終章

 聖夜が近づいているからか、街に活気が溢れていた。


 聖夜、といっても何があるわけでもない。新大陸のように、華やかに街が彩られるわけでもない。音楽も流れない。派手な集会があるわけでもない。

 教会では、何か説教の他に催しがあるようだ。

 アランダの聖夜は、家族で過ごす。労働者たちの、安息の日である。

「休めるひとは、いいよねえ」

 その、赤毛の女は呟いてジンを啜った。これで少しは体も温まる。出来れば懐も少し暖かくなりたいものだと彼女は思った。娼婦の生活は、貧しいどころではない。体を売った代金など、あっという間になくなってしまう。彼女の友人であったプリンセス・マギーのように若く美しい女性ならばいざ知らず。彼女、ベスのように老女としかいいようのない年齢にさしかかった女に支払われる金は、たかが知れている。

 ベスは、黄色い霧のなかに体を埋め、虫食いだらけのショールをかきあわせた。

 早く客を見つけて、温かい寝床にはいりたい。

 そんな彼女の気持ちに応えるように、声をかけてきた者があった。ベスは、待っていましたとばかりに客にすり寄る。二言三言の囁きで、交渉は成立した。彼女は客の腕におのれのそれを絡め、柄にもなくしなだれかかる。はずみで、髪を留めていた赤いバンダナがはらりと落ちた。


「……」


 路地裏から現れた青年が、無言でそれを拾い上げる。彼は、売春婦と、客が去った方向を身じろぎもせずに見つめていた。既視感が、彼を襲う。

 今、娼婦に声をかけていた人物に似た男を、彼は知っていた。

(まさかな)

 理性は即座に否定する。男の顔も、連れていた娼婦の顔も。見覚えがあったのだ。二年前のあの日、彼は確かに二人を見た。


「……」


 青年はふっと目を伏せた。そのままくるりときびすを返す。赤いバンダナが手から放れ、宙を舞った。

 すれ違った通行人が、容赦なくそれを踏んでいく。


 その彼の後ろ姿を。娼婦を連れた人物は、一度だけ振り返る。

 唇に浮かんだのは、笑みだったのか。

 夜の囁きに身を任せた二人連れが霧に消えていくのを、気にとめるものは、ひとりもいなかった。




<fin>

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夜の囁き 上庄主馬 @septemtrio

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