殺されたのは誰だ

高野ザンク

ある女性の告白

 山奥の道端にあるベンチに男が一人すわっていた。友人を待っているのだ。

 なぜ、ここに来てしまったのか、男はいまひとつわかっていない。ただ、この山中での待ち合わせ場所がここしかなく、友人が車で迎えに行くからと、ここで待つように言われていたのだ。とくにするべきことなく、男はやがてウトウトしてしまったようだった。


「少し、お話ししても良いですか」

 男が目を覚ますと、ベンチの隣にひとりの若い女性が腰掛けていた。どことなく物憂げな表情を浮かべたこの女に、男は見覚えがなかった。

「いや、まあいいですけど、別に」

 こんな山中で、誰かと合うのは珍しい。近くの別荘客だろうか。とはいえ、突然のことに戸惑いながらも男は返事をする。

「お話ししたいのは、ここで起きたある殺人事件の話です」

 話しかけている口調なのに、女は前を向いたまま、横にいる男には目もくれない。男はいよいよ困惑した。見も知らぬ女性から、しかもこんな山奥のベンチで殺人事件の話を切り出されるなんて。男のそんな気持ちを意に介さず、女は話を続ける。

「それは3年前のことでした。この山の上にある別荘で一人の女性が殺されました」

 男がゴクリと唾を飲み込む。

「理由はよくある痴情のもつれです。愛人に殺されたのでした」

 

 女の話だと、愛人は旦那の後輩だったらしい。二人は大学で化学の研究をしており仲が良かったので、妻である彼女とも知り合いだった。ある時、学会のパーティーで同席した際に意気投合し、そのまま男女の関係になった。

「ただ残念ながら、二人の気持ちには温度差があった。男は本気だったけれど、女の方はただの浮気だったの。地位も名誉も旦那のほうが上だったし、それを捨てるほど入れ込んでいたわけじゃなかった。もっともカラダの相性は、旦那よりも良かったみたいだけど」

 それまでベンチの正面を向いて話していた女がフラリとこちらを向いた。美しいが化粧っ気の薄い顔立ちをしていた。ただそれでも男には見覚えがなかった。


 女は正面に向き直ると再び話し始める。

「男は女の飲むお茶に毒を入れました。青酸カリ。自分の研究室からそっと持ち出したの。女を殺して、自分も死ぬつもりだった……」

 女はここでフゥーと息をつくと、水筒を取り出して水を飲んだ。その横顔に、男はどことなく懐かしい印象をもったが、ただ黙って女の話を聞いているしかなかった。

「でもね、ドラマとかだと青酸カリって飲んで数秒で死ぬみたいに思うでしょうけど、じっさいは違うの。15分ぐらい悶え苦しむのよ。その姿を見て、男は恐れをなした。勝手よね」

 女はそこで押し黙った。そして、まるで犯人を哀れんでいるかのように目を閉じてうなだれた。

(一体、何を告白されているんだ!)男は一刻も早くこの場を去りたかった。走って逃げたかった。だが、恐怖で身がすくんでか、一向に身体が言うことをきかない。ただ、今は友人が早く来てくれることを願うばかりだった。


 そこで女は急に顔を上げて叫んだ。

「そう。その女は私よ!」

 男は声にならない叫びをあげて、ベンチから飛び退いた。女はそのまま涼しい顔をして、ベンチからまっすぐに正面を見つめている。


 その時、かすかにエンジンの駆動音が聞こえた。遠くから4WDの赤い車が木々の間から顔をだして見えた。友人の車に違いない!男は少し安堵した。早く、早くここに来てくれ!


「でもね。その話には続きがあるの」

 女は落ち着いて話を続けた。

「私は死ななかったのよ」


 女の告白が終わるとほぼ同時に、車がベンチの側で停車する。運転席からポロシャツ姿の若い男が降りてきた。

 俺の友人ではないと、男は焦った。じゃあ、なぜこの男はこんな場所に……?



「おいおい、柚子梨ゆずり。別荘からこんなとこまで降りてきちゃったのかよ。さすがに心配したぜ」

「ごめんなさい。ここまで来たから実際の現場を見たくなっちゃって」

 柚子梨と呼ばれたその女は、さっきとはうってかわって明るい様子で答えた。

「で、なんか喋ってたみたいだけど、なにやってたんだ?」

「ここにきたんだから、今晩の朗読劇の練習に決まってるじゃない」

「殺人現場でそれをモチーフにした芝居の練習してんの?女優魂だねー」

「あら、こんなリアリティのある環境なかなかないでしょ」

 柚子梨は得意げに言って、ベンチから立ち上がった。

「今、ちょうど真実を告白していたところよ。この奥さん死ななかったのよね。殺人に気付いた旦那が青酸カリを擦り替えて、しかも彼女に死ぬ芝居までさせた」

「で、取り乱した犯人……っていうか最終的には被害者か。そいつを呼び出して、逆に殺したのがこのあたりなんだよな」

「そう水筒に本物の青酸カリを入れて飲ませてね」

 柚子梨はもう一度水筒に口をつけて、うまそうにお茶を飲んだ。

 男は運転席に乗り込み、手招きする。女は助手席のドアを開けた。

「でも、被害者はまだ見つかっていないから、それは憶測でしかない。二人は無罪放免。ひどい話だ」

「それを今回解決するのがあなたの仕事でしょ、透水とうすいさん。私が朗読劇をして、あなたが推理を披露する。別荘に招待してくれた、くだんの二人の前でね」

 女がドアを閉めると、透水と呼ばれた男がエンジンをかけた。

「そうだな。悪党を追い詰めて、哀れな被害者を供養してやらなきゃな」


 車が遠くへ走り去っていく。

 残された男は自分の身に起きたことを全て理解した。そして、自分がこのベンチから離れられないことも。

 願わくば、あの透水という男が、俺を殺したあの野郎と、そして裏切り者のあの女に制裁を加えて、俺がこの場所から解放されんことを。


(了)

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殺されたのは誰だ 高野ザンク @zanqtakano

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