ラブ・レター ~僕はペン~

@yanetamm

なぜなら僕はペンだから

 遺書が書けない。なぜなら僕はペンだからだ。書いてくれる人がいなければ、残したいものも残せない。

 書いてくれる人を欲するなんて、僕にはあり得ないことだった。誰かが僕を使って何かを書くということは、僕のインクを(すなわち寿命を)刻一刻と奪うということだ。ペンとはつまり、奴隷だ。尊厳なんてない。人様のために命を、血肉を、捧げ続ける、それこそが生まれてきた意味なのだ。そんな立場に生まれてきてしまった僕の気持ちを、消しゴム以外に誰が想像してくれるだろうか。

 僕は万年筆になりたかった。彼らは僕と同じ運命を背負っているはずなのに、いつも持ち主から精一杯の寵愛を受け、ペンとしては別格の人生を歩んでいる。専用のベッドルームを持ち、少しでも体調が悪ければ職人たちにケアしてもらい、持ち主の生涯に寄り添って役目を終える。どうせなら、誰かに愛されるペンになりたかった。

 でも、生まれからして違ったと思う。到底叶わない夢なのだと最初から分かっていた。僕はデパートではなくコンビニに並び、筆箱を忘れるような大学生にその場しのぎの道具として雑に買われた。そして汚いバッグの奥底に用済みのティッシュたちと雑魚寝するという最悪な形でペン人生をスタートした。

 その後人生初の筆箱に入ったが、それは牢獄そのものだった。すぐ隣を見ると、仲間の遺体が横たわっている。あの持ち主が蓋を適当に閉めたせいで、ペン先が乾いて窒息死したのだろう。筆箱の内側のあちこちに、複数の仲間の色とりどりの血が、悲痛の叫びとなって吐瀉されていた。これが彼らの残した、唯一の遺書。その地獄絵図を見ながら、僕は僕の人生を案じていた。

 でも幸いなことに、彼はバイト先で僕を落とした。きっと僕を落としたことにも気づかぬまま、またコンビニで新しく買っているのだろう。もう彼と出会うことはなかった。

 待ち望んでいた、この支配からの卒業。僕は冷蔵庫の下に寝転んだまま、店の中で毎夜流れるジャズを楽しんだ。

ペンとしての全てを捨て、出家したような気持ちでいた。静かで安穏な生活。何かに脅かされることもなく、自分のインクが減ることもない。社会から離れ、ストレスフリーな毎日を過ごしていた、はずだった。

死にたい。

 いつしかそう思うようになった。結局、僕は人間がいなきゃ価値なんてない。生きることも、死ぬこともできない。僕は何かを残すという役割を担いながら、それさえも全うできず、このまま永遠に生殺しの日々を過ごさねばならなないのだろうか。そして何よりもつらかったのは、自分の遺書さえも残せないということだ。

止まる時間。無の世界。僕という存在も、無いに等しかった。

息苦しかった。このまま、何も生み出せないまま、薄汚い冷蔵庫の下で埃にまみれ忘れ去られていく。

無限こそが恐怖。そう僕は思い知ったのだった。

 


チャチャチャ、チャリーン。

 


 僕が死んだように生きていたころ、5円玉が僕の元に駆け寄ってきた。

「あっ、あーーー。冷蔵庫の下に行っちゃいましたよ」

「え、取って取って。100円玉かもしれない」

 すると光射すほうから、人間の手が伸びてきた。僕は興奮し、全身のインクが沸騰しそうだった。

 お願い、僕を見つけてくれ。僕をここから出してくれ。

 そう一心に願うと、徐々に人間の手が近寄ってきて、僕は外に引っ張り出された。

「5円玉でしたね。あと、ペン」

「ええぇ、ならいらないよ。あげる」

「そんなこと言わないでくださいよ。一生懸命取ったのに。5円玉に泣きますよ」

 止まっていた時が動き出した。僕は今、人間の手の中にいる。柔らかく、温かく、少し湿っぽい感じがこの上なく懐かしかった。

「なんか汚いし、あげるよ。手数料。100円玉は見つかったし」

「そっちの100円ください」

「あげないっつーの。そのペンが100円だと思えばほら、儲けものだよ」

 そんな馬鹿な理論があるのだろうか。僕は確かに100円で売られていたが、もうそんな価値はないと思われる。

「あっ、でもこれ、ジェットストリームですね。めっちゃ書き心地好きなんです。喜んでもらいますわ」

 そう言って、僕の新しい持ち主が決まった。





 彼女は「山本さん」と呼ばれていて、このレストランの新米のようだった。卓番を間違えて伝票に書いてしまい、よくマスターに怒られていた。その筆跡は僕の血肉を使っているので、僕も怒られているような気分になった。

