終末麺慕情、あるいは心のささくれ

 少し前、放棄された町を通り過ぎた時だった。私はあの「大災害」より前から動いている、不思議なものを見つけて持ち帰った。それは朝が過ぎ、夜が過ぎると一枚ずつ、パタリ……パタリ……とカードがめくられていく器械だった。以前詳しい古老に教えてもらったところだと昔の人々が「ヒズケ」というものを知るために使ったのだと言う。私にとっては、季節の移ろいも自然の色や肌感覚でわかるし、そのヒズケというものが重要だとはあまり思わないが、何故かそれを作業中に自分の横に置いておくと気持ちが落ち着く。多分、昔の人々の名残が、自分の心の中にも流れているんだと思う。

 今、その器械は今日が「11/12」だと私に教えてくれる。焚き火なしでは、そろそろ体が凍ってしまうような感覚がする時期だ。


 月が煌々と、ずいぶんと内陸深くはいり込んだ入江にその姿を映し、驚いた海の変異生物クリーチャーたちが天に向かって吠えるころ。私は焚き火のそばにいつも通りしつらえた野営地で、長距離用に使っているライフル弾の選り分け作業を進めていた。普段ならそんなにバカスカ撃つものじゃない。襲撃者レイダーどもや怪物のすみかを避ければ、あるいは仕事を請けなければ、1発も撃たなくていい日がほとんどだ。だけれども今は違う。冬に備えて、少しでも多くの肉を集めなければならないというわけだ。

 猟というものは手間がかかる。また撃つたびにハンドルを動かす方式のこの銃―名前はおぼろげにSMLEとかいったかと覚えている―は、少なからず弾薬も消費する。だが残念なことに、ちょっとした村や町にある武器商、あるいは手詰屋が作る弾薬は、そんなに質がいいとは言えない。なんだかの金属でできている薬莢にヒビが入っていたらそれこそ大事だ。薬室の中で破裂して、こちらの頭が吹き飛ばされてしまうことにもなりかねない。

 

「足りないかぁ……」

 私はそうやってため息をつくしかなかった。残念なことに、薬莢が錆びてもヒビが入ってもおらず、安心して使える弾薬は50発中12発。どの銃も「大崩壊」前のものを使い続けているとはいえ、SMLE小銃に使う弾薬はこうして特別、ハズレのものが多いように感じる。

 猟のシーズンが終わったら、冬の間にこの銃の薬室と銃身を、せめてもうちょっとハズレの少ない弾薬を使えるように改造してもらおうか。私はずいぶんと薄くなった毛入りの寝袋の中で、そんな事をぼんやりと考える。薬莢は使ううちに当然古くなっていく。中で火薬が燃えるのだから。この銃が「大崩壊」前から既に旧式だったとするなら、それもやむを得ないことだろう。改造費用が高過ぎるようなら、いっそ同じ弾薬を使うもう少しマシなライフルに持ち替えるのも悪くはないだろう。その時に、手詰めの器械も導入する?いやあれは机か何かを持っていないと……。

 そんな事を考えているうちに、徐々に意識が遠のいていく。夜に眠くなって無防備になるというのは、まこと不都合だが、甘美なことだ。


 翌朝は補充の弾薬を手に入れるため、近くの初めて来る町に出かけた。昨日は結局空腹のまま寝てしまったせいで、馬に揺られる私は右へフラフラ、左へフラフラ。落ちないのが奇跡で、鎧に足を突っ張ってなんとか耐えている状態だ。

 道の途中に、家といえばいいのだろうか、むしろとても住めそうにはないので『小屋に似た建物』としておこう、そんな感じの金属や木の廃材、流木を集めた建物があった。道路に面した部分には壁が一切なく、中の様子がよく見える。中では大きなふにゃふにゃした丸っこい帽子を被った、こざっぱりとした髭の男が何か作業している。何かを茹でている、あるいは蒸している湯気と、独特な、何か食べ物ということは分かるのだが、これまでに嗅いだことのなさそうなにおいを伴った湯気が交叉し、驚くほど自然に空腹の私を惹きつける。


 気が付けば私は、その建物の前に並べられた席に着いていた。右隣は年老いた、ハットを被った、装具の様子からするに傭兵と思しき男。かと思えば左は若い、頭の中心にある赤毛以外を全て剃った襲撃者レイダーと思しき若者。荒野では敵対関係にあるのが普通の2人だ、明日には右の男が左の男を撃ち殺していないとも言い切れない。しかし、今は黙って両者とも、金属の皿に盛られた細長い食べ物を片方は匙で、そしてもう片方は5本の指を広げてつまんだ2本の木の棒で、次々と口に運ぶ。特に木の棒で食べている襲撃者の方は、荒々しい見た目に似合わずずいぶんと器用にひょい、ひょいと、手元の卓に1本も落とすことなく、ていねいに口に運ぶ。私はそれにずいぶんと興味を惹かれたが、真似出来そうな自信はまるでない。


