第19話 過去編⑫:稲宮詩央理

 私は普通じゃないのだろうか。

 普通って一体なんなのだろう……。


『あいつの家、家庭環境が終わってるらしいぜ』

『男たらしなんだろ? 顔はいいのにな』

 教室は居心地が悪い。

 余計な声が聞こえてくるし、一生分かり合うこともできない人間と同じ空間で過ごすなんて理解できない。

 

 お母さんは小さい頃に病気で死んでしまったし、お父さんもそれ以来お酒ばっか飲んで、気性が荒くなってしまった。

 中学の頃から友人という友人はいなかったけれど、高校に入ってからは地獄のような環境の日々が始まった。


 私は、家のことも考えて家から一番近い県立学校に入学した。

 近いと言っても田舎だからバス通学で三十分くらいはかかるけど。

 入学直後はそれなりに男子からも声を掛けられたし、違う中学校の女の子たちとも話して、仲良くなった。

 自分で言うのもおかしいけど、私は顔がそこそこ良いらしい。

 私にとって初めて人と関わることは悪くないなって思えた。

 嬉しかった。

 それに楽しかった。

 あの時の私は、普通に近づけた気がしていた。

 家の環境は変わらないけど、それでも学校が楽しかったから耐えることなんて余裕だった。

 

 だけど、入学から一か月が経った頃、私の居場所は突如として無くなった。


 その時、身に覚えのない私の噂が流れた。

 私は本当に何も知らないのだけれど、付き合っていたカップルの別れた原因が私になっていたらしい。

 私が男を寝取ったとか誑かしたとか聞こえるところで言われたこともある。

 恐らくだけれど噂を流したのは同じ中学だった同級生だろう。

 中学の頃に誰とも関わらず大人しかった私がちやほやされてるのが気に入らなかったのだろう。

 実際、唯一私に面と向かって悪口を言ってきたのはその同級生の女子だったのだから。

『ちょっと顔がいいからって調子乗んな』

 今でも思い出すと、心臓が締め付けれるような感覚に陥る。

 挙句の果てには『人の彼氏寝取ったんだから謝ってきなよ』とまで言われた。

 

 ショックだったのは鮮明に覚えている。

 なにも言い返せなかった。 

 そもそもやった覚えのないことをどうやって謝ればいいのかも分からないし、人と関わること自体気が失せていた。

 やっぱり自分は普通じゃなかったみたい。

 何一つ楽しくない学校。

 暴力を振るってくる父親がいる家。

 これが私にとっての普通なのだと思い知った。

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 もう学校にも家にも居たくない。

 どっか遠いところに行きたい。誰もいない場所。

 そして綺麗な景色を見て、美味しいものを食べて、満足したらそこで死のう。

 とりあえずバイトを続けてお金を貯めよう。それで夏休みになったら何もかも全部投げ出して旅に出る。

 夏休みに旅。単語を並べたら青春みたいでワクワクしてきた。

 もし神様がいるのなら最期ぐらい楽しんでもいいよね? 



