H先生というお方

寿 丸

今回のお題「直感と直観」

 なんとなくで、「この人は好きだな」「嫌いだな」と思ったことはないだろうか。

 そして「この人は好きになれそうだ」「好きになれそうもない」と確信したことはないだろうか。


 私たちヒトは常に意識と無意識とを使い分けている。


 こう言うと難しい話になりそうだが、そこまで身構える必要はない。大人でも子供でも日常的に使い分けているものなのだから。ただ、いざ言葉にしてみると難しく感じるだけなのである。


 大学で心理学を学んでまだ三か月。


 時間割は常に心理学関係で埋まっているが、これらの講義に参加している学生の大半は単位目当てだ。「心理学っていえば難しそうだけど、要するに人間のココロのことでしょ? だったらヨユーヨユー」などとのたまう学生を、実際に見たことがある。


 そして、そんな学生を思いきり弾く講師がいる。


 H先生という人だ。


 この人は細いフレームの眼鏡をかけていて、柔和な物腰で学生に対しても偉ぶらない。講義やゼミのオリエンテーションで彼の説明を受けた学生の大半の第一印象は「優しそう」でだいたい一致している。


 だが、その認識は甘い。


 例えば、講義の締めくくりにコメントペーパーの提出がある。一応説明しておくとこのペーパーはその日の講義に対する感想、考察、疑問などを書き込んでそのまま提出するものだ。そのペーパーの提出頻度、内容が単位取得の基準になる。

それら全てに返答する講師は極めて稀だが、H先生はコメントペーパーに一文でも赤文字で返答を書いていた。マメな人なのだ。


 このH先生はオリエンテーションを経ての初めての講義でもゼミでも、コメントペーパーの提出を求めた。この内容によってはH先生の講義とゼミに参加できるかどうかをふるい分けするという。


 特に反対や意見を差し挟むような、度胸のある者はいなかった。


 おそらく「自分は弾かれたりしないだろう」と高をくくっていたのだろう。


 後日――講義に参加できる学生の一覧が掲示板に貼り出された。


 私は合格したが、友達は不合格となった。


「なんでぇ!?」と彼女は言っていた。「ヨユーヨユー」とのたまっていた人だ。ただ、「まぁいっか」と瞬時に気持ちを切り替えて、別の講義を選んだのだが。


 さて、くだんのH先生から青年心理学という講義を受け、彼のゼミに入るようになってから三か月。


 今回の講義はとある映画を観るというものだった。裁判員となった十二人の男が狭い会議室の中で、少年の罪の是非を巡って言い争うという内容だ。全く場面が変わらないにも関わらず、私は見入ってしまった。


 一人が適当な意見を発すると、水を浴びせかけるように至極真面目な反論が飛ぶ。一人が理詰めで少年の是非を証明しようとすれば、また理詰めで反論が飛ぶ。一人が感情的に少年は有罪であると断じ、人格そのものを否定すれば、人格否定で返される。やがて最終的に全員の結論はまとまっていく。そういった流れだ。


 私は心底感服していた。これほどまでに理屈と感情とを無理なく混ぜて展開していく映画の出来もそうだが、この映画を選んだH先生のことも。初めて出会った時から「なんとなく好きになれそうだ」と薄々感じていたが、それは確信に切り替わった。


 私は講義の終わりに、コメントペーパーに色々と書き込んだ。映画への感想、内容への考察、そして先生がなぜこの映画を選んだか。それらに対する先生の返答は、以下の通りだった。


〈この映画を好きだと言ってくれてありがとうございます。

 私たちヒトは理論的でもあり、感情的でもある矛盾した生き物です。この映画の登場人物のように、理詰めの人もいれば感情でものを喋る人もいます。Kさんはそういった違いに疑問を持っているようですが、それは個々人のそれまでの経験によるところが大きいです。


 第一印象で人は決まる、というような文句を聞いたことはありますか?


