二次会はディナーのあとに

丹寧

二次会はディナーのあとに

「高野さんって、何で彼女いないのかな。ゆずちゃん知らない?」


 昼食に行った定食屋で、庶務のベテラン露木さんが海鮮丼に箸を付けながら訊く。私はかぶりを振った。


「知りません」

「えー、あんなに二人で仕事してるのに」


 確かに、営業部で最も高野さんと話すのは私だ。似たような取引先を担当し、大口なら二人で一緒に会うことも多い。でも、私生活のことは訊かないようにしていた。仕事に私的な感情を持ち込むと後悔する。絶対。


「仕事ができて、容姿端麗で、万事にそつがないでしょ。何で独身なんだって、鳥山課長も高良部長も噂してて」

「意外と暇なんですね、あの二人」


 さりげなく管理職批判へ話題を逸らそうとしたが、露木さんは引き下がらない。


「明日、時任くんの結婚式行くんでしょ? その時訊いてみてよ」

「虫けらを見るような目で見られますよ、きっと」


 高野さんは、中性的な容姿に冷静な精神の持ち主だ――少なくとも私には、そう見える。新入社員時代、初めて業務で連絡を取った時からそうだった。


 当時私は広報部、高野さんは経理部だった。会社のウェブサイトの社員紹介に、高野さんを載せたいと上司の白羽の矢が立った。なのでインタビューと写真撮影の依頼で電話したら、抜かりない指導を受けた。


「経理の庶務方と、直属の課長にも広報の方から一言入れてくれるかな」


 淡々としつつ断固とした口調だった。直前、営業部の時任さんに快諾してもらったこともあり、私は電話口でたじろいだ。


「あの、はい」

「勿論やらせてもらうけど、経理にとっては本来業務以外のことだからね。当人だけじゃなく、上長と庶務方にも連絡入れとかないと、あとでやりにくくなるよ」


 社内情報を発信する広報としては、基本事項だった。社内の心証を悪くすれば、後々の仕事に響く。その認識が甘いまま、突撃してしまったのを見抜かれていた。

 だが、あとで経理の課長と庶務担当に連絡を入れると、「高野君から話は聞いてる」とすんなり了承してくれた。指導だけでなく、フォローもそつがない人だった。


 数年後、私は営業部に異動になり、時任さんの下についた。半年前、あっさり転職した時任さんの後任が高野さんと聞いて、背筋が引き締まった。

 時任さんと高野さんは同期だったから、引継ぎもスムーズだった。高野さんは在籍半年にして、すでに何年も営業にいるかのような存在感を放っている。


 優秀な人だけど、反面少し近寄りがたい。話しかければ、何をしている時でもすぐに反応してくれるから、こちらが勝手にそう思っているだけなのだけど。


「聞き出して来たら、寿司ランチおごってあげる」

「えーそれは、訊くしかない」


 会社から十分程度歩いたところに、二千円の豪奢な寿司ランチを提供する店がある。常々行きたいと思っていたが、こんな機会でもなければ行けない。

 明日は二月十四日だ。なんでバレンタインデーにひとの結婚式に行かねばならない、と思っていたけど、リターンがあるなら別だ。


「で、ゆずちゃんは好きな人いないの?」

「いないんですよね。彼氏は欲しいんですけど。早く金曜の夜に予定を入れる身分になりたい」


 今日も金曜だが、夜は取引先との飲み会が入っていた。あまり考え事をしないで済むのはありがたいけど、正直もう少し色気のある用事を入れたい。




 翌日夜、青山の超絶お洒落なレストランで、時任さんの結婚式の二次会が催された。装飾もレストランの雰囲気も、センスが良すぎてイライラする。

 私は前職場の後輩ということで呼ばれていたけれど、人数的には転職先の同僚や、学生時代の友人のほうがずっと多くて、かなりのアウェーだ。


 何で来てしまったんだろうとほぞを噛む。でも、来ない選択肢はない。時任さんに気まずく思われたくなかったし、負けた気がしてしまう。

 でもやっぱり心細くて、入口で飲み物を選ぶときには、ろくに飲めないシャンパンを手に取ってしまった。大人しくノンアルコールにすれば良かったと思いつつ、やけくそで速いペースになる。


 私はずっと、時任さんが好きだった。


 私が異動してきたときにはすでに、のちに婚約する人と付き合っていた。構わず勝負に出る道もあったかもしれないけど、結局、臆病風が勝った。万が一選んでもらえたとしても、パートナーを裏切る人がかっこいいと思えるか、と自分に言い聞かせながら。

 ひとりフロアの隅でシャンパンをすすっていたら、入口付近から黄色い声がした。新郎新婦が来たらしい。騒ぎに加わる気になれず、そのままぼんやりしていた。プロフィールムービーが終わると、主役がフロアを回りはじめた。


 久しぶりに見る時任さんは格好良かったし、新婦も悔しいけど綺麗だった。気後れしないように、髪型も化粧もドレスも念入りに整えてきたけれど、主役の投入資金と自信の前にはひれ伏すしかない。