 何度も逃げ出したいと思う地獄の日々も終わり、ようやく夏休みに入った。

 行先なんて何も決めてないけれど、とりあえずバスの定期があるしこの街から出ることにしよう。

 すっきりとした青空。バス停は田んぼ道の真ん中にある。

 いつも通学で見慣れてる光景も気分が違うだけで映画とかドラマとかのワンシーンのように思えた。

 考えなしにバス停に来てしまったけれど次のバスは一時間後。

 ひたすらに暑かったのは覚えてる。

 飲み物を買いたいけど自販機の前にはひっくり返った蝉が居るから近づきたくない。

 もし生きてたら急に動き出すかもしれないし、動かないといいな……。

 きっと私もそんな風に思われてるのだろうか。

 生きてるだけで迷惑を掛けてうるさい存在だとそう思われてるんだろうな。

 けど、蝉の方がよっぽど立派だ。

 私なんかより必死に生きてるじゃないか。

 そんなことを考えながら動かない蝉を傍らに、私はバスを待ち続けた。


 待っている途中、私は一人の少年と出会った。

 結果としてこの後暑さで倒れてしまった私はその少年に救われる。

 トラブルにでも遭ったのか一時間後の予定時刻になってもバスは到着しなかったのだ。

 不運にしてもあんまりだ。

 いや、幸運かもしれない。透夜くんに出会えたのだから。

 透夜くんは倒れた私を家まで運んでくれたらしい。

 後から知ったのだけれど透夜くんはあの浅影家の一人息子だった。浅影家と言ったらこの倉乃里市ではとても有名な名家で、現在の市長も透夜くんのお父さんが務めている。

 たしかに家は和装の屋敷のような大きさでいかにもな雰囲気があるけれど、浅影家の人達はとても温かくて優しかった。

 特に私にやさしくしてくれたのは真衣さんだ。

 透夜くんに命を救われたけど、真衣さんも私にとって命の恩人だ。


 それに真衣さんは唯一、普通じゃない私のことを知っている。


 というのも透夜くんの家で目を覚ました私は真衣さんに家まで送ってもらうことになった。

 真衣さんの車に乗っている最中のことだった。

 私は気づいたら泣いていた。

 自分でもなぜかわからないけど涙がこぼれていたのだ。

 きっと限界だったのだろうなと思う。

 真衣さんは急に泣き出した私を見て慌ててたけど、ゆっくりと話を聞いてくれた。


 家のこと、学校のこと、今までのことも全部洗いざらい話した。真衣さんがあまりにも優しく聞いてくれるから包み込まれるような温かさを感じて余計に泣きじゃくってしまった。


「……それで最後にどっか遠いところで死のうと思ってたんです」

 言ってしまった。しかも初めて会った人とはいえ急にこんなこと言われても困るだろうなとかこの時の私は思っていた。


「生きててくれてありがとう。詩央里ちゃん」

 それでも真衣さんは困る素振りすら見せずにたしかにそう言った。

「……ありがとう? なんで、なんでこんな私に……」

 真衣さんは車を路肩に止めると、私と目を合わせた。

 夜の田舎道で辺りは静まり返っている。街頭の光だけが車の中を照らしている。


「だってもし死んじゃってたら私は詩央里ちゃんと会えなかったでしょ?」

「……」

 真衣さんは一呼吸おいてから私の手を握った。

「学校に行く意味も自分が生きる意味も分からないって言ってたけど、詩央里ちゃんが生きてくれたらそれでいいんだよ。 ……意味なんて生きてたら後になって気づくものなんだから」

 そんなこと言われたらまた勘違いしてしまう……。

「……私は、私は……」

 じわじわと視界が涙でにじむ。

「詩央里ちゃんを必要としてくれる人は必ずいるよ。絶対に」

 そういわれたときにはもう私はひたすら泣き喚いた。

 そんな私を真衣さんは泣き止むまで優しく抱きしめてくれた。


 

 その後、真衣さんは泣き止んだ私を家まで送ってくれて別れ際に

「夏休みはいつでも私のところにおいで?」と、提案してくれた。

 また迷惑かけてしまうかもしれないしとかお父さんにバレたらとか色々心配していると、真衣さんは察してくれたのか勉強という名目で来ちゃいなと言ってくれた。


 それからというもの死ぬ予定だったはずの夏休みは一変した。

 どうしてか分からないけどお父さんの暴力は減ったし、ほぼ毎日浅影家にお邪魔した。

 ちょっと年下だけど透夜くんとも友達になれたし、幸太くんとも仲良くなれた。

 きっと透夜くんに私のことを話しても受け入れてくれるだろうけど、優しすぎるからきっと迷惑をかけてしまう。

 真衣さんから誰かに話すことは絶対にしないと約束してくれたし、透夜くんたちにいつか言えたらと思っていたけど、うやむやになってしまった。

 もしかしたら透夜くんたちは何か気付いているかもしれないけど。あの二人は時々勘がするどいから……。



               ※



 ここ最近のことが走馬灯のように記憶がよみがえってくる。

 目の前では普段より一層怒りをあらわにしているお父さんが酒瓶を投げ捨てた。

 こんなに怒っているのは久しぶりだ。私が夏祭りに行きたいと言ったからだろうか。

 今回はもしかしたら怪我をしてしまうなと覚悟して、手に力を込める。

 痛いのは嫌だなぁ……。

 透夜くんと幸太くんと一緒に夏祭りに行きたかった。

 じんわりと涙が滲む。

 心臓が痛いくらい締め付けられているような気分だ。もし私が普通だったら行けてたのかな。

 そしていつも考えてしまう。

 もし真衣さんに助けを求めたらこの救ってくれるのだろうかと。

 きっと救ってくれる。だけど、一度救ってもらったのにこれ以上迷惑をかけていいのだろうか……。


 気づいたら怒号を上げたお父さんが目の前に立っていた。

 私は、覚悟を決める時間もなく振り下ろされる拳に反射的に力を入れて身構えた。

 




 


 


 

 

 


 

 

 



 


 

 




 



 

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深夜、夢見る少年は朝を見る アオト @Aoto_s

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