飼われた小鳥
多賀 夢(元・みきてぃ)
飼われた小鳥
ねえ、ちょっとした雑学を聞いたんだけど。
鳥って、鳥籠の入り口を閉め忘れると、そこから逃げちゃうでしょ。
だけど逃げて捕まえる度に、脚を針で刺してお仕置きすると、入り口を開けっぱなしにしても逃げなくなるらしいわよ。
雪ちゃんのチッチにも、やってみたら?
え、なんで怖いの?ただの小鳥じゃないの。
殺すわけじゃあるまいし、大げさよ。ホント変な雪ちゃん。
*******
早く逃げねばと、いつも思う。
この家は狂っている。なにがどう狂っているのかは分からないけれど、絶対に普通の家とは違う。
何度も母には抵抗した。だけどその度に私は酷い苦しみを負わされた。
口答えすると喘息の薬を取り上げられ、胸をかきむしりながら土下座した。出ない声を無理やり出させられ、母が納得するまでごめんなさいと言わされた。
好きな男子ができたと知られた時には、恥を知れと裸でベランダに立たされた。うちが高層階のマンションだから周囲からは見えなかったと思うけれど、下着一つ付けていない恰好はまさしく『恥』の権化だった。
母の意向に背くたびに、殴るでも蹴るでもなく、ただ私だけが苦しむ罰を与えられた。そんな私を母は本当に痛ましい物を見る目で見つめ、時には頬に涙を流してこう言った。
「ごめんなさいね、お母さんが今まできちんと躾けてこなかったせいね。こんなに厳しい罰を与えるしかできなくてごめんなさい、だけど立派な女になるためよ、これは私の親心なの。愛される女になるために、逃げずに受け止めてちょうだいね」
母を泣かせるのはとても悲しい。罪の意識でどうにかなりそうになる。
だけど胸の奥に何かが沈んで溜まっていって、私はもう私を保てなくなっていた。
ある日家に帰ると、母が鬼の形相で荷造りをしていた。
「お母さん? どうしたの?」
「ああお帰り。お母さんはね、ここを出るわ」
「は」
目を点にして固まる私をよそに、母は引き出しをひっかきまわして金目の物をボストンバッグに詰めていく。
「お父さんたら、よそに女を作ってずうっと帰ってこないでしょ。いつか帰ってくるだろうって優しく見守ってやったというのに、あっちの女の方がいいから離婚しろ、ですってよ」
「へえ」
この家では、父はただの空気である。いなくなったところで何も変わらないのに、この人は何を怒っているんだろう。
「私は絶対に離婚届に判を押さないわよ、別れるのはあっちの女だわ。私を捨てたら『娘』がどうなるか、分からせてあげないとねえ」
母は泣いていなかった。頬を紅潮させ目をギラギラさせて、まるでおもちゃを見つけた子供のような顔である。
――なんてみっともないの。
私は母に歩み寄り、頬を強かに打ち据えた。
「何するの!」
「駄目よお母さん。そんな『はしたない』顔をしてはだめ」
「はぁ?何を言って――ぎゃっ」
私は母の脚を払った。みっともなく転がる母の姿に、身を切るような悲しみが溢れて涙が出る。
「大きな足音も立ててはいけません。女は絶対に怒ってはいけません。黙って男に従うのが、立派な女の勤めでしょう」
「え、あ、……雪ちゃん? 私の言葉、そこまで真に受けなくても」
「お母さんの言葉は、いつも正しかった。お母さんが背いては駄目」
私は這いつくばる母の目線に合わせ、溢れそうな涙をぐっとこらえた。
「お母さん、いつか教えてくれたわよね。逃げる小鳥もお仕置きを続ければ、おりこうさんになって鳥籠からでなくなるって」
「……あ……」
「私が試したの覚えているかしら? お母さんの言う通りにしたら、チッチは餌がなくなっても鳥籠から逃げる事はしなくなって、餓死するまでじっとしていたわよね」
母は震えつつ後退りをした。逃げようとする姑息さがあまりにも惨めでかわいそうで、たまらずに涙がこぼれた。
「お母さん、ごめんなさい。私もお母さんを躾けてこなかった」
「な……何、を……」
「お母さんには、私以上に好き勝手な時間が長すぎたわね。だから余計に手荒になるのは仕方がないの、分かってちょうだい」
私は、転がっていたアイロンを手にした。母は慌てて頭をかばったが、私が全力で振り下ろした先は、脚。向うずね。
母は言葉にならぬ声を上げた。私はその口にそこら辺の布を突っ込み、頭を床に押し付けた。
「逃げずに受け止めてちょうだいね。それが愛というものだと、貴女が教えてくれたのよ」
私は両頬を涙で濡らしながら、黙々と母の脚を潰した。
――逃げる事は許されないの。謹んで受け止めねばならないの。
嗚呼お母さん、今更になってごめんなさい。私に与えて下さっていた愛を、存分に返してあげますからね。だからさあ、喜びなさい。微笑みなさい。
飼われた小鳥 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki
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