛に噛まれたのだ。
反射的に蜘蛛を離して手を引っ込めてしまったが、幸いにも蜘蛛はうまい具合にカゴの中に落ちた。蓋をしてから手の甲を確かめると、別になんともなっていなかった。痛みももう感じない。
サトシは虫カゴの外から蜘蛛をまじまじと観察した。真っ白な蜘蛛なんて本当に珍しい。その奇異な色のせいなのか、神聖な生き物のように思えた。
翌朝――。
ベッドで目を覚ましたサトシは、すぐに蜘蛛を観察したくなった。昨日もさんざん眺めたおしたのだが、それでは全然足りなかった。勉強机の上にある虫カゴに目をやる。そこでサトシはギョッとした。真っ白な蜘蛛が虫カゴの外にくっついている。
寝ているあいだに蓋が開いて蜘蛛が逃げだしてしまったのだろうか。だが、よく見ればそうでかなかった。昨日捕まえた蜘蛛は虫カゴの中にいる。外にいるのは別の蜘蛛だ。
(二匹もいるじゃん!)
サトシはドキドキしながら、蜘蛛にそっと近づいていく。二匹目の蜘蛛も簡単に捕まえることができた。大人しい性格の蜘蛛なのかもしれない。
「よし!」
片手でガッツポーズをしたサトシは、捕まえた蜘蛛を虫カゴの中に入れようとした。すると、手の甲がプチッと赤くなっている。蚊に刺された跡のようにも見えるが、昨日蜘蛛に噛まれた箇所に違いなかった。どうやら、この真っ白な蜘蛛は毒を持つ種類らしい。
しかし、蜘蛛が好きなサトシは毒蜘蛛くらい平気だった。人の命を脅かさすような毒蜘蛛であればさすがに怖いが、皮膚を少し腫らす程度の毒蜘蛛であればなんてことはない。前にもそういう蜘蛛を捕まえたことがあるが特に問題はなかった。今後は噛まれないように注意すればいいだけだ。仮に噛まれたとしても軽微の毒しかなければ、放っておいてもそのうち勝手に治る。
虫カゴの中におさまった二匹の蜘蛛は、寄り添い合うようにしてじっとしていた。それをしばらく見ていたサトシは、きっと二匹はツガイなんだろうと思った。一匹が捕まってしまったために、もう一匹が助けるためにここまでやってきた。
きっと、この蜘蛛たちは今までこうやって寄り添い合って生きてきたに違いない。その小さな生活をサトシが壊してしまったのかもしれない。そう考えると、二匹をこのままカゴの中に閉じこめておくのは、ひどく残酷なことのように感じてきた。
(逃がしてやろう……)
サトシは蜘蛛を見ながらそう思った。
ささっと朝食を済ませたサトシは、Tシャツとハーフパンツに着替えて、蜘蛛が入った虫カゴを手にして家を出た。行き先は白い蜘蛛を捕まえたあの雑木林だ。
しばらくして雑木林に着いたサトシは、鬱蒼とした奥にわけ入り、蜘蛛を見つけた昨日の場所に向かった。周囲は同じような樹々ばかりで景色にほとんど変化はない。だが、何度も足を運んだ場所だとなんとなく位置がわかる。
(このあたりかな……)
サトシは虫カゴから蜘蛛を一匹ずつ取りだして、樹の幹にくっつけてやった。なぜか蜘蛛たちはその場から動こうとしない。ありがとう――蜘蛛たちがそう言っているような気がした。
「もう、捕まるなよ……」
名残惜しいが、サトシはそう呟いて踵を返そうとした。そのとき、ふくらはぎのあたりがチクッとした。見ればハーフパンツから覗く素足に、真っ白な蜘蛛がくっついている。しかも、三匹も――。
え……、と思ったのと同時にまたチクッとした。
「いてッ」
蜘蛛に噛まれたのだ。慌てて足を振って蜘蛛を払いのけたのだが、今度は腹部がチクッとする。まさかと思ってTシャツをめくると、腹部にも数匹の蜘蛛が張りついていた。
さらに、背中もチクッとした。背中は視認できないが、きっと蜘蛛の仕業だ。
チク、チク、チク。
連続で腹部や背中に刺すような痛みを感じた。サトシはTシャツを脱いで、腹部の蜘蛛を払い落とし、背中は脱いだTシャツで叩いた。
チク、チク、チク。
また足に痛みを感じた。さっき払いのけたばかりだというのに、もう足に数匹の蜘蛛が張りついている。それを慌てて払いのけたとき、再び腹部や背中に痛みがある。
チク、チク、チク。
見れば、あたり一面に真っ白な蜘蛛がいた。そして、払っても払ってもサトシの身体に無数の蜘蛛が這いあがってきた。その
全身のあちこちが痛い。
チク、チク、チク。
サトシはここでようやく気がついた。ツガイの蜘蛛を逃がしてやっていいことした気分になっていた。だが、もともとはサトシが蜘蛛を捕まえて家に持ち帰ったのだ。
蜘蛛からしてみればサトシは敵以外のなにものでもない。サトシはサトシを敵とみなしている蜘蛛の棲む領域に進入してしまった。今度はサトシが捕獲される番だ。
チク、チク、チク。
サトシはあちこちの痛みに耐えながら、必死になって逃げだそうとした。だが、いくらも進まないうちに、足がからまって倒れてしまった。なぜか手足が痺れてうまく動かせなかった。頭はひどくぼんやりしている。
チク、チク、チク。
真っ白な蜘蛛が持つ毒は皮膚が少し腫れる程度の軽いものだ。しかし、全身を何箇所も噛まれると、軽い毒でも重篤な症状が表れる。
チク、チク、チク。
だんだん目がかすんできた。
息がしづらい。
チク、チク……。
チク……。
……
捕獲 烏目浩輔 @WATERES
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