追憶、「351自動銃」、遠い日の裏切り(前編)
建物のほとんどが圧潰し、人々のさんざめく声も犬の鳴き声も遠く過去へと消え去った廃村。私は今、その中央を突っ切る草むした通りの中心で、頬に汗が伝うのを感じながら小銃を構えている。照準の向こうの誰かも、同じくこちらへ銃口を向けている。
震える人差し指を引き金から外さないようにしながら、私はその人物を観察する。まず、
何呼吸もする間、そうしたことに思いをめぐらせているうち、彼女はふいに銃を下ろし、細身の体をマントに浮かび上がらせ、背を向けて去っていった。私も、深く息を吐いて、照準を外す。相手が危害を与えなければ、自分も危害を加えない。ただ黙って、お互い離れる。それが誰が決めたのかもわからない、自分も誰から教えられたのか覚えていないような、放浪者のルールなのだ。
私は放浪者どうしの、そんな無言の出会いと別れを、これまでに何回も経験している。だから一人ひとり覚えているようなことはほとんどない。今回の彼女も、すれ違ってきた経験のうちの一つになるだろう。もし仮に覚える鍵となるとしたら長い黒髪と、その持っていた、突き出た弾倉を持った銃……名前も覚えている。確か、「351自動銃」とか呼んだだろうか。
そして、それを持った女と、私はかつて一度だけ会ったことがある。
それはかなり前のこと。私はその頃、この湿った土地とは大きく違う、砂漠地帯を放浪していた。砂嵐が吹き荒れ、時には数日、十数日と止むことがないような厳しい土地。水がどんな物資よりも貴重で、水で弾薬を買うことが出来たこともあった。どの街にも真水の取引所があり、一日ごとにその価格が乱高下したりした。大きな貯水槽は富の象徴で、真水の取引で一財産作った者も見かけた。二番目に貴重な物資は? もちろん人間。だがこれは奴隷という意味じゃない。もっと正確には、銃を扱える人間だ。真水を狙う襲撃者も、それを守りたい商人も、一挺でも多く銃を求めていたのだ。勢力同士の闘いの理由も、たいていは水絡みのものばかりだった。
そんなわけで私は、ときには隊商の護衛をやったり、またあるいは貯水槽や井戸の警備に銃を握ったりしながら、まあ流石に襲撃者に味方することはなかったのだが、錆びついたボロボロの、部品が十個ぐらいはなくなっていたバイクで東に向かっていた。『さっさとこんなところは通り過ぎてしまいたい』と、内心考えながら。どこまで行っても赤茶けた、毎日進めど進めど、ほとんど変わらない景色。ここまで何も起こらないと、そう考えてしまうのも仕方のないことだろう。せめて、誰かと突然の出会いなどがあったら――ただし襲撃者以外。
ところがある日、そんな道すがら。道はおそらく
「誰か助けて!」
突然、エンジンの爆音に混じって、かすかにそうやって誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。声の調子からして、きっと自分と同じ性別の人間だろう。
現在の私だったら関わりになるのもゴメンだ、巻き添え食らっちゃ困るとばかりに通り過ぎるのだろうが、当時はまだ人間味、つまり恥じらいとか、丁寧さとか、なにより誰かに手を差し伸べる優しさとか、そういったものがあった。流砂にはまったのか、とバイクのエンジンをふと止め、右足で突っ張りながら、荒涼とした大地の風の音に、また耳を凝らす。
「助けてー!」
耳をすまして、どこから聞こえてくるのかを探る。かなり向こうの、岩陰だ。私はバイクのエンジンを掛け直し、なだらかな坂を駆け上って、その夕焼けのような色をした岩の方へと鉄馬を走らせる。いつもは何回もペダルを蹴ったり、押したりしてようやくかかるこのエンジンだが、このときは一発でかかった。土埃を巻き上げながら、硬い不毛の土地を走り抜ける。大きなイモを地中につける植物やサボテンが、その風に煽られて揺れる。小石が跳ね飛ばされて車体や自分の顔にぶつかるが、気にならない。そういえば急いでいてゴーグルをつけるのも忘れてしまった。
「助けてください、あの、く、車が、取られちゃったんです、レイダーとかいう……とにかく怖い人達に。取り返すのを手伝ってくれませんか」
とんでもない手助けの内容にも仰天したが、それ以上に絶句したのは、声の主の出で立ちだった。到底荒野には合わないような、白い肩から足元までを覆うワンピースに、肩にかけた黒い毛皮。そんな格好では砂漠であろうと、廃墟であろうと、一日たりとも生き延びることが出来ないだろう。武器を何も帯びず、水もまた食料も、持っていないのだから。自由のまま死ぬか、自由を奪われても生き永らえるか。因みに奴隷商人の護衛をやった経験からすると、死んだほうがまだ良さそうだとも思える。
「私は銃も撃ったことがないし、砂漠で生き残る方法も知らないしで……でも色々あって放り出されたんです。手助けしてもらえますか」
なおもその女、いや少女はそうやって私に懇願する。私は呆然と立ち尽くす。黙って立ち去ったほうがいいのか、それとも、丁重に断りの言葉をかけた方がいいのか。例えば砂にハマっただとかなら、まだ自分の手に足りる。ただ、襲撃者を一掃して、車を奪い返せとなると……
「無理だ」
と、残念ながら断らざるを得ない、というわけだ。だいたい何も報酬無しでそんな大仕事をやるほど、流石に当時の自分もお人好しではなかった(今はなおさらだろう。多分スタックやエンストでも助けない)。
そして私は、肩を落としながら岩山を降り始めた。
「助けてくれたのなら……車でどこへでも連れて行きますので……」
私は振り返った。気がつけば目も大きく見開かれていた。
(後編に続く)
【短編集】終末憧憬 下松回応(しもまつ・かいおう) @kaiou_gumi
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