 私はこの文句はほぼイエスであると思っています。一度感じたものはそう簡単には覆らないからです。なんとなくこの人とは話が合いそうにないと構えていれば、話を進めていく内にやっぱり自分の直感に間違いはなかったと思うことは人生において度々あります。


 ただし、その判断が覆ることもあります。


 人から良い評価を聞いたり、あるいはその人の意外な一面を見たり。そうなると自分の判断を覆すのは難しいのですが、「そうかもしれない」と思うようになればその人の良い面も見られるようになります。


 第一印象とその後の印象。それらが複合して、人への印象が左右されます。


 頼りないですが、案外そんなものです。


 ただし、最初からきちんと相手の本質を見られる人もいます。しかし、そういった人は極めて稀です。「この人は好きかも」と言える人と、「この人は好きになれそうだ」と確信できる人とでは違います。前者はなんとなくというニュアンスが強いですが、後者は第一印象から実際に会話してみての内容、そして相手の人間性などを複合して考えて、判断を下しているからです。


 長くなってしまいましたが、私の返答をもとにもう一度映画を観て頂けると講師冥利に尽きます〉


 確かに長い。コメントペーパーの裏面がすっかり先生の返答で埋まっていた。


 しかし、私はそのコメントペーパーを大事に取っておいた。そして先生の返答をもとに、レンタルビデオ店でもう一度映画を観てみた。意識して視聴すると、また新たな発見があった。薄っぺらい人生を送ってきたんだろうなと思ってしまうような人が、実はそれなりに苦労してきた背景がある……など。


 確かに、人への印象は案外頼りない。


 私はH先生の研究室で、昼食を共にしたことがある。そこで私は、先生から次の問いをぶつけられた。


「Kさん。直感と直観の違い、わかりますか? ちなみに後者のカンは『観念』のカンです」

「え? 違いって……あまりピンとこないです。えっと、ちょっと待って下さい。今、スマホで……」

「ああ、今すぐ調べなくても大丈夫です。今までの講義を受けてみた中で、あなたが感じた通りに話してもらえればいいんです」

「はぁ」

「ヒントを差し上げれば、前者の直感というのは瞬時的なひらめきに近いですね」

「うーん……」


 まるでわからない。というか、今までに直観という言葉に触れたことがない。今までの講義で感じた通りにということだから、何かしら関係があるのだろう。ただ、ヒントをもらっても頭の中で講義を振り返っても、不明瞭だ。


「直感と、直観……例えば、人への印象ですか?」

「ほう。というと?」

「先生が紹介してくれた映画、もう一度観たんです。一回観ただけと、その後観たのとでは登場人物への印象が異なりました。言葉や態度から感じるものと、その背景にある……ううん、なんといえばいいのか。その人の人間性がわかるというのか。一回だけだとなんとなくだけのものが、二回観ることで感じ方が変わる。そこが……直感と直観との違いなのかな、と……私はそう、思います」


 我ながら、語気と自信に欠けた言葉だった。


 しかし、H先生はにっこりと微笑んでいた。


「いい線いっていると思います。表面的なものか、本質的なものかを頭で理解するのは難しい。なんとなくで把握していれば、それでいいと思います」

「それでいいんでしょうか……?」

「まぁ、心理学をかじっているとそういった違いというものが不明瞭だと、のちのち自分が困ることになりますが。でも、今の段階で全部を理解しようとしなくていいんですよ。そもそも人間の心と考え自体、全て理解するのは極めて困難ですからね」


「はぁ」と私は何も言えなくなった。


 H先生は柔和でありながら、時おり難しく、自分の力量が試されるような問いを持ちかけてくる。そこが苦手という人もいるが、私は先生のそういうところが好きだ。先生と話していると脳がフル回転して、どんどん自分が高められていくような気になるから。


 もし、H先生に対して直感と直観をはたらかせるとしたら。


 まず、「この人は優しそうだ」という直感。これは多くの学生が感じるところだろう。外見、物腰、話し方……そういった情報から第一印象を決める。


 そして「この人は優しいけど、なかなか難しい」というのは直観……かもしれない。H先生と話すようになって、言葉の節々から感じ取れる彼への印象。人生観。第一印象だけではわからないものがいくつもの情報が複合して理解できる。


 なかなかの難題を吹っかけてきたものだ――と思う。


 そこがH先生のらしさなのだろう。


 H先生はこの他にも『考えてみると難しいこと』を私含め、学生たちに吹っかけた。そのおかげなのか、二年生に上がる頃に彼のゼミを受講する者は少なくなった。これは先生なりにふるい分けをした結果だろう。


 人数が少なくなったゼミにおいても、先生は柔和な笑みを崩さなかった。


 難儀で、底の知れない人である。


 これはおそらく直観だろう。

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