 可愛らしいというより綺麗なその人は、私の前を通り過ぎるかと思いきや、立ち止まった。ぐいと身を乗り出され、思わず身構える。


「お姉さん、独身ですか?」


 抜かりなく私の左手に目をやりながら、彼女は尋ねた。


「私の友達が貴女のことすっごく綺麗って言ってたんだけど、どうかな」


 新婦が目で示したのは、いかにもラグビーやってましたと言う感じの男性だった。顔や雰囲気は、正直好みではない。

 逡巡と同時に、形容しがたい感覚が胸にせり上がった。貴重な休日に、好きだった人の幸せを祝うために、何とか気持ちを奮い立たせてきたのに、このアウェーな環境でどうにか持ち堪えてきたのに、この仕打ちは何だ。ウェディングハイで何でもまかり通ると思ったら大間違いだ。


 失礼ですが、と喉元まで出かかったとき、誰かが脇に立った。


「すみません、この人うちの社運を負ってるので」


 聞きなれた高野さんの声だった。はっとして見上げた顔はしかし、いつもと違った。蒼白な顔をして、髪も乱れている。ネクタイも多少ずれていた。乱闘でもしてきたんだろうか。


「しばらく仕事と恋人でいてもらいたいんで、勘弁してください」


 淡々と、だが断固として言い切った高野さんの迫力に、新婦は首を傾げつつもあっさり退散した。困り顔の時任さんがごめん、と言った。


「来てくれてありがとう。高野のリクエストで、科野さんにも来てもらっちゃった」

「うちの会社の人、全然おらんやん。これで立食とか無理」

「いや本当、ありがとう。ご飯食べて行ってね」

「いえ、あの、おめでとうございます」


 時任さんを見送ったあと、私は高野さんに向き直った。


「その格好、どうしたんですか」

「昨日、熊本地熱の菊池さんに夜明けまで飲まされた。披露宴の食事を胃に入れたら二日酔いが悪化して、しばらく死んでた。今来た」


 全然飲めない私を先に帰してくれたあと、鳥山課長と高野さんは大変なことになっていたのだ。私は恐縮した。


「すみません。そんなことになってたなんて」

「良いんだけど――科野さん、顔赤くない?」


 私は、頬に手を当てた。確かに熱い。飲めないのにシャンパンをあおったせいだ。


「すみません。急に飲みたい気分になって」

「自分で飲んだなら、別にいいけど。珍しいね」


 泳いだ視線は、無意識に時任さんへ向かった。

 なんで私を、ここへ呼んだんだろう。同期の高野さんから要請があったとは言え。私は二年、営業部で一緒だっただけなのに。しかも、私の好意にはうっすら気づいていたと思うのに。皆、気づいていた。


「経理で一緒だった藤原が、科野さんは同期会でもほとんど飲まないって」

「そうです」

「何かあったの?」


 やや寡黙な高野さんが、今日はなぜか饒舌だった。二日酔いでやぶれかぶれになっているせいだろうか。でも、ぶしつけな感じはまったくない。むしろ、こんな話し方もするんだ、と新鮮だった。


「せっかくの休日、しかもバレンタインに、人の幸せを祈るためにお洒落したから」


 私の方も酔っているせいで、普段はしない言葉遣いをした。それでも、高野さんに苛立った様子はない。拍子抜けしたような顔をしただけだ。


「似合ってるけど」

「――ありがとうございます」


 そういうことじゃない、と思いつつも、意外な誉め言葉に不覚にもどきりとした。仕事ができる上に、さらっと異性を誉められるなんて、モテそうじゃないか。ますます、恋人がいないのが不可解だ。

 思い出した瞬間、今ならさらっと訊けそうな気がして、すかさず尋ねた。


「誉め上手で何でもそつがないのに、高野さんはどうしてフリーなんですか」


 お互い酔っているのだから、大したことのない問いだと思った。しかし、高野さんには違ったようだ。一瞬呆気にとられ、私をまじまじと見つめた。

 怒っているのかと思ったが、どうやらそうではない。単に驚いているのと、あとは何を言うべきか、躊躇っている気配がした。しばし異様な迫力に気圧され、私も高野さんを見つめ返すしかなかった。


「――わからない?」


 思いがけず問い返される。


「勇気がないからだよ」


 高野さんの横顔は妙に切なく、寂しそうだった。そして、何か言いたそうだった。神妙な顔で口を開きかけ、思い直したように言った。


「やっぱ具合悪いから、帰るよ。挨拶はしたし。またね」


 手に持ったグラスを置いて、高野さんはあっという間に立ち去った。止める間もなかった。自分もグラスを置いて、私は驚きつつ考え込んだ。

 高野さんの視線のただならぬ気配の意味が、わからないほど初心ではない。徹頭徹尾、紳士的だった高野さんの行動に、それが理由を与えていたとしたら。時任さんが二次会に私を呼んだことにも――あれほど魅力的なのに、恋人がいないことにも。


 寿司ランチを逃すのは残念だけど、調査結果は露木さんに明かせそうにない。


 賑やかな会場を一瞬見渡してから、私は速足に出入口へ向かった。レストランを出て見渡すと、表参道方面へ向かう高野さんの後ろ姿があった。


 今日のために誂えたピンヒールを脱いで、手に持った。走ると、アスファルトが冷たくて足の裏が凍えそうだった。でも、それでよかった。

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