(仮題)転生したのではやく死にたい

春夏冬 しゅう

第1話

 講義の終了を知らせるベルが学内に響いた。教授は話を打ち切り板書した文字を手早く消し始め、学生達は席を立ち次々と教室を後にする。しだいに静かになっていく教室の片隅にぽつんと一人、窓から差し込む光を伏せた頭に受けながら、すやすやと眠る女子学生が取り残されていた。


「あ」


 教室を出ようとしていた一人の女子学生がその姿を目に留め、彼女に駆け寄る。様子をうかがい、穏やかな寝息を立てているのに気づくと、険しい顔でおずおずと肩を叩いた。


「どうしたの?具合悪い?」

「んー……」


 彼女は伏せていた顔をゆっくり上げる。眩しさに眉を顰めるが、自身の肩を叩いた女子学生の存在に気づくとふわりと笑顔を浮かべた。


「杏耶だぁ、おはよう」

「おはようじゃないよ。なにかあった?保健室行く?」

「うーん、居眠りに保健室使うのはさすがに気がひけるかな」

「居眠り……」

「うん。昨日寝てなくて」


 呆気に取られていた杏耶は、それを聞いたとたん心配げに眉を寄せる。


「課題とかで寝れてないの?バイトで何かあったとか?」

「ゲーム」

「ゲーム……?」

「いわゆる乙女ゲームっていうやつなんだけど、めちゃくちゃ面白くって! お風呂入ってても寝ようとしても続きが気になって仕方なかったから、もう最後までやっちゃおうと思って全ルート制覇したら、もう家出る5分前の時間だったの」

「……」

「言ってるでしょ。私そんな真面目な人間じゃないって」


 両手を上げて大きく身体を伸ばし満足そうに大欠伸をする彼女を、腑に落ちないといった表情で眺める杏耶。そんな杏耶の様子を見て、彼女はにやりと笑った。


「杏耶はゲーム機持ってる?」

「持ってないけど……」

「じゃあ本体ごと貸すからやってみてよ。そんな難しいゲームじゃないし、楽しいよ!」

「え、そんな悪いよ! 他のゲームやったりするでしょ?」

「するけどその前に杏耶にもやってもらって、ゲームの感想言い合いたいな」

「でも……」

「ゲームがあまり好きじゃないかんじ? だったら小説とか漫画はどう? よく読んでるじゃん! 今流行りの転生ものとか!」

「転生ものかぁ」

「好きじゃない?」

「だって、転生ものの主人公って皆格好良くて可愛くて優しくて良い人じゃない?そういう人が大変な目に合うの、辛くて読みたくないんだよね」







 フロラ王国 第一次産業州 ホヅミヤ領 ホヅミヤ家別邸の一室。ベッドに横たわった少女の胸部は苦しげに上下を繰り返していた。熱に浮かされた赤い顔には汗が浮かび、薄く開いた目は虚ろに涙を流している。側にある机の上には氷の入った水が桶に入れられており、家政長であるトレスフはその中に手拭いを泳がせた。それを固く絞り、少女の汗や涙を拭う。呻き声を漏らしながらも意識を取り戻さない少女に、彼は顔の下半分を覆った布の下で苦々しげに表情を変えた。トレスフの張り詰めた空気が満ちる室内に、突然、コンコンと遠慮がちに扉を叩く音が響いた。


「……どなたですか」

「すいません家政長。セビです」

「貴方には本館の勤務を指示しているはずですが」

「あ、いや、今お昼休みなので」

「なら休憩室にでも行っていればいいでしょう。なぜここ来たのですか」


 扉を挟みひそひそ声で交わされるやり取りにも少女は反応せず、苦しげに呻いている。トレスフが少女の様子に注意を向けながらもセビに質問すると、セビはおずおずと答えを返した。


「あの、私もカーネ様の看病させてもらえないかなと」

「人員は足りてます。隣室に医師が待機していますし、人の出入りを増やすことはお嬢様の身体に負担がかかるかもしれません」

「足りてるって、ほぼ家政長一人じゃないですか。休憩してるんですか?」

「してます」

「だいたい、こういうのって私達みたいな使用人がやることじゃないですか。家政長のやる仕事じゃないですよ」

「そちらに私がいなくても仕事が回るように人員を配置しています」

「いや、それはその通りなんですけど……」


 セビが言い淀み、沈黙する。トレスフが反応を待っていると、扉の向こうから聞こえてきたのは震えを隠せていない声だった。


「……もう一ヶ月じゃないですか。カーネ様が寝込んでから」

「そうですね」

「そりゃお屋敷には他にも仕事がありますから、カーネ様に尽いていられない状況なら別の仕事しなきゃいけないのは分かってますし、そっちやるんですけど。でもその仕事をやっている内に、知らない間に、カーネ様が……」

