開かずの間を開けるだけなんです。

秋空 脱兎

いいえ、わたしはしりません。

「あ、開きましたわー」


 寺田てらた君の間の抜けた声が聞こえてきた。


鳥巣とりすちゃーん、おば様ぁー、開きましたよーぅ」


 呼ばれたので、依頼主である四十代の女性との談笑(談笑とは言っていない)を切り上げ、二人で寺田君の所──『開かずの間』の前まで向かう。


「……大丈夫ですか?」


 ふと気になって、依頼主に振り返った。


「えっ! ええ、はい……大丈夫です……」


 依頼主は、冷や汗をかき、目を泳がせ、浅い呼吸を繰り返しながら──つまり、どう見ても大丈夫じゃない様子で答えた。


「そうですか。じゃあ行きましょう」


 鳥巣わたしはそう言うと、ずかずかと歩みを進めた。




§




 わたしこと鳥巣とりす めぐみと、幼馴染みの寺野てらの大智たいちは、それぞれ齢二十五でありながら、二人で何でも屋を営んでいる。

 そうなるに至った理由は色々あるのだけど、訳アリ、曰くつきというやつだ。


 この日は、拠点を置いている街に古くからある家の家主から『開かずの間』を開けて欲しい、という依頼を受け、仕事に来ていた。

 ちなみに、内容が内容なだけに、報酬は相場の三割増しだ。


 たまにぼったくりだと怒鳴られる事もあるが、他にアテがないのか皆ちゃんと依頼料を払ってくれる。

 最初はヒトの弱みにつけ込んでいる、と良心が痛んでいたが、もう慣れてしまった。

 恐ろしい話だ。



 わたし達が着いた頃には、開かずの間は既に開かずの間ではなくなっていた。


「いやあ、あっさり開きましたよ結構大変でしたね。見てください、このシンプルな厳重な鍵を」


 寺田君がさも苦労したかのように言い放った。

 開かずの間は、襖に備え付けられた単純な鍵一つで閉じられていた。最も、その襖は左右に開ききっているのだが。


「それで部屋の中なんですけど、まあ御覧の通りです。出入口はここだけ、窓はなし、調度品は一切なし、ですねぇ」


 寺田君が元開かずの間の中を眺めるような身振り手振りを加えながら言った。


 これ以上はくどいと思ったので、無理矢理締め括る事にした。


「ンンッ……これで、よろしいでしょうか?」

「はい……」

「そうですか、お役に立てたようで良かったです。ほら寺田君、遊んでないで帰る準備」

「ほーい。と言っても、道具広げた訳じゃないんで、もう帰れますけどねー」

「……君は、こう、もう少し軽口を慎む事を覚えないか?」

「へいへい」


 適当に返事しやがった。寺田君コイツはいつもこの調子なのだ。たとえ客から怒鳴られてもだ。


 帰り際、依頼主がわたし達を呼び止め、懐から何かを取り出した。


「あの、これ……追加料金です」

「はい?」「はい?」


 わたしと寺野君が同時に聞き返した。

 見れば、札束をこちらに差し出していた。大体三十万円程だろうか。

 わたしが何か言う前に、寺田君が怪訝な顔をして聞き返した。


「いいんですか? 本当に?」

「い、いいから受け取ってください……!」

「ええ……うーん、どうしますぅ、お嬢?」

「誰よお嬢って……」


 わたしが呆れた様子で聞くと、寺田君は無言で私を指してきた。

 いつもの事だけど、調子狂うなあ……。


「……まあいいや。すみませんが、それは受け取れません」

「でも」

「ですが。……そうですね、たまたま拾って落とし主がいつまでも出なかった、という事にしましょう」


 わたしはそう言って、札束を手に取って見せた。


「…………」


 依頼主は、黙って札束を手放した。


「では、わたし達はこれで。失礼します」


 出て行く直前、寺田君がわたしにしか聞こえない声でぼそりと呟いた。


「おばちゃん、元気でね」




§




 帰りの車内で、ふいに寺田君が話しかけてきた。


「ねえねえ、鳥巣ちゃん」

「あのねえ、寺田君。仕事中なんだからもうちょっと……」

「言葉遣い、ね」

「…………」

「でさあ、あの家の依頼、これで何回目?」


 その質問の答えを、すぐに用意出来なかった。


「…………ええと」

「ああ、数えるの止めた?」


 寺田君が、からかうように聞いてきた。

 否定は出来ない。


「まあ、ね。事務所に帰れば報告書を数えられるでしょうし、」


 ふと、なんとなく鏡に視線を向けた。

 うわ、始まったよ。


「……どした?」


 寺田君は、わたしから何か感じ取ったのだろう。

 丁度良く信号で止まれたので、伝えるべき事を短く言う。


「寺田君、後ろ見ないでくださいね。鏡で見るのも駄目です」

「またっスか」


 寺田君はそう言って目を閉じた。対応が早くて助かる。


