なにかいる

トト

見えるからこそ見えてくる

「きた!」


 思った時にはもう遅かった。いますぐ布団から飛び出したかったが、まるでがっちり誰かに抱き着かれているように腕も足もピクリとも動かせない。

 それなのに意識だけはいやにはっきりさえわたっている。

 フーと誰かの吐息が耳元をくすぐった気がした。しかしたぶん動かせそうな唯一の頭を横に倒してそれを確かめる勇気はない。


 もし横を向いてそれを目にしてしまったら──

 背中を冷たい悪寒が走る。

 もう限界だ。明日教えてもらったところに相談しよう。


 一年家賃を前払いするととても安く借りれるという、うたい文句にまんまと引っかかってしまったのだ。でも不動産屋を訴えることはできない、なぜなら事故物件であることはちゃんと説明されていたのだ。この部屋を見学に来た人はみな一目見た途端悪寒を感じたり、具合が悪くなったり、ひどい人など部屋に入ることすらできなかったと聞いたが、もともと非科学的なものは信じていない、そんなものみんな思い込みだと鼻で笑うような人生を送ってきた俺は、一目でこの部屋が気に入った。


 大学にも近いし風呂とトイレも別々、そして朝にはちゃんと朝日が差し込み部屋もとても明るく感じた薄気味悪いなど全く思わなかった。


 しかし住み始めてから一か月ほどたったあたりからだろうか、そんな俺でも、首を傾げるような出来事が徐々に起こりだしたのは、そしてここ一週間毎日のようにこの金縛りである。


 俺ももう認めざるえない、この部屋には何かがいる。


 しかし貧乏学生の俺にお祓い屋を雇う金はない、そんなことを友達に話したら、大学にある『非科学研究霊能力同好会』なるものを紹介してくれた。


「で、どんなことが起きるんですか」


 大学内にあるカフェで、俺は自称霊能力者の彼と初めて対面した。

 胡散臭そうな薄暗い人物を想像していたが、彼は人の好さそうな好青年に見えた。

 『非科学研究霊能力同好会』という看板など数か月前の俺なら冷めた眼差しで無視しただろう、しかし今は藁にもすがる思いで、いままで起こった出来事を彼に話した。


「初めはラップ音っていうのか、あれが聞こえるようになったんだ」


 初めはよくある家のきしむ音だと思っていたが、日がたつにつれそれはだんだん激しくなり、どんなに布団に潜り込もうが、俺が起きるまでそれは鳴り止むことなくなり続けるようになった。


「あと、部屋にいる間ずっと誰かに見られているような視線を感じる」

「自意識過剰じゃなくて?」

「違う! それにそうだっ、怖いからテレビをつけっぱなしにしてるんだけど、それも勝手にチャンネルがかわったりするんだ」


 俺は思い出しながら少し青ざめた顔でそう言った。

 あれは決して気のせいなんかじゃない。


「風呂場の排水溝に長い髪の毛が詰まってたこともあった」


 思い出してブルリと体を震わせる。


「友達が泊ったことは?」

「最近は誰も家に呼んでない」


 首を振りながら答える。一人暮らしを始めてすぐの頃よく友達を呼んでいた。しかし少し騒いだだけで、壁を叩かれるので友達も気を遣って遊びに来るのをやめてしまったのだ。でもよくよく考えてみれば、周りの住人の生活音など聞こえたためしがない、本当に壁が薄くて隣から叩かれていたのだろうか、あれをやったのは……


 俺は考えるのをやめた。どちらにせよもう限界だ。もし彼でダメだったら契約金はもったいないがあの部屋を出ていこう。そこまで俺は追い詰められていた。


「お祓いできそうか?」

「話だけではなんとも、とりあえず見てみないことには」


 じゃあなぜ話させたんだ。と思いながら、俺はまだどこか信じ切ることができない彼を俺の部屋に連れていった。


「ここだ」


 自分の部屋を指さしそして鍵を渡した。できればもう入りたくなかった。


「どれどれ」


 彼は鍵を開けると躊躇なく部屋に一歩踏み込んだ。


「これは!」


 その途端驚愕の声をあげる。


「どうなんだ? なにか見えるか」

「はい、僕もこんなにはっきり見えるのは初めてで、ちょっと驚いています」

「そうなんだ、で祓えそうか?」


 彼が少し言葉に詰まる。


「……僕には、祓うことはできません」

「なんだって!?」


 そんなに凶悪なのか!