「……それは、旦那様も奥様も思い、恐怖されている事です。あまり言葉にしないように」

「すいません……」


 ズズッと鼻を啜る音が扉の向こうから聞こえ、トレスフは溜息をつく。


「仕方ありません。午後から配置を変えます。ただ、そんな状態では室内に入れられないので清めてくるように」

「あ、ここ来る前に湯あみしてきました!」

「不十分です。廊下の奥にある浴室に洗剤と衣類をまとめてますので……」


「ちがうじゃん……」


 幼く掠れた声がベッドから聞こえ、トレスフはバッと振り返った。カーネは変わらずベッドに横たわっているが、両手で顔を覆い、苦しげに呻き声をあげていた。


「……おはようございます、お嬢様。なにか不快なところありますか?」


 ベッドの傍らに駆け寄り、静かな声色で話しかけるトレスフ。しかし聞こえているのか聞こえていないのか、カーネは唸るように呟き続けた。


「ちがうんだよ。こういうのは性格良くて皆から愛されるようなひとが転生するから、その先の話も良いものになるんであって、私みたいなクソな人間が転生しちゃったらだめなんだって。汚染だよそんなもの。マジで余計。なんで思い出すかな。思い出さなきゃ良かったのに。善良なお嬢様が穢れたじゃん。もう終わりだよ。この子の人生終わり。最低。マジでごめん。申し訳ない。お詫びのしようもない。大人しく死んでてよ本当になんでこんなことになっちゃったの最悪だよもう本当に」


 呆気にとられるトレスフ。コンコンとセビが扉を叩いているが、それに気づく様子もなかった。


「……お嬢様。カーネお嬢様。大丈夫です、どれだけ気をつけていても体調は崩れてしまうものです。もしかしたら原因は私達使用人からうつったものかもしれませんし、お嬢様が気に病むことではありません。旦那様も奥様も、お嬢様の体調が良くなることだけを願っていらっしゃいます。お嬢様はただ心穏やかに、ゆっくりお休みになって良いんですよ」

「そういうことじゃないんだよお本当にごめん」


 逡巡の後、トレスフは穏やかにカーネに語り掛ける。しかし悲痛なカーネの返事に口を噤んだ。


「ワンチャンまだ間に合ったりしないかな。今すぐ頭打ったり死にかければ忘れたりしない?  そうでなくても、これ以上悪影響が無いように今死んだ方が良いか。傷は浅いうちにって言うし。うん、そうだ。そうだね。早く死ななきゃ」


 カーネはそう呟くとベッドから起き、よろめきながら窓辺へ歩き、壁に力なく頭をぶつけた。トレスフが慌ててカーネの身体を支えベッドに戻そうとするが、カーネは縋りつき頭をぶつけるのを止めようとしなかった。


「お嬢様!お身体に障ります。ベッドにお戻りください」

「いや、今のうちにやらなきゃ駄目なんだよ。お願いだから死なせて」

「お察しします。今医者を連れてきます。楽になれるよう薬をもらいましょう」

「本当? ありがとう、トレスフ。たすかる」

「はい、大丈夫ですよ。わかってます。だからベッドに戻って休みましょう」

「うん」


 窓辺へ行くのに体力を使い切ってしまったのか、カーネは床に倒れこんだ。トレスフはその小さな身体を抱き上げベッドに収め、コンコンと鳴り続ける扉へ向けて呼びかける。


「セビ。お嬢様が辛い症状を抑えたいとのことです。医者を呼んできてください」

「……え」

「やっぱりカーネ様目を覚ましたんだ! 良かった……。今すぐ呼んできます!」

「いや、セビ。あのね」

「……! 大丈夫ですよカーネ様! すぐに元気になれるように、私もいっぱいお世話しますから!」

「そうじゃなくて、私は死にたくて」

「大丈夫です。死にたくなるくらい辛い症状は今だけですよ。すぐ良くなりますから」

「……ち」


「ちがうんだってぇ―――!」


 カーネの力無い絶叫が別邸に小さく響いた。


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