立塚平六 最後の一日【KAC2021 お題『直観』】

石束

立塚平六 最後の一日

 要らないものをシュレッダーで裁断しスチール机を空っぽにすると、残ったものがあまりに少なくて愕然とする。

 書類は出し終わり、書類作成の参考書はくくって資源ごみ行き、六法全書も人に引き継いだ。

 仕事の都合で作った人名録や電話帳、名刺ファイルも確実に裁断する。その他の仕事道具の大半は借りものだから、全部そろえて返さねばならない。

 例外は一年に一足貰える革靴ぐらいだろうか? それこそ、全部すり減ってしまって返しようもない。

 持って帰るものといえば、せいぜい、印鑑と朱肉くらい。

 勤続四十年。結局、残ったものはこれだけか。 


「ちょっと、まわってくるよ」


 机の上の、ショートピースと百円ライターをポケットに突っ込み、くたびれた年代物のバーバリーを掴んで、平六は席を立った。

 そんな彼が目に入ったのか、部屋の向こうの島から事務員の女の子が「立塚さん」と声をかけた。

「今日! 『丹後』で18時からですから! それまでに帰ってきてくださいね!」

 送別会の確認だった。むろん、平六の、である。

「直帰しないでくださいね! ここにみんな集まってタクシーに分乗していきますから!」

 いわでもがなのことをくだくだと言い募る彼女に、平六は「帰りゃあしないよ」と曖昧に笑った。

 親も妻も娘もいない六畳一間。あの部屋へいそいで帰る必要もない。

 とりわけ――こんな日は。

「おやっさん。今日は傘をもっててくださいね」

 いよいよ部屋を出ようとドアに手をかけたところで、去年部下になった新部がいった。

「傘? なんで? 降るのか?」

「天気予報は曇りですね。でも俺の『直感』がそう言ってるんで」

 こいつのことは組んで一年たった今も、よくわからない。

「俺の『直観』はそうはいってねえな」

 言い捨てて部屋を出る。

 扉を閉めた後、扉のプレートが目に入る。

 刑事部捜査一課強行係。

 それが立塚平六の仕事場であり、今日限りで退職する職場の名前だった。


 ◇◆◇


 因果な商売だ。悪いやつを捜しているせいか、それとも世の中が悪いやつだらけなのか。

 三十年も刑事一筋で過ごすと、道行くどいつもこいつ、何かしら悪さをしでかしているような気がしてくる。

『そんなわけないじゃない。あほらしい』

 そういってわらった妻が、こいつだけは悪い奴じゃないと思っていたたった一人の女が彼を裏切って男と逃げた時、平六の世界は灰色になった。

 当時中学生だった娘は母親ではなく、平六を責めた。

 なにもかも、仕事仕事で家庭を顧みなかった平六が悪いと罵った。

 たしかに世の中の全部の人間が悪いわけじゃない。

 娘に言われて思った。

 世の中を素直に見て疑わず、信じてみようと思った。そう思い娘との二人暮らしを始めて、一年後。

 覚せい剤を買う金欲しさに万引きを働いた娘が逃げる途中に車に撥ねられたのだと、平六はガサ入れ前の会議中に知らされた。


 ああいやだ。余計な事ばかり浮かんでくる。

 今思い出してどうする。どうなる。今更だ。何もかもが今更だ。


 懐の手帳の厚みを背広の上から確かめて、平六は意識を「今」に引きずり戻した。

 目の前には廃墟寸前といった風情の雑居ビル。人気はないが、気配はある。。


 捜査一課の同僚には「挨拶回り」だと告げて出てきた。事実、警察学校の後輩が勤務する交番へ行って茶を飲んで帰るつもりだったのだが、その前にどうにも見覚えのある背中を見つけて、そうにもいかなくなった。

 顔が違う髪型が違う年齢すらも違って見える。

 だが三十年の刑事としての人生が立塚平六をして『直観』せしめた。


 ――半崎誠だ! あの連続放火魔! 


 そうして。十分注意し警戒して事務所内に踏み込んだ刹那、立塚平六はあっけなく後ろから殴られた。


 気が付けばあたり一面火の海だった。

 目の前で半崎が狂ったように笑っている。


「あんたにはいい所で邪魔されたことがあったな! 退職祝いの火祭りだ!」

「わるかったな。半崎」

 霞む視界に男をとらえながら平六は言った。

「あの時、俺がお前を捕まえてぶちこんでおけば、お前はいまごろ綺麗な身になって、俺の目になんぞはいらなかったろうに」

 

 人はだれも何かを後ろめたく思っている。その思いは仕草に出る。

 それが、人殺しに盗み、無差別放火ならなおさらだ。

 どうしてもびくびくと怯えるか、それとも用心深くなるか。

 誤魔化して生活を営んだとしても、警戒心や用心が違和感となって自然と浮き彫りとなり。

 それが立塚平六のような、年を経た刑事の『直観』にひっかかるのだ。


「俺がお前にきっちりとけじめをつけておきさえしたなら、俺はきっとお前にきづかなかったろうになあ」


 その時、廃ビルが音を立て傾いた。バランスを崩して平六と半崎は縺れる様に転がり、ビルの外へ――傍を流れる川へ転がり落ちた。



 遠く、サイレンの音が聞こえる。

 ずぶぬれになった平六はにじり寄って、半崎の手におそらくは生涯最後になるであろう手錠(ワッパ)をかけた。


 ひどい目にあった。きっと風邪をひくだろう。


 ――だが、それにしてもだ。見事に水浸しだ。


「新部の『直感』ってやつも、バカにできねえな」


 存外、アイツはいい刑事(デカ)になるかもしれん。


「は……世も末だ」


 天を仰いで胸元から引きずり出した両切りのピースは、芯まで湿って火が点きそうになかった。



 

 


 


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