「くそ、じゃあもう出ていくしかないのか……」


 一年契約のまだ半年以上は残っている。しかしこうもはっきり何かがいると言われたら、ますますこの部屋で過ごすのは無理だ。


「でも見る限り、悪いかたではなさそうですよ」


 のほほんと彼が言った。


「こういうものは怖いと思うから怖いんですよ、ようは気の持ちようです。見方を変えてみればいいのです」


 ピクリと眉をあげる。


「そんな他人事だと思いやがって」


 思わず睨みつける。霊に良いも悪いもあるものか、見方を変えろって、見えないから怖いんだろう。毎日ラップ音や金縛りで落ち着いて休むこともできない。しかし彼は──


「あの、提案なのですが。もしあなたがよければ残りの数か月は僕が借りている部屋と交換してお互いに住みませんか?」

「え?」


 突然の彼の申し出に俺はポカンと自称霊能力者を見詰めた。


「僕は霊能力者です。霊に対してはあなたより免疫もありますし……。それに僕みたいな怪しい人物を信じて頼ってきた人をみすみす見捨てるような真似はしたくありません」


 朗らかな笑顔でしかし真剣な顔で話す。


 それは願ってもない申し出だが、流石にそんな危ないかもしれない霊がいる部屋に住まわすのは申し訳ない。


「僕にとっても、これはまたとない修行になると思うんです」


 俺が返事を返さないことに気を遣うように、彼はそんな言葉を続けた。


 俺は「胡散臭い」と思っていたさっきまでの俺を殴ってやりたい衝動を覚えた。不満をぶつけるだけの俺に対して怒りもせず、なんてできた人なんだ。この人こそ本物の霊能力者というものだ。


 そうして俺たちはそれぞれの住処を交換することにした。

 彼の部屋はユニットバスタイプの物件で部屋も六畳ほどの一部屋だった、大学からも少し遠くなったが、夜はゆっくり眠れるし、友達を呼んでもどこからも苦情はでない。

 家賃も彼がそのまま払い続けてくれているので、あの部屋とは別にどこかを借りなければならないと考えていた俺からしたら、彼はまさに救世主だった。


 しかしあれから三日、彼は大学に姿を見せなかった。連絡もつかない。

 俺は彼の身に何かがあったのではないかと、だんだん恐ろしくなってきていた。そうしてさらに一週間、俺はもう直接行って確かめるしかないと勇気を振り絞った矢先、彼が久々に大学にやってきた。


 その姿は幾分やつれたように見えたが、その笑顔は前と変わらず爽やかなものだった。


「なんか、久しぶりだな?」


 俺が話しかける前に、彼の友達らしい男が久々に大学に来た彼をつかまえる。


「いやー、それが」


 ヘラヘラと笑う彼を見て友達らしき男が


「まさか、おまえ彼女ができたのか?」

「いやー、そんなんじゃないですよ、ただちょっとシェアハウスをはじめたんで、それに慣れようと」


 周りの男たちが、なんだなんだと集まってくる。すぐに彼に駆け寄って大丈夫か尋ねたかった俺はその外がわに押しやられる。


「シェアハウスだって? 男か? 女か?」

「うーん、女性」

「美人か?」

「美人ですね」


 周りがざわめく

 そういって彼はちょっと照れくさそうにここ数日にあったことを話し始めた。


 料理は作れないけど、毎日同じ時間に起こしてくれること。

 一緒にお笑い番組を見て過ごしたこと。彼女が見たい番組があると強引にチャンネルを奪われるが、自分が見たい番組はビデオ録画すればよいので、彼女の喜ぶ顔が見れるほうが嬉しいということ。


 風呂に入ろうとしたら、彼女がいたことがあって羞恥か怒りかその後部屋の電気を消されてしまったり、色々な物をしたこと。


 いつもはそんな自分勝手なのに本当は寂しがり屋で、たまに気が付くと布団に潜り込んできて朝まで抱きついて離れなかったり、本当に毎日ドキドキさせられているというようなことを彼は語って聞かせた。


「なんだよその、漫画のようなラッキースケベは、ずりーぞお前、今度俺にも会わせろよ」

「でも彼女すごい人見知りだし。無理じゃないかな」


 まるで普通のことのように話しているが、その本当の意味が分かっているのはこの中で俺だけだろう。彼は本当に見方を変えることに成功したようだ。


「そんなこと言わずに。今度遊びに行くから、一緒に飲みましょう。ってそれとなく伝えてくれよ」

「うーん、まあ僕が言ってることはある程度わかるみたいだから、言うだけなら、でもまだ彼女の言葉がわからないから。せめてわかるようになってからでいいかな?」

「なんだよ、美人外国人なのかよ、本当にすげーうらやましい」

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なにかいる トト @toto_kitakaze

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