 でも彼女が頑張っているのは、この僕が一番よく知っていた。彼女はバイトを終えると、その日起こしてしまったミスをこの僕でメモに綴っていた。出勤前にはそのメモを見返し、同じミスを起こさないようにと日々奮闘していた。

 僕は初めて、ペンとして生まれてきたことに感謝した。僕の血肉が、彼女の成長の肥やしとなって生きている。彼女が僕を握りしめ、使ってもらう度に強くそう感じた。インクは日に日に減り、確実に死に向かっていけれども、そんな毎日がとてつもなく誇らしかった。

 彼女が数万円のシャンパングラスを5秒で2本割った日。店で接待中の社長に頭からビールをぶっかけた日。お客に僕を貸してそのまま誘拐されそうになった日。どれもこれも思い出で、彼女のそばにはいつも僕がいた。

 彼女が卓番を間違えなくなったころ、「山本さん」と呼ぶ人はいなくなり、前のバイト先が水族館だったことから、代わりに「イルカちゃん」というあだ名がフロアを駆け巡った。そして僕はバイト仲間の吉田さんからもらった、イルカのシールで全身ベタベタになった。でも僕は嬉しかった。コンビニに並んでいたときは他のペンと見分けがつかなかった僕も、そのシールをもらったことで、唯一無二の彼女だけのペンになれたから。

「イルカちゃん、習字やってた? いつも筆ペンみたいに書くよね」

「いや、習ってないですよ。それっぽく書いてるだけです」

 僕はない耳で耳を疑った。この僕が、筆ペン?!?! この上なく光栄だった。僕はただの100円ボールペンだけど、彼女となら万年筆のように愛され、筆ペンのように描き、ゆくゆくは世界一のペンになれる。

 そうやって日々が過ぎ、僕の寿命も残りわずかとなった。

「ねぇ、ちゃんと渡したの?」

「いや、まだ……」

「まだなの?! 徳田くん帰っちゃうよ」

 その日、彼女はずっとそわそわしていた。いつもなら店を出るはずの時間になっても、リボンをあしらった小さな箱をもって、更衣室に閉じこもっていた。

「あー、もう日付過ぎるよ。バレンタイン終わるよ」

 一緒に着替えていた阿部ちゃんが、ぶっきらぼうに言い放った。

「いや、だってなんて書いたらいいか……。気持ち悪くない? びっくりしない?」

「メッセージ? なんでもいいから書きなよ。遊んでくれてありがとうとか、そのお礼ですとか、適当なこと書けばいいんだよー。はやく!」

 彼女は震える手を抑えるためにいつもより強く僕を握った。阿部ちゃんが後ろから覗き込んでいて、ぽってりとした唇がニマニマと動いている。

「や!! やめなさい! 見るな!」

「いいから早く書きなよおおおお」

 僕は疲れていて、すぐにでも力尽きそうだった。それに、徳田くんにちょっぴり嫉妬していた。インクを出すのをやめようか……。一瞬思ったが、その考えもすぐに消えた。

 彼女の精一杯の思いを伝えるために、僕が最後の力を振り絞る。どうか、書ききるまでは耐えてくれ。

「お疲れ様ですー」

 徳田くんの声が聞こえ、彼女は筆を急いだ。

 阿部ちゃんは徳田くんを引き留めるために一足先に更衣室を出ていった。僕と彼女の最期の時間。何を書いたかは、今のところ彼女と僕だけが知っている。そして彼女は走り出し、徳田くんに伝えるだろう。

 僕は世界一愛しい人の思いを運び、ペン人生に幕を閉じた。


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