「食わないんなら帰んな」

 この店の主人が、ぶっきらぼうに一瞥もくれず私に声をかけた。つい、男たちが食べる姿を眺めるのに夢中になりすぎたらしい。私はひっくり返った声で、どもりながら、同じものをください、と言うしかなかった。これじゃまるで、怖がりの小娘のような反応じゃないか。恥ずかしいなんて感情を最後に持ったのはどれほど前だろうか。私は目を伏せるが、同時に荒野でささくれ立った心が少し元の姿を取り戻した、ようにも感じる。要は、自分にもまだ少しの羞恥心があったのか、というところだ。

 そうしている間にも、この店の主人は私の分の料理を用意していく。まず彼は、店の片隅に山盛りにしてある、粘土のような物体から3握りほどを掴んで、これもまた流木で出来た、ちょうど手詰屋が弾薬のハンドロードに使う器械によく似た道具の中に放り込み、体重をかけてレバーを押す。すると、細長い形にその物体が作り変えられていく。これを今度は、湯気の上がる木でできた箱の中に入れ、しばらく蒸す。この間に、彼は赤い果実を別の鍋の中で潰し、いろいろな調味料をそこに加える。おそらく塩であろう白い粉、火薬のような粉、焚き火のように赤い粉、深い池の色に似た黒い液体2種類。それらを混ぜ、火を通していくうちにこの赤い果実は「ソース」と呼ぶにふさわしい色と味を得ていくのだろう。まだ食べていないのでまだわからないが。


 そろそろ蒸し上がるだろう、というころ、傭兵風の男と襲撃者風の若者が食べ終わったようだ。

「ゴチソサマ」

「ゴッツォサン」

 去り際、二人の男は不思議な言葉を残して去っていった。礼儀の一種だろうか。そして

「麺、また食べに行こうな」

「おうよ、またよろしく」

 と言葉を交わす。なんと、荒野では敵対する間柄だろうに、友人同士だったとは。これはまた驚いた。この二人も、人間らしさを取り戻すため、ささくれ立った心を元の姿に戻すため、ここに来ているのだろうか。もしまたここに来れば、会えることがあるかもしれない。その時はぜひ話を聞きたいものだ。なぜこうやって、知り合ったのか……とか。

 そして、私の「麺」も、最後に緑色の小さい葉と、茹でた肉を四角く切ったものを入れて完成する。肉の種類を、尋ねるつもりは私はない。


 私は傭兵の男がそうしていたように、細長く短い麺を匙で掬って口に入れる。これまでに食べたことがない味だ。食べる前は果実を入れているのだから甘いのだろうか、と思っていたが少し酸味があり、その後にその後に辛さ、塩辛さ、また強いて言えば上質な魚の味に似た、名前のつけられない味わいが口の中に広がる。緑色の葉は味としては苦いが、香りは花を強く刺激し、食欲を強く掻き立てる。茹でた肉は羊を中心に、おそらくいろいろな種類の動物を使用しているのだろう。しかし、長い時間煮込まれたようで、口の中で脂身が自然に溶け出す。

 しかし、何より異質なのはこの麺だ。私の普段の食事といえば肉・魚で、それにただ焼いただけのジャガイモがあるくらいだろうか。その中で、なんとか近いものを上げるとしたらその風味はジャガイモに近い。だが、それにはない香ばしさと、ほどよく心地よい硬さを舌の上で感じる。これは動物から出来ていないとしたら植物から出来ているのだろう。しかし、一体どういう植物で、それをどう加工すればこの麺が出来上がるのだろうか。考えるほどに不思議だ。


 私は「ゴチソサマ」と言う前に、この店の主人にこの料理のことについて尋ねてみることにした。彼はハクと名乗った。

「麺の材料は、麦って植物だ。ちょうどこの季節に実って、潰して粉にする」

「面白そうだな……そいつは、どこで手に入る?」

「山奥の村さ。そこに汚染されてない水が流れてて、他にも色々植物を育ててるんだ。襲撃者も変異生物もいない。取れるものは全部食える」

 そんな土地がまだ、残っているとは。私はにわかには信じられなかった。それならぜひとも行ってみたいものだ。場所を教えてもらえるか、と尋ねたところ「イノシシ一頭で教えてやる」という。なら、この話に乗るしかない。私の心はにわかにときめいた。

「ありがとう、また来る」

 私はそう言って、金属の器を白に渡す。そして、こう付け加えるのを忘れなかった。

「ゴチソサマ」


 私は別に、どこかに腰を落ち着けて暮らしたい、と考えている訳ではない。むしろ見られるなら、できるだけ多くの物をこの世界で見たい、と思っている。だからこそ、その『大崩壊』前のような土地が見られる、ということに興味を感じたわけだ。

 店を離れ、町に向かって馬を進める。腹がいっぱいになり、どれだけでも遠くに行けそうなほど力が出てきた。もし白に約束通り、山奥の村の場所を教えてもらえるのなら、冬を越したあとにそこへ行こう、と決心しているほどだ。その前に、冬を越すため、まずやるべきことがある。狩りだ。また良い武器も整えなければならない。なによりまず、今日はSMLE小銃の弾薬を買いに行こう。しかもできるだけ、質のいいやつを。今度は1発1発選ばせてもらおう。「エム」の弾薬も買っておこうか。イノシシを狩るにはそっちのほうがいいかもしれない。

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