「仮眠でも取っててください。陽射しがキツイならダッシュボードに雑誌があるので、ご自由に」

「え、手探りで取るの?」

「もう目を瞑っちゃってるならそうなりますね」

「ちぇ……」


 寺田君が手探りでダッシュボードを漁り始めるのと同時に、信号が青になった。

 わたし、いやわたし達は、後部座席を見ないように努めるながら、運転する事になった。


 バックミラー越しに見た後部座席。

 そこには、乗せた覚えのない、古めかしい和服を着た少女がいた。

 顔のパーツがあるべき場所に、暗い孔が開いていた。


「着いたら起こしますね」

「へーいす」


 返事してすぐ、寺田君は寝息を立て始めた。のび太よりは遅いけどそれでも早すぎる。


 わたしは、『バックミラーやサイドミラーを見ていれば防げた事故』が起きないように知ってる限りあらゆる神仏にひたすら祈りながら、二十分程車を走らせた。

 そうして、わたし達を乗せた車は、目的地に到着した。


「寺田君、着きましたよ」

「んぇ、あ……はい、おはようございます」

「お昼少し過ぎた頃ですね。折りてください。気を付けて」


 そう言って、鏡になる物を見ないように注意しながら車を降りた。

 寺田君はというと、寝起きで瞼が持ち上がらないようだった。たぶん大丈夫だろう。


「あれ、ここって」

「ええ。ここが、目的地ですよ」

「……そう、ですね。うん」


 寺田君は、素知らぬ顔で頷いた。無理にそんな演技しなくてもいいのに。

 何はともあれ、手早く済ませよう。そう思いながら、門と比べたら明らかに真新しいインターホンを押した。


 ややあって玄関から出てきたのは、四十代の女性。

 『開かずの間』の依頼主だ。


「…………!」


 依頼主は、遠目でも解る程に目を大きく見開いた。


「今日は」

「ああ、どうも。さっきぶりですねえ!」


 わたしは淡々と、寺田君はどこか皮肉めいた挨拶を送った。


「……何の用ですか?」

「ええ。少し、『忘れ物』を」


 勿論嘘だ。逃げられるようになるまで、少しでも時間を稼ぎたい。


「忘れ物……?」


 依頼主の思考を塗り潰すように、寺田君が割り込んだ。


「おば様、先にインターホンで訪問者が誰か、確認した方がいいと思いますよ? ほら、最近物騒じゃないですか」

「…………」


 依頼主が困惑している。


 この隙にと、目だけで周囲を見渡す、までもなかった。


 門から玄関へと、和服の子供が歩いて行く。

 後ろ姿だが、先程後部座席に座っていた異形の少女だと感じた。

 少女は玄関と依頼主の隙間を縫うように、ぬるりと家の中へ


 依頼主は、気付いていないようだ。


「『忘れ物』は見つかりました。では、失礼します」

「あ、ちょっと!」

「これからもご贔屓におねがいしまーす!」


 わたし達はそれぞれ捨て台詞を吐き、車に乗り込んで逃走した。

 追加料金として渡された三十万円を、こっそり落としてから。




§




 三十分後、わたし達は、今度こそ事務所に帰ってきた。

 道中、特に怪現象は起きなかった。


「さて、寺田君。あなた、今度は何が見えていたの?」

「えぇ、帰って早々聞くの? コーヒーブレイクしない?」

「ダメです」

「ちぇ……」


 寺田君がすっと真面目な表情を見せた。


「……蜘蛛の巣みたいに張り巡らされた髪の毛。その真ん中に、顔の部品が取れて穴になった女の子」

「…………」

「また初めて見たヤツだった」

「そうね」

「車ン中でさ、何回目って聞いたじゃない?」

「ええ」

「実際どうなの?」


 わたしはそれに答えず、戸棚の鍵を開け、報告書が綴じられたバインダーを引っ張り出した。

 それを寺田君に押し付ける。


「はい」

「あ、おう」


 寺田君がバインダーを受け取り、中身を確認した。

 読み進める度に、段々渋い表情になっていく。


 実は、依頼の回数はまだしっかりと数えている。


 あの家の『開かずの間』を開ける依頼は、もう十二回目。

 依頼主は、全員赤の他人だ。


「…………はあ」


 そうして、何とも言えない表情で、わたしを見た。


「で、あと何回あると思う? あと何回が限度だと思う?」 

「…………。さぁね」

「さぁねと来たか。ま、最期まで付き合いますよ。コーヒー淹れてくれるなら」

「はいはい……」


 わたしは、コーヒーを二人分淹れる事にした。
















 それから、二日後の事だ。

 街に古くからある家に住み始めたばかりの四十代女性が、変死体となっているのを発見された。

 遺体は、顔のパーツが全部抉れていたらしい。


 わたし達には、関係のない話だ。

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